第18話 覚醒

暗い闇の中、俺は一人立っていた。

光もないはずなのに、輪郭はハッキリと認識できる。

両脚は絡めとられるように黒く澱んだ水の中に足首まで浸かっている。

その両腕も真っ赤に染まり、握られた刃もこびり付いた赤で錆びれていた。


————ああ、そうか。


俺は確信した。

これはあの悪夢の中だと。

ならば、現れるはずだ。


『よう、無様に負けたみたいだな。稲本作一』


殺す為に生まれた、もう一人の俺が。



『お前の剣は殺すための剣だ。』


容赦なく、淡々と告げてくる。

薄らと浮かべた笑みの向こう側には哀れみが見えた。


『3年前お前に言っただろう?俺はお前だ。例えどれだけ隠していようと、殺す為にお前は剣を鍛え、研ぎ澄ましてきた。』


事実だ。親父を殺した仇を殺す為にずっと鍛え上げてきた。


『そんな守る為なんていう生半可な理由じゃ、誰も守れない、誰にも勝てない。今回で思い知っただろう?だからよ————』


そいつは、手を差し伸べる。

『認めて楽になろうぜ、稲本作一。』

こちら側に来いと、堕ちてしまおうと誘ってくる。


————きっと、そうすれば楽になれる。


俺の剣は、殺す為に鍛えた。

守るにも純度が足りない。


ならば、この手を取るのが俺の本来進むべきなんだろう。


だから俺はその言葉に誘われるように、右手を伸ばし————



『…………何のつもりだ?』

「これが、俺の答えだ。」


笑顔で、その手を弾いた。



『何を言ってるんだ……お前の剣は……!!』

「ああ、きっと人殺しの剣だ。誰を殺してでも守る、それが俺の守る剣だったんだ。」


————そう、それしか知らなかったんだ。


「でも違う。それは、先生の剣だった。借り物の剣だったんだ。」


————借り物じゃ、何処かで詰まるのは当たり前だったんだ。


「それでも俺は殺す術しか知らなくて、ずっとその中で答えを、俺の正義を探してたんだ。」


————それも躍起になって、結局迷っちまった。


「でも、殺さなくていい、救っていい。そう言ってくれた人がいたんだ。」


————闇に迷い込んだ、俺の光だった。


「ずっと俺の剣を見てきたお前からすれば、たった一言で生き方を変えるなんて狂ったと思うよな。」


————この12年、全部否定するってことだもんな。


「けど、それでも俺は選んだんだ。もう誰も殺さない。救える限りの人を救うって、決めたんだ。」


————それが、俺の選んだ答えだから。


『お前の剣ではあの男に敵わない!!お前のその迷いだらけの剣では……!!』

「……それでも、俺は俺の守る剣で戦う。」


右手に握った、赤に濡れた剣を差し出す。


「お前が俺なら、俺もお前だ。その力を以ってアイツに勝つ。」

『ハッ……虫のいいことを言うんじゃねえよ……苦しみも何もかもから逃げる為に俺を生み出して、挙げ句の果てに力が必要になったら力を寄越せ?ふざけんなよ……!!』

「……お前の言う通りだ。俺は、こうやって自分の手が血に濡れたことから、多くの罪から目を逸らしてきたんだ。」


掴みかかってきた俺。

向こうの俺も、こっちの俺も、どっちの手も血塗れだった。


「きっと、誰かを救ってもこのこびりついた血が取れることはない。いや、そんなことはもう望まない。それでも、罪から、過ちからはもう目を逸らさない。だから————」




「力を貸してくれ、稲本作一。」

『…………ハッ。お前は馬鹿だ。大馬鹿だ。』

もう一人の俺は、呆れたように吐き捨てた。


『何が罪から、過ちから目を逸らさないだ。お前はもうとっくの昔からそいつらと向き合ってきたじゃねえか。』

笑いながらそれは言う。

けどそれはもう、哀れみも蔑みもなかった。


『だからよ、それでもう、十分だろ?』

そして、それは満面の笑みを見せたのだ。


『俺はお前、お前は俺。何かを殺す時も、守る時も、結局使える体は一つ。』

俺の持つ刃に、手を重ねた。

『貸すも何も、勝手に使えばいい。それが俺で、お前だろ?』

「だが、それでは俺はお前に……!!」

『そもそもお前が罪を押し付けただのどうのはおかしい話なんだよ、どっちも俺なんだから。それに俺はお前の迷いが生み出した存在だ。お前が決めたなら俺はもう、必要ないのさ。』

柄の方から、錆が取れていく。

そして全ての錆が剥がれた時、黒刃が姿を現した。


『純度が何だ、代用品が何だ。お前の剣は、俺たちの剣はそんな言葉で測れるものじゃねえだろ?』

「ああ……。」


黒かった水が透き通っていく。


『無から有を、零から一を作ってでも、勝つんだろ?』

「そうだな……。」


闇が晴れ、世界が白に包まれていく。


そしてそいつの体はもう、消えかかっていた。


『どんな手を使ってでも負けるなよ。』

「ああ、負けねえよ……」


前へ歩く。

もう、振り返らない。


答えはもう、この手にあるのだから————


—————————————————————

声が、聞こえる。


「————な本さん……稲本さん……!!」


誰かが俺を呼ぶ声。

聞き馴染みのある、優しい人の声。


体中が痛い。

体に力が入らない。

視界も赤く染まっててろくに見えない。


けど————、


「ほう、まだ立ち上がるか。」

「…………!!稲本さん!!」

「…………ってえな。」


倒れたままじゃ、いられない。


「お前の剣では純度が足りん。代用品の剣では俺には届かない。」

「…………ああそうだな。」


折れた剣を手にする。

「きっとこれからもずっと、俺の剣は純度が低くて、代用品なんだろうな……」


身体を起こす度に痛みが走り、息が漏れていく。


「けどよ……負けられない、守りたい、そんな想いだけで戦っちゃいない……。何より……!!」


砕けた体を、折れた心を奮い立たせ、最後の力を振り絞って立ち上がる。


「"戦う為だけの剣"に、負けるつもりはねえ……!!」


そして、折れた剣を黒き一刀へと姿を変えた。


「俺は、俺の守る剣でお前に勝つ…………。お前の戦うための剣に…………!!」

己が知る最強の一刀、月輪刀へと。


「ほう……気配が変わったか……」

もはや視界は消え、音もまともには聞こえない。

辛うじて意識と、戦意だけが残っているだけ。


————でももう、何もいらない。


必要なのはこの右手と、戦う意志だけ。


不要なものは全て捨て去るのみ。


この身体はもはや、敵を斬る為だけの一刀となる。

それが————、

「月下天心流 一之太刀————」

「ッ……!!」

『零之極至』だ。



一瞬の間に傷を負った刃狼。

その姿を捉えることも、反応することさえもできなかった。

あまりの事に硬直していたが、その堅苦しい表情を崩し、

「……………その純度で、まだ上を見せるか……!!」

笑ったのだ。


「もっと見せてみろ…………お前の剣を…………!!」

「ああ……。」

八本の刀を構える刃狼。

黒の一本を構えし稲本。


「いざ尋常に、」

「勝負……!!」


二人は音も無く、地を蹴る。


ゴングは鳴らない。

ただ金属同士のぶつかり合う音が、最後の戦いの始まりを告げる。


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