第2話 黙示

3月7日 昼下がり

桜と梅の混じった匂いがほのかに香る街の中、青年と少女は並んで街を歩いていた。

「だ、大丈夫ですか稲本さん……?顔色が悪いですよ……?」

「大丈夫大丈夫……。今日は約束してたし、これくらいならいつものことよ。」

いつもの事と言うには、流石に無理が生じていた。

ブロンドの少女、アレクシアもそれに気づかないほど鈍くは無い。

「ダメですよ稲本さん、怪我ならまだしも病気とかだったら……」

「悪い夢を見ただけだよ。だからこうやって外に出てた方が気が晴れるんだよ。」

「それなら、いいんですけど……」

決して強がっているわけではなく、彼は本心から口にした。

それでも彼は頭の何処かであの悪夢を拭えないでいた。


そんな彼の憂鬱とは対照的に、街は卒業ムード一色だった。

「そういえば日本は今が卒業の時期なんですっけ。」

「ああ。ドイツは確か夏頃なんだよな。」

「はい。だから少し日本の学生さんが羨ましいです。こうやって桜を見ながら卒業できるなんて。」

アレクシアは一年ほど前にドイツから来た留学生である。

かつて事故に巻き込まれレネゲイドビーイングによって一命を取り止め、身体を貸す形で共存していたが、ある事件を境にまた彼女の人格が表に出る様になっていた。

それももう、半年以上前のことだが。


「アレクシアが3年後にこっちの大学を卒業するときもきっと綺麗に咲いてるさ。」

「そうですね。楽しみにしてます。」

二人はカフェに向けて咲き始めの桜が彩る街道を歩いて行く。

今日は桜をモチーフにした新作のスイーツ目当てで二人は赴いていたのだ。


————嫌な、予感がした。

「どうしたんですか、稲本さん?」

「……いや、気のせいだったらいいんだが。」


何の予兆もない、本当に唯の勘違いかもしれない。

だが気のせいだったらいい、これは大抵は気のせいで済まないのが世の常である。

そして稲本はその嫌な予感をいち早く察知する事で生き抜いてきた。

できるだけ表には出さないようにしていたが、既に辺り一帯に感覚を張り巡らせていた。


間も無く、その予感は現実へと変わった。

「ワーディング……!!」

それはオーヴァードによる宣戦布告そのもの。

「い、稲本さん!?」

「何かが来る……!!」

アレクシアを庇うように立つ。

未だ姿見えぬ敵が、いつ襲ってこようとも護れるように。


そして、二人を狙った"影"が頭上から襲いかかってきたのだ。

「キャッ……!?」

「っ…………らぁ!!」

咄嗟の居合切り。

形ある影はその場で切り裂かれ、奇襲は未然に防がれた。

「今のは……ウロボロスの攻撃……!!」

稲本が手にしている刀は折れ、というよりは途中から先が消滅していた。

ウロボロスのシンドロームはレネゲイドを喰らう。故にエフェクトによって作られた刀は先を失っていた。


そして現れた人の形をした人ならざる獣。

明らかに人の形をしているにもかかわらず、その様相から獣だと判断できた。

同時に、稲本はそれに対して見覚えがあった。

「クワ……セロ……!!」

「黙示の……獣……!?」

黒き仮面を着けたそれは、対オーヴァード兵器として作り出されたレネゲイドビーイング。

かつて『13』と呼ばれたUGNにおける非公式部隊が作り出したおぞましきもの。

それは確かについ数ヶ月前まで存在を残していた。

それさえもN市支部のメンバーや黒鉄の死力により根絶した筈だったのだ。


だが、それは今彼の目の前に存在する。

加えて街の中で上がる悲鳴の声。

声の数から複数体いることも確認できた。

「クソッ……本部、こちら暁!!市街地にて黙示の獣を確認!!増援を!!」

稲本が通信を送っているその最中でさえ、目の前の黙示の獣は容赦無く二人目掛け影を放つ。

「アレクシア、離れないでくれよ……!!」

「は、はい……!!」

稲本は再度刀を創造し影を斬り落とす。

刀は再び失われるが、二撃目が来る前にウエポンケースからナイフを取り出し刀を創造する。


近づいてくる獣。

その手は鉤爪が如く形を変え、稲本等に接近してくる。

稲本もアレクシアにその矛先が向かぬよう庇う体制は変えず、両手で持った刀で爪を受け止める。

「人のデート邪魔やがって……覚悟しろよ……!!」

仮面に向けて叩きつける顔面。

黙示の獣であっても瞬間的には力が緩む。

「ってえなぁ……!!」

額から血を流しながらナイフを投射する。

命中したナイフは雪の花が如く獣の胸部を結晶へと変える。


ボロボロと崩れ始める身体を保持しようとする獣。

だが、防戦に回った時点で獣に勝ち目はもうない。

「月下天心流、五之太刀————ッ!!」

構えるは必殺の型。

防御不可にして最大火力の一太刀。

「暁…………!!」

一閃の突きは獣の体を貫き、血飛沫を上げながら黒きソレは倒れた。


「これで1体……。怪我はないかアレクシア?」

「お、お陰様でなんとか……」

アレクシアは気丈に保っているが、よく見れば身体を小刻みに振るわせ、確実に怯えている。

無理もない。本来はこの様な戦いの場に来る様な少女ではないのだから。

「……まずは君を安全なところまで連れて行く。」

「でもそれだと……!!」

「もう時期増援も着く。救える命が優先だ。」

稲本はアレクシアの手を引き走り始める。

それは大切な人を守りたいという想いだけではない。エージェントとしての判断でもあった。


悲鳴の上がったポイント、頭に入れた避難場所を頼りに少女を連れ走る稲本。

耳に着けた無線からは増援が辿り着いた事が確認できた。

「よし、このままいけば……!!」

拓けた場所へと出た。

あとは安全なところまで彼女を送り届ければ———



途端、稲本の足が止まった。

「……稲本さん?」

「…………」

アレクシアの問いかけにさえ答えない。

この状況で彼の感覚は全て、目の前に立っている男に集約されていた。

そこに先ほどまでの稲本のはいない。

今あるのは、鋭い闘志を顕にした彼の姿のみ。


そして、男は底知れぬ威圧感を放ちながらゆっくり、ゆっくりと近づいてきた。

薄汚れた着物に2本を帯刀した男。

決して大柄ではないが、無駄な肉のない筋肉質な体系。その見た目に反して今まで出会った誰よりも強大なプレッシャーを放ち続ける。

そのヒリヒリとした威圧感は、アレクシアでさえも感じ取ることができていた。

「……久しぶりだな、暁。」

口を開いた男。

発せられる一音一音が重みを持って彼らに届けられる。

「ああ。俺はもう会いたくはなかったけどな、"刃狼"。」

軽口を叩きながらも全力で警戒し、刀を構える稲本。

それもその筈。

目の前にいるのはかつて稲本を剣にて下した最強のFHエージェント、『刃狼』なのだから。

かつて一矢報いはせど、決して致命傷を与えることのできなかった敵が、立ち塞がる様にそこにいる。


「何が目的だ。何のために街を襲わせた……!!」

「その女だ。」

そしてその問いに、厳かに、静かに男は答えた。

「何で……この子を……!?」

稲本は動揺を隠せない。

何故この戦いにおいて最も無関係な少女が。

そんな疑問が稲本の脳内を駆け巡る。


「……いや、だったら尚更テメェは通すわけにはいかねえ!!」

だが、そんな疑問などどうでもいい。

ただそこに倒さねばならぬ敵が居るだけだ。

「そうか。」

刃狼も二本の刀を手に、稲本と相対する。

「……アレクシア、このまま走って逃げてくれ。」

「稲本さんも一緒に……!!」

「ダメだ、君が狙いな以上君を危険な場所に置いておくわけには……!!」

「なら、守ってください……稲本さんが私を……!!」

「…………いざとなったら、逃げろよ。」

稲本は再度その手に持つ一刀を強く握り締め、己を奮い立たせた。


そしてこれ以上言葉を交わす事はなく、二人の剣士は一歩前へと足を踏み出した。


重く、鈍い金属音が空に鳴り響く。

それは、闘いを報せる鐘が如く。


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