最終話 暁月は零に至りて

赤と藍、ほんの少し白が入り混じった空の下。

僅かに差し込んだ陽光は闇を斬り裂くが如く。

そしてその光の中で、

「零之太刀——————ッ!!」

黒刃が輝いた。



刹那の時の中で、二人の目にはハッキリと互いの剣の軌跡が映っていた。


正確に、稲本の胴体一点目掛けぶれる事なく振り下ろされる八本の刃。


対して振り抜かれる一刀。

ただ疾く、音を超え、光を超えて一筋の線が空中に描かれる。


それは刃狼が振り下ろすよりも疾く。

だがそれは刃狼の胴体を捉えず。

彼の身体と線が交差するよりも疾く剣は振り抜かれた。


浮かぶ疑問。

僅かな時であれどそれは生じた。

必殺の太刀であるならば、何故身体を、命の器を斬らなかったのか。


そしてその疑問は刃が砕けたその瞬間、過去のものへと変わった。



重々しい、七つの音と共に刃が宙を舞う。

砕けたその破片は陽光に照らされて、あたかも降り注ぐ白銀が如く。

「ッ……!?」

刹那に満たぬ僅かな間で、二人の剣士の攻防における決定的な転換が起きた。


破壊された刃狼の七本の剣。

振り抜かれ朝日に輝く黒の一刀。

今まさに、刃狼は一本を除いた全ての刃を失い稲本の前に立つ。


ここで刃狼は全てを理解した。

あの僅かな時間の中で、彼が狙っていたのは彼の得物たる八本の剣であると。


そして、今までの攻防で稲本が見抜いていた事を。

『月下明光斬』、『暁』、彼の必殺の太刀はどれも刃狼に防がれて来た。

だがそれは、どれも"二本以上"で相殺された時のみ。


故に彼が生み出し『零之太刀』。それは正確な太刀筋によって全ての剣が交わるより早く刃の弱点を砕く七連撃—————


「悪くない…………だが、それで終わりか…………!?」

振り下ろされる残りし一本。

皮肉にも残ったそれは先の剣戟の中で奪われた月輪刀。



だが稲本は怯まず。

流れるように構えを変えていたのだ。

「月下明光……………」

そう、零之太刀は連撃に終わらず。

その太刀は、彼の経験、剣技、命、誇り、彼の全てを乗せた一太刀。


故に、構えるは平突きの構え。


幾度と無く、数多もの強敵を撃ち破った必殺の平突き。

狙うは一閃、放つは一瞬。

「ああ、そうか…………それが————、」



————振り下ろされた刃と稲本の突きが交錯する。


ひび割れる二つの黒刃。

音もなく、二つの刃は砕け散る。

黒き破片は雨か雪か、空へと舞い上がった。


そして、放たれし一撃は——————

「お前の剣か…………!!」

「暁闇斬————————ッッッッ!!!!!」

今初めて、刃狼を捕らえたのだ…………




明けた空の下。

一人の男は地に伏し、一人の男は立ち続けた。


その零から一を作り出した剣士は、暁闇さえも切り裂いた。


そして勝利を手にした彼、稲本作一は————、

「約束…………ちゃんと守ったぜ…………」

笑顔でその場に膝を突き、静かに崩れた…………


—————————————————————


「稲本さん…………!!」

「稲本…………!!」

たちまち駆け寄るアレクシアと黒鉄。

「聞こえるか……稲本……!!」

黒鉄が稲本の身体を揺さ振りながら反応を見る。

だが目は虚で、もはや焦点も合っていない。

「稲本さん……!!返事をしてください……!!」

アレクシアの必死な呼びかけ。

その瞬間、僅かながら目蓋が動いた。

「っ……!!稲本!!!!」

「稲本さん!!!!」

そして再び二人が呼びかけたその時、

「…………ちゃんと、聞こえ……てる、よ…………」

ほんの少し口角を上げて答えたのだ。



「この馬鹿…………全力の出し過ぎだ…………!!」

「そうですよ……!!万が一の事があったら……私…………!!」

「ほら……まあ…………どうにか……なったから……よ……」

その身体は微動だにせず。

されど彼はか細い声で辛うじて答えたのだ。


だが次の瞬間、アレクシアと黒鉄を強大な威圧が襲う。

「貴方は…………!?」

「貴様……生きて……!!」

二人の前に立つは、先の戦いで倒れたはずの刃狼。

その姿は人に戻れど、未だ強大な威圧感を放ち続けていた。

黒鉄が左手をナイフにかけ、戦闘態勢を取った次の瞬間、

「そう警戒するな小僧。今の俺にはコイツを殺すだけの力は残っていない。

全ての圧が消え去ったのだ。


よく見れば刃狼の両腕は折れ、黒鉄が彼から感じ取れる心音もどこか狂っていた。

そんな中でありながらも、刃狼は稲本に話しかけた。

「………お前には俺を殺すこともできた。だがお前は、それをしなかった。」

「…………ああ。」

「それが……お前の守る剣なんだな?」

「…………ああ、そう……だとも。」

静かに答える稲本。

破れた肺で息を吸うと、芯のある声で続けた。

「殺さねえ……殺させねえ……絶対に救う……それが俺の守る剣だ……」

それを聞くと刃狼は満足げに振り返る。

「お前の剣の純度は低い。」

「嫌味でも言いにきたのか……?」

「だが、その決意がある限り決してその刃が鈍ることはないだろう。」

「…………」

「そしてお前は何れ必ず天元へと至る。その時は、また剣を交えよう。」

「…………悪くねえ話だな。」

二人は笑顔だった。


決して和解したわけではない。

だが命を賭した戦いの中で、二人は互いを認めていた。

剣技の中に、互いの誇りや剣を振るう理由を見出した。

それが故に出せた答え、浮かべた笑み。

黒鉄やアレクシアには分からずとも、この二人だけは理解していた。


そしてバラバラという音が遠くから聞こえる。

ヘリだ。

「……ああ、それと。」

「……あ?」

「妹を頼む。」

「…………は?」

近づいてきたヘリから下ろされる縄梯子。

刃狼はそれを伝いヘリへと乗り込む。

そしてヘリのドアからヒョコりと顔を出した修道服姿の少女。

「じゃあねお兄さん達ー!!今度は私とも遊んでねー!!」

その少女が手を振る中、ヘリは遠く去っていった。


「…………全く、騒がせなFH共だ。」

「ああ……。でも…………これで、終わったん…………だな…………」

「ああ。」

「ようやっと…………休…………める………………」

「稲本さん!!」

その瞬間、糸が切れたように稲本の身体が地に伏した。

微睡の中、彼の耳には大切な人の声辛うじてと聞こえている。

だが次第に、彼の意識は闇の中へと沈んでいった…………


—————————————————————


朝焼けの空の下、彼はビルの屋上に立つ。

相対するは、彼が敬愛し続けた師。

「…………先生。」

『構えなさい。その剣を通じて、全てを聞くとするよ。』

「…………ああ。」

二人は鞘に納められた刃に手をかける。


そして軽やかに地を蹴り、交差した二人。

師の剣は砕け、ただ二人の姿が朝焼けに照らされていた。

『…………ちゃんと、見つけたんだね。君が誇れる正義を。』

「……はい。まあ、3年間回り道も色々しましたけどね。」

『それでも良いんだ。君の人生も、剣もこれからだからね。』

「まだこの先があるのか……」

『天元に至るんだろう?』

「……まあ、目指してはみるよ。」

稲本は笑みで答える。

少し照れ臭そうに、はみかみながら。


そして彼の姿は、徐々に薄れていく。

『…………元気でね、作一。』

「言われなくても、な。」

背景に、空に溶け、消えていく。


かつて暁の空で交わした約束。

それが果たされた今、この世界そのものが消えていく。

そして、今—————


—————————————————————


目を覚ましたその時、一番初めにその目に映ったのは大切な人の姿。

「…………稲本、さん?」

「…………ああ、おはよう。」

体はベッドの上で、数多の管や包帯で覆われていた。

それでも彼女に満面の笑みで答えた。


そこからの記憶はあまり定かではない。


ただ覚えているのは、大切な人の温かさと、この目に差し込んだ朝日の優しい光だけだった。


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