Chapter III: Feeding Utopia

1

 門を出た途端、暗褐色の小さな塊が塀から飛び出してきた。驚き、反射的に身を躱したが、塊は空中で向きを変えて易々と私の肩に貼りついた。「首尾よく事が運んだんだな」

 ああ、と私は息を吐きだした。視線を横に向けると、ひょいと頭部を差し上げ、大振りな目玉を回転させているパイクの姿があった。

「びっくりした。できれば急に飛んでこないで、ひと声かけてからにして」

「それは済まなかった。以後は肝に銘じる。それでだ、君はフィンチ家の奥方から、友人の行方を聞き出せたのか?」

「どうにか。すごく大変だったし、怖かったけど」

「だからあまり訪問したくない相手だと言っただろう。ともかくも君が帰ってきてよかった。この服は、奥方からの贈り物か?」

「うん。友情の印だって」

 はは、とパイクは短く笑った。

「気に入られたようだ。ずいぶんと上等な品だ」

 体色が変じ、ドレスへと同化していく。私はフィンチ家を一度だけ振り返ってから、パイクを肩に乗せたままで歩きはじめた。

「私たち、ゲームをしたの。それで私が勝って、理宇の居場所を教えてもらえた。〈天眼の塔〉だって」

「〈天眼の塔〉? 君の友人がそこにいると? 奥方がそう?」

 パイクが彼らしからぬ大声を発したので、私は思わず首を反対側へ反らせた。小さな体から飛び出てきたとは信じがたい声量だった。

「はっきりそう言ってた。どんな場所なの?」

 返答には少し間が開いた。パイクは右肩から背中を通って左肩、また右肩、と落ち着きなく歩き回った挙句、

「うん――分かった。私の知ることを正直に話そう。〈天眼の塔〉は、罪人の収容施設だ。それももっとも悪辣な者たちの」

 想定外の言葉に、私はひどく混乱した。

「なんで? なんで理宇がそんなところに?」

「私には分からないが、君の友人は極悪人ではないんだろう?」

「もちろん。理宇が極悪人だったら、私は悪魔だよ」

「悪魔か。それでも連中よりはましだが――まあいい。余程のことがなければ〈天眼の塔〉に囚われることなどありえないから、冤罪か、なにか別の事情があるのかもしれない」

 慎重に頷いた。そうに違いないと思った。理宇が些細な悪戯ならともかく、重罪を犯すことなど考えられない。

「理宇は無実だよ。絶対」

「行って話を付けよう。支配者の名は、シャグラットというんだ」

「一緒に来てくれるの?」

 当然とばかりにパイクは頭部を上下させて、

「私は君に命を救われた。君に報いる」

「よかった」

「当然のことだ。それにシャグラットは私の――古い知り合いなんだ。強情だが、理屈の分からない奴ではない。罪のない者に手出しはしないはずだ」

 ほ、と息をついた。朗報だ。

「友達?」

「友達ではない。面識があるというだけだ。仮に親交があったとしても、それで絆される類ではないな。厳格で酷薄だよ、正直に言ってしまえばな」

「どういう知り合い?」

「話せばそれなりに長くなるが、無理やりに短くするなら――同門だ。私たちはかつて、同じ寺院にいた」

 寺院はカリストフィアにおける教育機関を担ってもいるのだとパイクは説明した。かつては学生か、それに似た立場であったらしい。なんとなく親近感が生じた。

「私とシャグラットは専門が一緒だった。学んだのは、一言でいえば防御術だ。平和な時期だからこそという、同様の思想の持ち主だったわけだな」

「それでも、反りは合わなかった?」

「敬意を持てる面もあるし、相容れない面もある。向こうからしても、きっとそうなんだろう。君には意外に聞こえるだろうが、私たちはそれなりに将来を期待されていたんだ。ひとつの寺院を任されるかもしれない、という程度には」

「つまり後継者?」

「端的に言えばな」

 私は驚いてパイクを見やった。彼が年上である可能性、それなりの地位についている可能性に、今さらのように思い至る。態度を改めるべきかと考えていると、

「いいんだ。君に対しては、単なる友人として今まで通りに接してもらう以上のことを、私は望まない。それに私たちのどちらも、けっきょく後を継ぐことはなかったんだ」

 パイクは言葉を探すように沈黙を挟んで、

「単純な力量でいえば、彼のほうが上手だった。誰の目にもそれは明らかだったが、人格面で適任ではないという意見も多かった。それで私に話が回ってきた。しかし断ったんだ」

「理由を訊いてもいい?」

「なにが本当の理由か自分でも分からないくらい、理由はたくさんあった。そのぶん迷いもした。最終的に私たちは寺院を離れ、シャグラットは〈天眼の塔〉の支配者に、私はただの一個人になった。後悔はしていないよ」

 より詳しく聞きたい気もしたが、複雑な事情があったのだろう、と思うに留めた。カリストフィアにおける寺院がどのような組織なのか、その責任者がどういった存在なのか、どのような基準で選ばれるのか――疑問が疑問を呼んで、胸中で渦を巻いていた。

「話を戻そう。私たちの目的は君の友人を救い出すことだ。まずは〈天眼の塔〉へ赴き、シャグラットとの面会を取り付ける。私の名を出せば、彼は会ってくれるはずだ。君も立ち会ってくれて構わないが、話は基本的に私がする。私が質問したときだけ答えてくれ。余計なことは決して言うな。過剰に恐れる必要はない。だがシャグラットに隙を見せないように」

「覚えておく。パイクを信じて任せるよ」

 木々の密度が少しずつ減じた。足許にもいつの間にか、獣道らしきものが生じている。森の出口が近いのだと察した。パイクの尾は真正面を指している。

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