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 あはは、と愉快そうな奥方の声。

「申し上げたでしょう、指一本たりとも動かす必要はないと。お飲み物を召し上がりたいときは、どうぞナターシャに命じてください。お口まで、丁重に運ばせます」

「そういう話じゃなくて――なんのつもりですか? 私が拘束されないと出来ないゲームなんですか?」

 声を荒げてしまってから後悔した。黒雲が垂れ込めたような気配。

「我らフィンチ一族が常に心得ていることがあります。穿鑿好きは長生きしない。ひとまずは静かに、わたくしの言葉に耳を傾けることをお勧めします。よろしいですか?」

「はい、申し訳ありませんでした」

 浅く呼吸を繰り返しながら答えた。落ち着け。まさか殺されることはあるまい。カリストフィアは平和の地。パイクを信用するならば、だが。

 連鎖的に、彼の言葉が脳裡に甦ってきた。積極的に訪問したくない? それどころの話ではない。遊び好きで来客を拘束する? まさか物理的にとは。

「では、簡単にご説明を」

 どうやら落ち着きを取り戻してくれたらしい奥方が、ゆったりと発する。

「わたくしの出す問いに答えられたら、あなたの勝利。あなたは真実を知る権利を得る。間違えたら、あなたの大いなる敗北。あなたはこれから一年、この屋敷に留まってわたくしたちの遊び相手を務めていただく。沈黙を貫けば、回答を放棄したと見做して敗北。あなたはこの秋のあいだだけ、わたくしたちの遊び相手となる」

 影の奥方が領域を広げた。四方八方に向けて触手を伸ばしたような、あるいは身に纏う妖気を増幅させたような感じだった。ざわざわと揺れながら、手招いている。

「もちろん、ここで下りていただいても構いません。あなたはなにも得ず、この屋敷を去る。それも選択です。さあ、いかが」

 私は息を吐いた。

「確認させてください。この遊びを通して、それから私が負けて一族の遊び相手となった場合に、私が肉体的、精神的に、傷つけられることはありませんか?」

「そう重大に考えることはありません。ただの戯れです」

「私を傷つけないと約束してください。誓ってくださるなら――お相手します」

「もちろんですとも。わたくしたちフィンチ一族は、遊びによってあなたを傷つけるような真似は、けっして致しません。謎と遊びの一族の名にかけて、誓約いたします」

 ただし、と低い声で奥方が付け加える。

「安心をお約束できるのは、節度あるお客さまに対してだけです。あなたがフィンチ家の掟を九度、破ったなら、その時点で、わたくしはあなたを襲います。子供たちにも同じようにさせます。あなたを組み敷き、弄び、爪を立て、噛み、あなたの内側へと突き入るでしょう。そうとご理解ください」

 冷汗が額を伝う。奥方を見返しつつ、この屋敷に足を踏み入れてからの自分の振る舞いを反芻した。来客として不相応な真似はしていない――はずだ。まして九回も。

 この機会を逃すべきではない。私には、取り戻すものがある。

「分かりました。ゲームに乗ります」

 途端、影が凄まじい勢いで広がり、私の足許まで至った。長細い、腕とも足ともつかない黒々たる物体が床から突き出して、私の周囲でくねくねと踊りはじめる。総毛だった。

「それでは問いを。わたくしたちは、なにか?」

 しばらく、それが設問なのだと気付けずにいた。姿さえ見えない一族の正体を言い当てること。

 唐突に頬を張られたような心地だった。どこに糸口を探せばいい? 会話の中か? この部屋の中か? それとも――。

「どうぞゆっくりと、お考えになって」

「――はい、そうさせていただきます」

「結構」

 五分か十分、身じろぎもせずにいた。怪物、魔物、妖魔などといった語が脳裡を浮き沈みするばかりで、思考はそれ以上進展してくれなかった。怪物に正体を問われて怪物と答える馬鹿はいない。

「お考えのあいだ、そうね、少しお話を聞いていただきましょうか。なにかの参考になるかもしれませんし」

 笑いを含んだ楽しげな声で、奥方が申し出てきた。願ってもない。私はすぐさま、

「お願いします。ぜひ聞きたいです」

 と応じた。今は何も分からない。ともかく相手に喋らせておくべきだ。

「承知いたしました。それでは手始めに――わたくしが子供だったころの話をいたしましょう。とはいえ通り一遍の生い立ちをお伝えするのも面白くありませんから、好きだった遊びのことなどを。謎と遊びの一族に生まれた娘の物語として、ふさわしいものになるかと」

「はい。覚えておられることを、可能な限り詳しく話していただけると嬉しいです」

「ええ、もちろん。物心ついたばかりのころ――」

 そこで聞えよがしな咳払いが挟まった。奥方はのんびりとした動作で上方を見やりつつ、

「少し咽が乾いてしまったわ。お話の前に、少し唇を湿しましょう。ナターシャ、お客さまにもお飲み物を差し上げて」

 はい、お母さま、という返答と同時に、私を取り囲んでいた影がいったん、退いた。入れ替わりに赤い光が接近してくる。

 グラスが持ち上がり、私の口許へと運ばれた。甘苦い芳香にくらくらとしつつ、限りなく薄く唇を開いて待ち構えていると、

「――もう後がない。お母さまと話しては駄目」

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