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 突如、丘の上へと出た。柔らかな草を踏んだまま立ち止まった。わあ、と私は思わず声を洩らし、肩に乗せたパイクに向けて、

「これがカリストフィア?」

 自身を取り巻く景色に感嘆していた。遥か彼方には山々の影が青く浮かび、またその下には深い緑色をした森が、延々と広がっている。苦労して抜けてきた〈大いなる未知の庭〉が、この広大な世界のほんの一部しかなかったことを、私は知った。

「ようこそ、と言っておくべきかな。来訪者たる君に、カリストフィアの住人として」

 目を細めて空を仰いだ。太陽は私が知るよりずっと遠く、そして薄らと雲に覆われて、ぼやけて見えた。再び私は歩き出し、周囲を見渡した。

 木々や、硬い灰色の岩や、背の高い植物。一見、現実にも存在するものばかりだが、なんとなく様相が違う。細部のどこがどう――というのではなく、油絵と水彩画のように、世界の質感自体が異なって感じられるのだ。なにもかもが、淡い。

 こっちだ、とパイクに促される。なるべくなだらかなルートを選びながら、斜面を下っていった。奥方から貰ったドレスは存外に動きやすく、私はそれなりに軽快に歩みを進めることができた。蜘蛛の糸というのはやはり機能的らしい。

「今度は君の友人の話を聞かせてくれないか。なんでもいい。どういう人物なのか知っておきたいんだ」

 平地へと至り、足場が楽になると、パイクがそう話しかけてきた。思い出はそれこそ幾らでもあったが、いったいどれが姫室理宇という少女を説明するのにふさわしいのか、私には判じかねた。近しい友人には違いない。しかしすべてを知っているわけもない。

「じゃあ、小さかったころの話を。理宇と出会ったときのこと。私たちは幼稚園生だった」

「幼稚園?」

「あなたたちで言う寺院みたいな――もっと小さい子供が通う教育機関とでも思っておいて。私、幼稚園嫌いだったんだ」

 理由は数多あった。まず通園のためのバスからして関門で、私は大変に車酔いしやすい子供だった。せいぜい十五分か二十分にすぎなかったであろうその時間が、私には苦痛でならなかった。ぼんやりした頭痛と、寄せては返すような胸のむかつき。

 通園の不快感に拍車をかけていたのは、常に隣の座席に座ってくる少女だった。同級でも、むろん親しいわけでもなかった。年下の私にちょっかいを出すのを面白がって、相手のほうから接近してくるのである。送迎の都合上、バスに乗るのは必ず私が先、彼女が後だったので、私には逃げるすべがなかった。

 子供どうしの些細なふざけ合いだったのかもしれない。しかし当時の私には、それが我慢ならなかった。ちょっとした言葉を大袈裟に取り上げられるのも、持ち物にやたら触れられるのも、車酔いした顔色を笑われるのも、なにもかもが厭だった。体調不良を装って幼稚園を休んでしまおうかと、何度となく考えたほどだ。

 そんな調子で半年ほど過ぎたある朝、今日から新しいお友達が入ってきます、ちょっと違う道を通ってお迎えに行きます、と添乗員役の先生が宣言した。私が嫌々バスに回収された直後のことだった。

 快活なステップで乗り込んできた「新しいお友達」と目が合った瞬間を、私は今でも鮮明に思い出すことができる。彼女は人懐こそうに笑い、そしてなんの躊躇もなく、空いていた私の隣の席に座ったのだ。

「それが姫室理宇だった、と」

「うん。理宇は、私の嫌がるようなことはなにもしなかった。普通に自己紹介しあって、普通に話して、気分が悪くなったら気遣ってくれて。当たり前のことみたいだけど、私はそれが嬉しかった。この子と友達になりたいって思った」

 次の停留所では、例の意地悪な少女が予定通り拾われた。自分の定位置が塞がっていることに気付くなり憤慨し、私は柚葉ちゃんと仲良しなんだから退いてよ、といきなり理宇に食ってかかった。そういう認識だったのかと驚いたが、だからといって印象が好転するはずもない。年上の、平均よりずいぶん体の大きな少女が凄むさまは、当時の私には単純に恐怖の対象だった。座席で縮こまり、視線を彷徨わせるばかりだった。

 肝を抜かれたのは理宇の反応だった。彼女はまるで怯むことなく、

「そういう言い方、よくないと思うよ」

 と言い返したのだ。相手は激昂し、引っ越してきたばかりの癖に、ちびの癖に生意気だと詰ったが、理宇は平然としていた。騒ぎを聞きつけた先生に少女が連れていかれるまで、懇々と説得を続けたのである。

「――幼い時分から倫理観を持ち合わせた人物だった。それは重要な情報だ」

「牢獄に入れられるような子じゃないって、なんとなくでも伝わった?」

「ああ。君にとってその人物は、昔からよい友人のようだ」

 私は頷いて、

「私はもともと内向的っていうか、暗い性格なんだけど、でも理宇のおかげで少しは明るくなったなって思える。私を外に連れ出してくれるのは、いつも理宇だった」

 今回も、という呟きと、柚葉、というパイクの呼びかけが重なった。私は足を止め、

「なに?」

「そこへ折れるんだ。だいぶ近道だから」

 近づいて覗き込んだ。雑木林が左右に分かれ、ぽっかりと入口を形成していた。乾いた土が剥き出しになった小路が、どこへともなく伸びている。

「日が暮れるまでには、麓の集落に辿り着くだろう。明日の朝一番に、〈天眼の塔〉へと出発する。それで構わないか?」

「いいけど、泊めてもらえる当てはあるの? お金、ぜんぜん持ってないよ」

「私がどうにかしよう。あまり贅沢は期待しないでもらいたいが」

「寝泊まりできればいいよ。すごく助かる。その集落にも知り合いがいるの?」

 パイクは首を傾け、

「彼らとは知り合いと言っていいのか――まあ、話は通じるはずだ。内面の分かりにくい連中だから君は困惑するかもしれないが」

「どんな人たち?」

「私の語彙では説明が難しい。連中はルエルと呼ばれている。その住処を〈ルエルの園〉というんだ」

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