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「結局は」とナターシャが言う。「ヒドゥルは蜥蜴の言葉を自分に都合よく解釈して、勝手に崇拝して、仲間に取り込もうとしてる。なにをどうやるのか知らないけど、これまでルエルが持ちえなかった暴力装置を手に入れようとしてる。そういう話でしょう」

「そうだね。姉さんは君たちフィンチ一族にさえ打ち勝てる自信があるらしい。どんな存在ならやり合える? 正直なところ、僕には想像さえできない」

「きょうだいたちはともかく、お母さまは誰も恐れない。嫌ってるのはあの蜥蜴だけ」

 ねえ、と私は口を挟んだ。

「いま訊くことじゃないかもしれないけど、奥方さまはどうしてそんなにパイクを嫌うの?」

「蜘蛛にとって蜥蜴は敵だから。あなたが答えたことだよ」

「そうだけど――私の知ってる蜘蛛は、ナターシャや奥方さまみたいな感じじゃないんだよ。正面から喧嘩したら、どう考えてもパイクより奥方さまのほうが強いよね?」

 うん、とナターシャは応じたが、今度は自分でも少し困っているような風情で、

「強いはずなのに――私にも分からない。とにかくあの蜥蜴のことだけは嫌うの。嫌っていながら、絶対に殺そうとはしない。生かしたまま手出しせず、屋敷には立ち入らせないようにって、私たちは強く命令されてる」

「なんにしろ彼は戦力たりえない。体の小さな理論家だ」

 そう断じてから、エスベンは独り言のように、

「姉さんが憑かれている力、カリストフィアに変革をもたらすほどの力。正体はなんだ? やはりただの妄想なのか?」

 通路が途絶えた。足許にはぽっかりと大穴が口を開けている。向こう岸が存在するのかは、私の目には分からなかった。ただ闇ばかりだ。

「下りるよ」

 ナターシャが私とエスベンを引き寄せたかと思うと、穴に身を躍らせた。一瞬の落下感ののち、速度が緩んで宙吊りになる。滑るように下降していく。

 やがて床に辿り着いた。暗闇の底に降り立ったと思いきや、存外に目が利いた。壁や石畳自体が仄かに発光しているかのようである。

 奥まった位置にあるトンネルに入り込んだ。天然の鍾乳洞めいた凸凹した光景ばかりが続いたかと思えば、不意に手摺やアーチといった造形物が現れたりする。まだ作業の途中なのかもしれない。きっと今まさに掘り進められている場所なのだ。

 斜面を下っていくと、不意に背の高い扉に行き当たった。施された綿密な彫刻が、光を跳ね返して鈍く輝いている。特別な空間へ通じているのだと私にも直感できた。

 ナターシャが両腕をかけ、ゆっくりと押し開けた。余程のこと重いはずだったが、彼女の動作は例によって悠然としていた。低い異音とともに、隙間が領域を広げていく。

 その先は大広間だった。ルエルたちが儀式を行っていた部屋に似ている。一段高くなった舞台があり、その周囲の壁際に、いくつもの像が並んでいる――。

「これ、やっぱり」

 という私の呟きは、突如として生じた轟音に掻き消された。後方の扉が閉ざされていた。錠の落ちる音が続く。面食らって駆け戻ろうとした私に向け、

「いざとなったら切り刻んで開ける。だから慌てないで。それより――ほら、お出迎えだよ」

 ナターシャが両腕を広げ、上方を仰いだ。同時にエスベンが私の袖を引き、壁際まで下がらせる。

 怖々と視線を巡らせると、間もなく天井付近に蠢くものを認めた。距離が遠く、色合いも暗いせいで、形までは判然としない。しかし巨大だ。徐々に接近してくる。

 不意に落下した。地響きが起き、天井から粉塵が降りそそいだ。

 空中で反転して着地する、その動作にどこか既視感を覚えた。外見はかけ離れている。かけ離れているはずなのに、なぜか「彼」を想起させた――。

 四つ足の巨竜だった。がっしりと図太い胴体は、無数の岩が複雑に組み合わさってできている。全体に凹凸が目立ち、筋肉が異様に隆起しているようにも、装甲を纏っているようにも見えた。一瞥すると黒っぽいが、ところどころ、蒼白い色味が覗いてもいる。

 重々しい頭部は、歪な棘や突起に覆われていた。角なのか、耳なのか、あるいは装飾なのかは分からない。首の付け根から下顎に至るまで、平坦な箇所はほとんど存在しなかった。

 四方八方に向けて飛び出した棘の内側で、口がゆっくりと開閉していた。やや斜め向きの牙は黒く艶めいて、磨き上げられた刃物のように鈍く輝いていた。

 もっとも奇異なのは、盛り上がった肩から翅を思わせる物体が生えていることだった。鳥の翼にも、蝙蝠の羽にも似ていない。薄いヴェールのように半透明で、明らかに虫のものに近いのだ。

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