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「本当?」

「ああ。私個人としては、あまり積極的に訪問したい相手ではないが」

 思いがけず見えた光明に、胸が高鳴った。すぐさまヒントが得られるとは期待していなかったぶん、喜びは大きかった。パイクの歯切れ悪い口振りが気にならなかったといえば嘘になるが、ここで逃す手はないとの思いが勝った。

 私はつい勢い込んで、

「教えて。どこの誰を訊ねればいいの?」

 彼は尻尾を伸ばして方角を示しながら、

「もうしばらく歩いたところに屋敷がある。古びているが豪邸だから、方向さえ誤らなければまず見逃さない。フィンチ一族の家だ。あそこの奥方ならば、なにか知っているかもしれない。頼んですぐ教えてくれるという確証は無いがな」

「フィンチ家の奥方ね。多少の条件が付くのはいいよ。覚悟してお願いするつもり。ところで、あなたが行きたくないのはなぜ? 苦手な人なの?」

「私というより、我らのような生き物を、全般的に彼女は嫌っている。仕方のないことだが」

 パイクが自身を、不気味な生き物と称していたことを思い出す。私の受け止め方が例外的なのは理解できた。このカリストフィアにおいても、爬虫類は人気者ではないらしい。

 それから、とパイクが思わせぶりに声を低めたので、私は身を固くした。

「フィンチ家の奥方は遊び好きな面もあって、来客を拘束するという話がある。下手をすると帰してもらえないそうだから、注意したほうがいい」

 拍子抜けした。その程度ならなんでもないと思った。千年ものあいだ平和が保たれてきた地だというし、住人たちもみな、穏やかに暮らしているのだろう。

「分かった。行ってみる。詳しい場所を教えてくれる?」

「君が望むなら、ドアの前までならば案内しよう。ただし私は中へは入らない。フィンチ家の奥方の感覚は鋭敏だから、私の気配を察すると機嫌を損ねてしまうかもしれない。恩人たる君が求めるものが得られるよう、外でひっそりと祈っていよう」

「それでいいよ。じゃあ、さっそく出発しようか」

 掌を差し出したが、パイクは困惑したように身を揺らしているばかりだった。私は手をさらに近づけて、

「一緒に行ってくれるんでしょ? 乗ってよ」

 パイクはますます困惑した様子で、

「君の手の上にか」

「肩でもいいけど。それともごめん、やっぱり厭?」

「厭ではないとも。ただ驚いただけだ。よし、では君の肩に乗せてもらおう。私の姿が君の目に映らなくなることがあるかもしれないが、決して消えたわけではないと理解してくれ。呼ばれれば必ず答える」

 パイクが落下しながら空中で回転し、私の左肩に危なげなく着地した。指先にはやはり吸盤があるらしく、ぴたりと密着されている感覚があった。よほど激しく動かない限り、振り落とすこともあるまい。

 しばらく彼の指示どおりに進んだ。〈大いなる未知の庭〉の木々は、私の知るものよりほっそりとして、背が高い。全体に密度が低く、鬱蒼と生い茂っている感じではない。白い光が射し込んで明るく、視界も悪くないが、延々と同じ光景が続いているさまはどこか神秘的である。

 ひたすらに幹のあいだを擦り抜けていくと、次第に自分がマグリットの騙し絵の登場人物になったような気がしはじめた。知らず知らずのうちに、私の体は異界の森の木々に分断されているのではないか。

「どうかしたのか」

 パイクは平然としている。私の肩にしゃがみ込んで、尻尾の先だけで進行方向を示している。よく見れば体の下半分の色が変わって、私の服と同調しかけていた。

「ううん、ちょっと不思議な気持ちになって」

「それはそうだろうな。なにしろ〈大いなる未知〉だ」

「スムーズに案内してくれてるけど、あなたは迷わないの?」

「現状、ただ直進しているだけだろう」

「枝や根っこを避けるうちに少しずつ感覚が狂って、気付いたらぜんぜん違う方向に行っちゃうとか、ありそうじゃない? いったん方角を見失ったら修正できない気がする」

 ふむ、とパイクは唸った。

「私には明瞭な目印も、君には知覚できない可能性はあるな。君が不注意と言いたいわけではなく、単純に私と君とでは世界の捉え方が違うという話だ」

「あなたは特別な器官を持ってるの? 特殊な熱や波長を受け取れたりする?」

「さあ、それは分からない。私にそういった知識はないのだ。私の当たり前と君の当たり前は違う。ただそれだけとしか認識していない」

 私が黙考していると、パイクはつぶやくように、

「特別なのはむしろ、君のほうかもしれない」

「どういうこと?」

「君はなぜ私と話せるのか、不思議に思わないか?」

 え、と私は唇を開いて、

「あなたが人の言葉を喋れるんじゃないの?」

「なぜ今日初めて人間と会った私が、人間の言葉を話せる?」

 指摘されてみればもっともだ。窓を通り抜けると同時に、異界の言葉を操る能力が付与された? あるいは無言の小動物から、私が一方的に意思を感じ取っているだけなのか。

 混乱した。しかし真相がどうあれ、案内役の存在が好都合なことに変わりはない。

「〈大いなる未知〉だね」

 とだけ私が発すれば、パイクは低い声音で、

「未知は心を乱す。不安であれ、期待であれ。延長上の光景が続いているだけだろうと予想しても、実際に踏み出してみるまではなにも確定しない。まったく違うものに出迎えられる場合もあれば、唐突に見知った景色が終わる場合もある。そういうものとして世界があることを、認めざるを得なくなる」

 分かったような分からないような、曖昧な心地で頷いた。自分が漠然と考えていたことを的確に言語化されたようにも、それらしく煙に巻かれただけのようにも感じた。

「あそこだ」

 薄茶色の木々の隙間に、巨大な影が浮かび上がっていた。まだ距離がありそうだが、相当に大きな建物であることが知れた。屋敷と聞かされていなければ城とでも勘違いしていたかもしれない。あれがフィンチ家――大貴族なのだろうか。

 なだらかな坂道を下る。蔓薔薇の絡みついた、黒く背の高い門の前に辿り着いた。大規模かつ豪奢には違いなかったが、相当に年季が入ってもいた。大昔からこの地に住んでいる一族の住まいという気配を纏っていた。

 パイクがひょいと跳躍して、ブロック状の塀へと移った。見る見るうちに体色が暗褐色へと変じて、やがてその姿が完全に背景に溶け込んでしまう。私は慌てて、

「パイク?」

「ここにいる。残念ながら、私はこれより先に進めない。あとは君自身の判断だ。フィンチ家の奥方に会いたければ、門を開け」

 恐る恐る手摺に触れた。力を込めると、古びた金属が甲高く軋んだ。

「柚葉」

 とパイクの声が私を呼び止める。彼がいるのであろう方向にかしらを向けた。

「私からもうひとつだけ助言しておこう。フィンチ家の奥方に質問をしすぎるな」

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