12

 ナターシャは頷き、そっと手を伸ばして私の首元に触れた。服をずらし、肩を露出させる。血管の位置を確かめるように指先を這わせながら、幾度か軽く圧迫した。やがて、

「安心して。力を抜いていて」

 言いながら、寝台に上がってきた。私に覆いかぶさるような姿勢を取る。私は少しだけ顔を傾けて、彼女が先ほど狙いを定めたあたりの部位を晒した。息を詰めて待つ。

 首筋に吐息を感じた。唇があてがわれる。肌が自分でも思いがけない弾力を発揮してナターシャの牙を受け止めた。咽から小さく声が洩れた。

 ゆっくりと侵入してきた。不思議なことに感覚は最初、尾骨や下腹部のあたりに生じた。むず痒い痺れがやがて、熱へと変じる。自分の中でなにかが膨らみ――破裂した。

 瞬間、激痛になった。体が痙攣し、ひとりでに跳ね上がった。 

 がたがたと手足が震える。どうにかして逃れたかったがナターシャに押さえつけられていてまったく身動きが取れなかった。呻きながら彼女の背中に両腕を回して服を握りしめた。体が密着する。

 信じられない。信じられない痛みだ。

 固く目を閉じ、苦痛が去るのを待とうとした。終わる、終わる、すぐに終わる、とひたすらに念じたが、いったん始めたら中断できないというナターシャの警告を思い出して意識が白く染まった。涙や汗がとめどなく溢れ出して、皮膚を伝い落ちていく。私はすっかり絶望に支配されていた。

 薄く目を開けるとナターシャの頭部が視界に入った。私にのしかかったまま一心に首を噛みつづけている。髪を掴んで引き離しそうになったが思い留まり、代わりに手の中でくしゃくしゃに乱しながらまさぐった。荒げた呼吸の合間に、もう駄目、死んじゃう、と囁く。

 ナターシャの体液が、蜘蛛の毒が、突き入った牙を通じて私の血管を駆け巡っている。血と血が入り乱れ、溶け合って、心臓へと流れ込んでいく。収縮と膨張、灼熱と極寒、激痛と恍惚が矢継ぎ早にフラッシュする。あ、あ、あ、という自分の声が、深い霧に包まれたようにくぐもって聞こえている――。

 不意に圧迫感が去った。そっと牙が引き抜かれ、痛みもまた失せた。まばたきを繰り返して、溜まった涙を追い出した。

「よく我慢したね」

 ナターシャが両手で私の頬を挟み込むように撫でながら言う。終わったのだという実感が、少しずつ満ちてきた。

 私はようやく脱力して、両腕を体の横に投げ出した。深く息を吐く。ありがとう、とやっとのことで発した。

「少しだけそのままでいて。落ち着いたら動いても大丈夫だから」

 ナターシャが私から体を離し、指先で唇の雫を拭った。まだ薄らと血に濡れたままの顔でこちらを見下ろして、

「傷はすぐに塞がる。ほとんど目立たなくなると思うけど、万が一跡が残ったらごめんね」

「あ――うん」

 ずっと黙って控えていたエスベンが、ナターシャに近づいて布を渡した。彼女と私とを交互に眺めながら、

「どんな血?」

「正直に言えば、私のほうが呑まれそうだった」

「純度が?」

「それだけじゃない。上手く言えないけど」

 私は意図せず咳き込んだ。問答を中断したふたりに、大丈夫だと身振りで示す。ゆっくりと体を起こした。立ち上がってみる。頭痛やふらつきは――もう無い。

「無理をなさらないほうが」

 かぶりを振ってみせた。もう平気だ。私は生き延びたのだ。

「ナターシャとエスベンに、改めてお願い。私と一緒にパイクを助けて」

 ふたりはじっとこちらを見返してきた。やがて、柚葉さん、と先にエスベンが応じた。彼は自身の胸元に手を当てながら、

「僕はルエルとして、そして弟として、ヒドゥルを止めなくてはなりません。僕のほうこそお願いします。どうか共に闘ってください」

 頬をほころばせて頷いた。ふたりでナターシャを見れば、彼女は腕組みしながら、

「蜥蜴だけでいいの?」

「え?」

「〈天眼の塔〉に友達を助けに行くんでしょう? 最後まで一緒にやるよ。フィンチ一族は永劫、あなたに敬意を払いつづける。そして私は――あなたに永久の友情を」

 ナターシャが目隠しを外し、八つの目を露わにした。差し伸べられたその手を握りながら、私はしっかりと言葉を繰り返した。

「永久の、友情を」

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