第51話 舞衣の受難
スターシード号 医務室――
「ではマイさん、このお薬を飲んで下さい」
ナオミの声が響いた。そこは、幅の狭いベッドが真ん中に一台置かれただけの、床も壁も天井も真っ白な部屋だった。
「これ、なんのお薬?」と、舞衣は訊いた。その彼女もまた、医務室に劣らず真っ白な手術着を着ていた。それは、ゆったりしたチュニックのような形をしていたが、なぜかノースリーブで、丈もウルトラミニほどでしかない。しかもどういうわけか、不織布のような素材のそれは、透けるほどに薄かった。
「消化管をきれいに除菌するための薬です。長年使われてきたもので、薬害の報告はありません。安心して下さい」
「はい」と、彼女は素直に答えた。そして、裾を気にしながらグラスを受け取った。透明なグラスの中では、400ミリリットルほどの青みがかった液体が揺れていた。
「再確認ですが、本当によいのですね?」
「うん。向こうに行くには仕方がないんでしょう?」
「では、全て飲み干して下さい」
「ねぇ、ほんとに痛くない?」と、心配そうに彼女は訊いた。
「大丈夫です。この医務室は、母艦ほどの設備は備えていませんが、やることはどこも同じですから」
「でも、検査……するんでしょ? やっぱり、ちょっと恥ずかしいんだけど……」
「ストレスを感じますか? 仕方がありません。医務室というのはそういう場所ですし、医療行為は患者に緊張を強いるものです。誰でも同じなのですよ」
「それはそうだけど……」
「先日の血液検査の結果ですが、マイさんはとてもきれいな血液でした。
「へえ~、タマちゃんって、マッサージもできるんだ」と言って、舞衣はグラスの薬を飲み始めた。その様子に、ナオミは満足げに頷いた。
「そうですね……。サポートロイドにとってマッサージは、
「ふふ……」 薬を飲み干して、舞衣は微笑した。「ねぇ、知ってる? タマちゃんって、エッチなんだよ」
「また……、ニルソンはイタズラ好きでしたからね。おかしなアプリを入れられてしまったのでしょう。私もアースネームの由来を聞いたとき、少なからずショックでしたもの。さあ、次はベッドに横になって下さい。仰向けでもうつ伏せでも、お好きなように――」
「え? 寝るの?」
ナオミはさらっと言った。
「はい、そうです。仰向けの時は両足を抱えてください。うつぶせの時は四つん這いになってもらいます。できれば仰向けが良いと思いますよ」
その姿を舞衣は思い浮かべた。この寸足らずな手術着のまま、M字?
「え?……ちょ、ちょっと待って。このまま……その、もよおしてきたら、トイレに行くだけじゃないの?」
「そのご質問は、この薬の下剤としての作用について、ですね。確かに、
「え? お薬飲んだし、それで十分でしょ? ……もしかして、そうじゃないとか?」
ただの腸管洗浄ではないらしい。諭すように、ナオミは言った。
「マイさん、ご存じですか? 人間の大腸には、
「そ、それってつまり、大腸洗浄のことでしょう? 地球にもあるわ。でも普通、体を横向きにしてしない? バックとかM字とか、聞いたことがないんだけど……」
「ですから、ここは母艦とはちがいます。設備としては、野戦病院に近いのです。それから、あとひとつ申し添えるならば、消化管洗浄の目的は除菌だけではありません」
「え? 除菌だけ……じゃないの?」
「腸内細菌と人間は共生関係にありますから、無菌のままというわけにはいきません。もとの〈
「腸内フローラ?」
「お
「新たな……って、なにか入れるの?」
「はい。心を込めて
突然、ナオミの上体がくるりと回った。
「船団政府保健省認定。わたくし特製・お花畑のミックスジュースです。
その手には、ひと抱えもある特大の
「ちょっと待って……。私、聞いてない。インフォームド・コンセントはどうなってるの?」
「知らない方が良いこともあるのです。さあ……」
タラコのようなナオミの唇が、キラリと光った。
舞衣の部屋――
「マイさん、大丈夫ですか? ずいぶんおやつれのようですけど……」
ベッドの上でうつぶせの舞衣は、ジョンからマッサージを受けていた。うつろなまなざしを宙にさまよわせて、彼女はつぶやいた。
「もう、最悪。どこのヒロインがこんな目に遭わされるの……」
「こんなことなら、ボクが体張ってでも阻止しましたものを……」 ジョンは、その短い手を精一杯に伸ばして、舞衣の肩を挟み込むようにもみほぐしていた。手が短い分、ほとんど密着に近い状態だったが、舞衣はもう苦にしなかった。
「いいのよ。こうでもしなくちゃ、スクリーニングを通れないんでしょう? 向こうがエッチしたがってるんなら、こっちもそれなりに仕上げていかないとね」
「そんなこと、ボクが許しません」
今度は両手を拳に変えてぐいぐいと押し込む。気持ちよさそうに舞衣は目を細めた。
「大丈夫よ。そんなことにはならないわ」と言って、彼女はクッションに顔を埋めた。そして、「私は純一さんだけのもの……」と、念を押すようにつぶやいた。
「そういえば……」 ジョンは、バイブレータを作動させて、マッサージの仕上げにかかった。「そろそろ船団が異空間航行に入る頃です。もしかしたら、中継映像が入っているかもしれませんね」
「そんなのどうでもいい……う~ん、気持ちいい……」 舞衣は、ほっと吐息を漏らした。
自慢げに、ジョンは言った。「ボクたちのマッサージ機能って、アプリやオリジナルモードで拡張できるんですよ。ボクのはオリジナルモードですけど、ニルソンが手に入れた地球のマッサージ映像からプログラミングしたんです」
「ふ~ん。いろいろ応用が利くのね」
「はい。超音波も出せるから、骨折や脂肪肝もわかります」
「すごい。超音波エコーね」
「ほかにバイブレータは、ですね、お風呂のバスタブを超音波洗浄でキレイにするとか、ひどい汚れ物を洗濯前に下洗いするとか……あ、そうそう、ビールや漬け物を短時間で熟成させるエージャナイザーとか……」
舞衣はクスッと笑った。「たいへんね。そんなことまで……」
彼女の肩をその短い腕でポンポンと叩いて、ジョンは言った。「はい、終わりました。ほかに痛いところとか、ありますか?」
「ううん。大丈夫。ありがとう」と言って、舞衣は体を起こした。そして、「ふうっ」と息をして肩を回した。
「お休みになりますか?」と、ジョン。
「そうね」とつぶやいた、その時だった。ふいに、ブーモの声がした。
「マイさん、よろしいですか?」
「あ、はい」と、彼女は答えた。そして、足を下ろしてベッドに腰掛けると、「いいよ」とジョンに言った。ジョンが頷くと、ベッドの向かいの壁に、ディスプレイのような枠が浮かび上がった。星々の浮かぶ宇宙の光景が、その中に映し出されていた。
「船団本隊からの中継映像です。地球人の施設では受信できません」と、ブーモは言った。そして、「これより船団は、異空間航行に移ります。軍艦を先頭に、全船がワームホールに突入するのです。ハリウッドの映画ほどドラマチックではないと思いますが、ご覧になりますか?」と、尋ねた。
ちょっと迷ってから、「うん。やっぱり見る」と、舞衣は答えた。「これでも一応、リケジョの端くれだものね――」
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