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〈ルエルの門〉と似た感じの、アーチが連なって形成された通路を進んだ。ところどころに灯された火が薄闇を追いやって、あたりを赤く照らしている。壁や天井には複雑な装飾や紋様が施されているようだったが、じっくりと眺めている余裕はなかった。
ヒドゥルを追うのが思いのほか大変だったのである。まるで急いでいる様子ではないのに、やたらと動きが速くて頻繁に見失いかける。落ち着いて見回せば必ず目に付くところで立ち止まって待っているから、いちおう私たちを先導している意識はあるらしい。しかし決してペースを緩めてはくれない。親切なのか不親切なのか。
中庭らしき空間に面した広間に通された。そこには複数名のルエルがいて、代わる代わる私たちに近づいてきた。男女の別、年齢の差はなんとなく分かるものの、全員が同じ服装、そして酷似した顔立ちをしていた。声の調子まで似ている。同じ一族なのかもしれないと思ったが、確信までは抱けなかった。
「お掛けになってください」
とヒドゥルが椅子を引く。長細いテーブルにはすでに銀色の皿が並んでいた。ほかのルエルは挨拶以来口を開くことなく、俯きがちに席に座っている。
全員が定位置に着くと、ルエルたちが一斉に不思議な文句を唱えはじめた。両掌を組み合わせているところを見ると、食前の祈りのようなものらしい。下手に真似をするわけにもいかず、私はただ黙って目の前の料理を眺めていた。パイクも同様にしている。
葡萄や林檎に似た、しかし私が知るより遥かに大きな果物。薔薇に近い花や色の深い葉も一緒に盛られているが、どうにも単なる飾りという雰囲気ではない。よく見れば貝殻や珊瑚、あるいはなんらかの頭骨を思わせる象牙色の物体さえ紛れ込んでいた。
食事が始まった。ルエルたちはいっさいを区別せず、平然と口に運んでいる。私は慎重に果物の一切れを手に取って、香りを確かめてみた。淡く甘苦い。
「どれも食べられる。ルエルにはこうした外観の食い物が旨そうに見えるんだ」とパイクが耳元で解説する。「不安なら私が先に食べよう。君とは体の作りが違うと言われればそれまでだが」
言いながら、彼は皿に近づいて葡萄の粒を咥えて戻ってきた。皮を剥いてあげようかと申し出る間もなく、一息に丸呑みしてしまう。
「よく熟している。旨いよ」
恐る恐る、林檎らしき一切れを食べてみた。確かに熟していて柔らかく、想像よりずっと甘かった。途端に空腹が意識され、次なる一切れに手を伸ばす。感嘆した。
いつの間にか、ヒドゥルが傍らに移ってきていた。やはりパイクのことを気にしているらしく、積極的に話しかけている。片耳だけでぼんやりと聞いていたが、昔話が中心で私にはよく理解できない部分が多々あった。あとで説明してもらえばいいだろうという諦念が、そのうち湧き上がってきた。ほかのルエルたちは相変わらず、なにも喋ろうとはしない。
私たちが最初に満腹になった。ヒドゥルが立ち上がり、食堂から私たちを連れ出して別の小部屋へと案内してくれた。寝室です、と彼女は言った。
生活感のまるでない、丸ごとひとつのオブジェとして保存されたような空間だった。机や書架やベッドといった一般的な家具のほかに、燭台、壺、バスケット、妖艶な色味の花などが並んでいる。それでいて雑然とした印象は皆無で、いっさいが寸分の狂いなく配置されているようだった。毛布の皺ひとつさえ計算のうえ残してあるかに思え、おいそれと寝転がるのが躊躇われた。私は曖昧に笑ってみせながらヒドゥルを振り返り、
「このお部屋――」
「ご自由に使っていただいて結構です。出てすぐの階段の先に浴場があります。湯を沸かしておきますから、よろしければ。なにか不自由がありましたら、私を呼んでください」
寝衣はここ、布はここ……淡々と定められた文章を読み上げるような口調で説明すると、彼女はすぐに部屋を出ていってしまった。ドアを閉じる音さえ残さなかった。
パイクとふたりきりになると途端に肩の梁が外れた。私はゆっくりとベッドに腰掛けて、
「あの人、何者?」
「ヒドゥルのことか」
応じながら、肩から腕を伝って下りてきた。両掌を広げて居場所を作ってやると、彼はその中央に陣取って私を見上げ、
「私が寺院にいたころ、見習いをしていた子だ。ずいぶん成長していたから、すぐには分からなかった」
「それはなんとなく分かったよ。話、少し聞こえたから」
「ならば幸いだ。ほかに伝えられることはない」
「なにも?」
「当時の彼女が学んでいたことについての話はできるが」
私は笑い交じりの吐息を挟んで、
「パイクって偉かったんだよね? 師弟関係だった?」
「指導をしたことはあるが、ときおり質問に答えたといった程度で、教え子だったわけではない。シャグラットの傍についていたこともあるし、別の師から学んだことも多くあったろう」
「特別な存在じゃない?」
「特別ではない」
そう、とだけ言って、流した。顔も覚えていなかったくらいだから、少なくともパイクにとってその言葉は真実なのだろう。ふたりの関係にゴシップ的な関心が湧かないではなかったが、それ以上の言及はあえてしなかった。この思いがけない再会が先へと繋がるのか、一瞬の交差で終わるのかは彼ら次第だろう。どちらにせよ私に関与しえることではない。
「凄く疲れた。お風呂に行ってくるよ」
と告げて部屋を後にしようとすると、パイクが卓上の壜を示して、
「帰り際、水を汲んできてくれないか。適当な器をひとつ借りて、私も水浴びをしたい。湯でなくていい。冷たい水だ」
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