8
トンネルへと入り込んだ。ナターシャの言葉どおり、曲がりくねりながら下方へと道が伸びている。足許は石を切り出して階段状にしてあり、また壁には等間隔で燭台がともしてあるので、歩くこと自体はそれほど困難ではなかった。しかし進むにつれて分岐が増え、どこをどう通ってきたのかまるで分からなくなった。
ずっと下りっぱなしだから逆に上りつづければ入口に戻れる――というほど単純ではないだろう。不安になってナターシャの腕を掴んだ。
「気配を辿れば帰れる。心配いらない」
「それは分かるけど――逸れたらどうしようかと思って」
「私はあの蜥蜴とは違う。あなたを置き去りにしたりしない」
ナターシャの声が幽かに気色ばんだので、私は慌てて、
「パイクにもきっと、事情があったんだよ。私に黙っていなくなるような人じゃない」
「理由はどうあれ、失態は失態でしょう。誑かされたにしても、攫われたにしても」
誑かす、という語が呼び水となって、脳裡にルエルたちの儀式の様子が甦った。白い肌を晒し、身をくねらせ、口づけを交わさんとして――あのとき少年の気配を察しなければ、きっと私は最後まで、儀式を見届けてしまったことだろう。まったくの異種族たる私の目にも、あれは恐ろしいほどに蠱惑的な光景だった。
「ルエルには誘惑の魔力がある」
内面を読まれたようでどきりとした。ナターシャは低く、
「どの種族に対しても、相手の雌雄も関係なく通用する。だから彼らは、いくつもの血を掛け合わせた、そのうえ性別不明の姿をしてる」
どう応じていいか咄嗟に思い付かず、ぽかんと唇を開いて彼女の横顔を見た。
「ただし実際に生殖能力のある個体は少ない。外部の血を受け入れるほどの力を持てるのは、数世代に一体の特別なルエルだけ」
「――ヒドゥルは?」
ナターシャは返事をしなかった。
突如として薄闇が領域を広げた。ずっと狭苦しい地下通路を進んできた反動もあって、すっと呼吸が楽になったような気さえした。天井が高く、壁が遠い。
人工的に整備された広間である。きっちりと石畳が敷き詰められ、壁面は平らに磨き上げられている。飾り柱が立ち並んで、奥に向けて通路めいたものを形成していた。行き当たったところに扉があり、鈍く光を照り返している。
「あそこだ」
足音を忍ばせて近づいた。場に不似合いな甘い匂いがする。ナターシャが扉を薄く開き、内部をちらりと覗いた。素早く顔をこちらに向け、目配せで私に合図する。ふたりで身を滑り込ませた。
小部屋に至った――と思った途端、かさ、と柔らかい感触が足裏に伝った。驚いて見下ろせば、床じゅうに干乾びた花びらが散らばっていた。薄赤い、奇怪な絨毯のようだった。
「これと同じ花だよ」
ナターシャの指先にはいつの間にか、私の預けた花びらがあった。頷き、足許から一枚を拾い上げてみる。ヒドゥルの頭部を飾っていたのは、確かにこの色だ。
剥き出しの、それでいて表層の滑らかな石ばかりの部屋だった。位置や形状から、これは机だろう、こちらは棚だろう、といった程度の推測はつく。奥の壁際には人ひとりが横になれるくらいの台座がある。ベッドには見えなかった。私が想起したのは祭壇だ――生贄の心臓を、神に捧げるのに使うような。
その横に、両腕で抱えられるほどの箱がいくつか積み重なっていた。一面が格子状になっている。順番に中を覗き込んだ。
「――パイク?」
何個目かの箱の隅に蹲っていた小さな塊に、私は低い声で呼びかけた。ずんぐりした体躯に、頭部から突き出した目。柵の隙間から指を差し入れてみたが、届かなかった。
どうやら意識を失っているらしく、まるで反応はなかった。箱ごと持ち出そうにも、重すぎて動かせない。すべてが石造りなのだ。
「居たの?」ナターシャが少し離れた位置から問う。「出せない?」
「うん」
「ちょっと下がって」
場所を開ける。彼女が空中で手刀を切る仕種をした――と同時に、パイクを閉じ込めていた箱の格子だけが外れ、音を立てて落下した。目に見えない糸を使って切断したのだ。
「パイク、パイク」
今度こそ箱に掌を突っ込み、彼の体を引っ張り出した。見るからに水分を失い、力なく萎びている。死んではいるまいと思ったが、確信は抱けなかった。ぴくりとも動かない。
頭陀袋から壜を出した。蓋を開け、中の水を浴びせかける。全身をずぶ濡れにした彼を掌に乗せた。指先で背中を撫でてやっていると、やがて幽かな振動が伝わってきた。眼球に意思の光が戻った。
「目を覚ました」
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