13

 隠し部屋の類は〈ルエルの園〉じゅうに無数にあるのだと、エスベンが説明した。岩盤を抉って作った地下の層では、今でも新しい部屋が生まれつづけているのだという。

「つまり地下迷宮みたいな?」

 私が問うと、彼は小さく頷いた。

「全貌は僕にも分かりません。掘削に当たるルエルにさえ、すべてが伝えられているわけではない。把握しているのは姉だけでしょう。〈ルエルの園〉の地下は、いわば姉の理想宮なんです」

「職権乱用」

 壁に凭れたまま立っているナターシャが、短く洩らす。まったく同感だったが、とくべつ言及はしなかった。代わり、私は少し考えてから、

「ヒドゥルが地下を開拓しはじめたのはいつ? みんながおかしくなった時期と重なってる?」

「まさしく同時期です。思想が変わり、儀式が変わり――姉は愚かですが、無能ではありません。大半のルエルの心を掌握し、意のままに操れる根拠があるはずです」

「なにが起きてるか、弟のあなたでも知らないの?」

 エスベンは吐息して、

「弟だからといって、常にいちばん近くにいたわけではないんです。距離を保ってきたからこそ染まらずに済んでいる、とも」

「行ってみれば分かるよ」とナターシャ。「私ならあいつの気配を追える。どれだけ深く潜っても関係ない。追い詰めて――」

「殺す?」

 エスベンの言葉に、ナターシャは短く沈黙してから、

「どうしても必要だったら。そのときは――私を憎んでいい。私を許さないで」

 エスベンは視線を伏せた。しばらく俯いていたかと思うと、ゆっくりと歩き出した。壁際のナターシャと向かい合い、低く穏やかな声音で、

「僕は君を信頼する。だから心配しないで」

 行きましょう、と振り返った彼が口調を強めて言った。扉が開かれる。〈ルエルの園〉特有の、狭く薄暗い通路を、三人で連れ立って進んでいく。隙間をくぐり抜け、階段を下り――先陣を切るナターシャの歩みは迷いない。宣言したとおり、まだ気配が追跡できているのだろう。

 やがて壁やアーチに施された装飾の雰囲気が様変わりしてきた。知識を持つでもない私の目にさえ区別が付く。上層よりも明確に手が込んでいて、一見すると美麗だ。しかしどことなく異様でもあった。ヒドゥルの本拠地に近づきつつあるという意識のせいかもしれないが。

「ヒドゥルはパイクの教えを履き違えてるって言ってたでしょう。具体的にどういうことなの? パイクは寺院にいたとき、なにを教えてたの?」

「簡単に言えば、弱き者たちに団結を説いたんです。カリストフィアにはさまざまな種族がいます。フィンチ一族のように力ある者たちも、弱い者たちも」

 エスベンが滑らかな口調で答える。説明するタイミングを見計らっていたのかもしれない。

「今はそれぞれが、カリストフィアの掟に従いながらも、ばらばらになって暮らしています。他種族のことをほとんど知らず、繋がりもなく、偏見が罷り通っている。このままでは駄目だとパイクは考えたんです。ひとつになる必要はない。強き者たちに隷従する必要もない。小さき者たちどうしが緩やかにでも連携すれば、力を生み出せる。それがカリストフィア全体の繁栄をもたらすのだと」

「私にはカリストフィアの事情はよく分からない。でもそう聞くと、パイクの意見はもっともだと思う。上手く……行かなかったの?」

「だいたいの意味で、あなたの想像どおりではないかと思います。パイクは、このままでは〈大いなる災厄〉に立ち向かえないから連携が必要だ、と主張しました。しかしいつ訪れるとも知れない、ただの伝承かもしれない危機に、一致団結して備えられるはずもない。それ以前に僕たちは、互いの相違を認めて共存できるほど成熟してはいません。他種族を出し抜き、あるいは取り込み従えて、自分たちだけが力を獲得しようとする動きばかりが起きました。小さき者たちに力を――結束の、というパイクのもっとも重要視した部分が、すっかり抜け落ちてしまった」

 私は肩越しにエスベンを見た。獣の角、蔓草の髪、そしてあらゆる光と闇を湛えた虹彩。

「ルエルは、いろんな種族の血が混じってるんだよね?」

「そしてルエル以外の何者にもなれない。僕らはあらゆる種族と交わることができますが、生まれてくるのはルエルだけです。僕たちの血が混じればたちまち、石から離れられない、生命力の希薄な生き物になってしまう。そういう定めなんです。呪いと言ってもいい」

 言葉が無かった。私の背中に向け、少年の声が続ける。

「僕らはどこにも行けず、何者にもなれない。それでも誇りだけは忘れていないと、僕は信じてきました。たとえ弱くても、この世界に陰ながらでも貢献できる。互いに分かり合える日が永遠に来なくても、理想だけは捨てずにいられる。僕が信じるのはそういった力です。だから僕は、なんとしても姉を止めなくてはならない」

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