第15話 幕切

苛烈な戦いは幕切れ、夜の闇に静寂が訪れる。

青年は傷ついたその腕で少女を甲板に引き上げる。

「ふぅ…………ってか、お前も手伝えよな黒鉄!?」

「さっきの反動でこの通り右腕は動かん。」

「その左腕はなんのためについてるんだ、ええ?」

「お前を殴る為だ。」

「お、喧嘩か?やるか?」


「あの、ありがとうございました……まだお名前も聞けてないですが……」

二人の喧嘩に割って入るように礼を述べたアレクシア。

稲本も黒鉄もそれを蔑ろにする訳にもいかず、その礼に応えた。

「俺はフリーランスの黒鉄蒼也。あくまでも君の事は仕事だ。礼はそいつと君の友人にするんだな。」

「友人……?」

「信用に関わるから誰とは言えない。だが、『友達を助けて』と頼まれた。大切な友人を助けて、と。そこの馬鹿はついでだ。」

「ついでかよ……」

そうは言いながらも彼は全力で二人を救ってくれた。

それが何よりも稲本には嬉しかった。


黒鉄は、なりふり構わず誰かを救おうとした人間に憧れ、それでも罪の意識から己を兵器と自称し悪を振る舞っていた。その男がいまその憧れを体現するかのように稲本とともに戦ったのだ。

ほんの数ヶ月前まではこんな光景は想像もできなかった。

「何だ、ジロジロ見て気持ち悪い。」

「いや、お前も変わったんだなと思ってな。」

「……変わらなければならなかっただけだ。アイツらと、お前達と生きる為にな。そういうお前こそ変わったよ。」

「へえ、お前がそういうこと言うなんて珍しいな。」

「……お前の剣に迷いがなかった、そう思っただけだ。」

「腐れ縁のお前が言うなら、そうなんだろうな。」

「お前との縁なんざさっさと切りたい物だがな。」

「え、何この場でも喧嘩を売るのかお前は?」


繰り広げられる二人の会話。

笑う稲本と仏頂面の黒鉄。

ボロボロになった稲本と、ほぼ無傷の黒鉄。

対照的ではありながらも、どこか似ている二人。

アレクシアから見れば二人はあからさまに仲が悪いように思えた。


アレクシアは、一度だけ二人が会話をしていたところを見た事がある。

あの時、黙示の獣がN市を脅かしていた時。

その時はとても重々しい雰囲気で、とても話しかけられるような空気ではなかった。


だが、今の二人の間に決して険悪で重々しい空気はない。

むしろこの様な死闘を繰り広げた後というにも関わらず、とても、とても暢気とも言える空気が漂っていた。


きっと、友情や仲間意識なんて物よりももっと強い繋がりで彼らは結ばれているのだろう。

そして彼らがこうも気兼ね無く話せているのは、きっと彼らに何か大きな変化があったのだろう。

そう思えるほどに、この場の空気は和やかであったのだ。


「……で、脱出はどうするよ。」

「稲本さんはどうやってここまで来たんですか?」

「アレに乗ってきた。」

甲板に転がるバイク、の残骸となったものを指差す稲本。

そもそもバイクが空を飛ぶはずもないが、アレはもう動かないと素人のアレクシアでも分かる。

「脱出艇の一つや二つはあるだろう。それを一つ頂いていくとしよう。」

「おうよ。とりあえず早く帰ってみんなを安心させ————」




言葉が止まった。

重々しい空気が彼らに、稲本にのし掛かった。

「稲本さん……?」

「……悪い、二人で先に帰っててくれ。」

感じ取れたのは確かな殺気。重い口調と共に稲本はそれの元へと目を向けた。


稲本の視線の先、そこには薄汚れた着物に4本を帯刀した男。

男が放つ殺気か威圧感それは余りにも大きく稲本の脚を止めた。

ゆっくり、ゆっくりと一歩ずつ近づいてくる。

その度に空気が重くなっていくのをこの場の誰もが感じ取れた。


そして、50歩の距離。

稲本とその男は睨み合う。

「…………よう刃狼。その様子じゃタダでは帰してくれねえみてえだな。」

「ああ。貴様を殺すように命令を受けている。」

後ろにはアレクシアと黒鉄。

消耗し切った二人が戦闘に巻き込まれば確実に無傷では済まない。

「…………二人に手を出すつもりはないんだな?」

「ああ、お前だけが対象だ。」

「もし仮に俺が逃げたら?」

「どんな手を使ってでもお前を殺す。」

「…………そうか。」


稲本は全てを納得したのか、月輪刀を黒鉄に投げ渡す。

「黒鉄、アレクシアとこいつを頼む。」

「…………分かった。」

「稲本さん……!?」

全てを察したアレクシアは稲本に駆け寄ろうとするが、黒鉄に止められる。

「っ……!!黒鉄さん……止めないでください……!!このままじゃ稲本さんは……!!」

「……………稲本、そいつと戦うつもりなんだな?」

「…………ああ。アイツの狙いが俺なら俺だけが残るべきだ。」

稲本は左手の中に刀を創造する。

ただ一重に、それは戦意の証。

「それに、あの人と俺の剣を否定されて黙ってもいられねえよ。」

そして、覚悟の証でもあった。


「でも……あの人と戦ったら稲本さん……!!」

アレクシアの心配ももっともである。

稲本は先の戦いで死の淵に立たされた。


だが、彼の答えは変わらない。

あの日、躊躇ったせいで救えなかった命があるから。

もう二度と失わないと、心に決めた想いがあるから。

「…………傷付くことになっても、命をかけてでも守りたいものが俺にはあるんだ。だから俺は、戦うよ。」

笑顔で応える。

3年前のあの日に、大切な人達に応えたように。


「なら稲本さん……約束してください……」

少女は稲本の思いを汲み、それでも涙を堪えながら言葉を放つ。

「私と……生きて一緒に帰るって…………!!」

心からの叫び。大切な人の心からの言葉。

あの日と同じように、稲本の心を動かすには十分だった。

「…………参ったな。これじゃ、あんま無茶はできねえや。」

ほんの少し、ほくそ笑む。

そして————

「約束だ。君と必ず生きて帰る。」

満面の笑顔を最後に、男は剣を構えた。




「……始めるとしよう。」

「ああ。」

二人の男は各々の剣をその手に取る。

闇の中に薄らと映る輪郭。

それ以上に互いの殺気が意識の水面に映り込んでいる。

刃狼から発せられる殺気は静かなれど強大で、水面を揺らす。

対して稲本の意識の水面はとても静かで、揺れる気配すらもない。


互いの姿は見えない。

だが、戦うにはこれで、 十分だ。


「…………我が名は月下天心流十七代目当主、稲本作一。」

名乗りなど無意味かもしれない。答えられないかもしれない。

それでも全力で刃を交える以上それが礼儀だと思えた。

「二天一流、宮本燐音だ。」

そして予想に反し、その答えは返ってきた。

「行くぞ。」

「……ああ。」


瞬間二人の足が地を離れ、闇の中で刃が煌めいた。


零距離で睨み合う男と男。

鈍くぶつかり合う金属と金属の音。

この音が、最後の戦いの幕を切り落とした。


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