3

「本当? うわ」

 足を踏み入れた途端、突き刺されるような眩しさを感じた。反射的に目を細める。痛いほどだ。想像以上に屋内は暗く、それに順応しきっていたのかもしれない。

「どうしたの」

 理宇は平然としている。同じ場所で同じ時間を過ごしたのに、なぜ彼女だけが平気なのかと考えていると、少しずつ目が慣れてきた。大丈夫、と応じて瞬きを繰り返す。

 眩しさの原因は、壁一面を占拠した窓だった。格子状の枠が付いていて、射し込む光を複数の長方形に切り分けている。とてもではないが直視はできなかった。

「妖精は?」

「あそこにあるじゃん」

 部屋の奥側に棚が設えてあった。この家で初めて見る、家具らしい家具だった。そこに何体もの妖精の像が飾ってある。私が運んできたものの仲間たちと思しい。

「ここから外に持ち出されたっぽくない? どう、私の名推理」

 近づいて観察した。想像よりずっと精緻な造形だった。柔らかく渦巻く髪、薄いヴェールやドレスの皺や揺らぎ、物憂げな表情。二対の翅に浮かび上がった、幾何学的な模様。同じ世界の住人なのだろう、体の作りや顔立ちには、共通する部分が散見される。それでいて、一体として同じではない。

「柚葉のお祖母ちゃんが作ったのかな」

「まさか」と即座に否定したが、明確な根拠があったわけではない。自身の手先の不器用さからそうと思い込んだのみである。

 朽ちかけた家に独りで住まって、妖精の像を生みつづけ――謎めいた手紙で孫を呼び寄せる。自分の祖母がそんな人物なのだとは、どうにも信じがたかった。現実の彼女は私や母と大差ない、平凡な人だったのではなかろうか。

「それ、どの位置にあったんだと思う?」

「――このへんかな」

 目に付いた空間を指差すと即座に、理宇が私の手から妖精を奪い取った。その場に置いた。

「定位置に帰ってきた感じじゃん?」

 小さく顔を上下させた。少し離れて眺めてみると思いのほか馴染んでいるように感じられた。そこがまさに、妖精が長らく離れていた本来の居場所だったのではないかという気がしてきた。

「なんだか踊ってるみたい」

 と理宇が指摘する。少しずつポーズの違う妖精たちが一列に並んださまは、なるほど確かに動きを感じさせた。くるくると回転して勢いをつけながら、棚から窓へと飛んでいくような――。

 途端、真っ白い閃光が目に飛び込んできた。はたとして立ち竦む。その一瞬、時間が静止し、あらゆる音が消え、自分だけが景色の中に焼き付けられてしまったかのような感覚に見舞われた。呼吸すら忘れていた。

 胸を記憶が掠める。祖母の歌声。ほっそりとした腕に抱かれ、左右に揺られながら聴いた旋律。そして視線の先、窓の向こうに広がっていた景色は――。

 羽ばたき。妖精の像がいっせいに舞い上がって、部屋を満たした。螺旋を、八の字を、奇怪な紋様を、流星のように尾を曳きながら宙に描いて、踊り回る。

 踊り回っている。優美に。

 笑い声にも似た響きが、部屋じゅうに反響していた。妖精たちの声なのか、あるいは羽ばたきがそう聞こえるのかは判然としない。近づき、遠ざかり、揺れ、波打ち、位相を変えながら、空間を埋めていく。あはは、ふふふ……。

 窓がひとりでに開いた。光の力によって押し開けられたのではないかと思うほど、向こう側は白く目映かった。夏の盛りの太陽でさえ生み出しえない、異界からの光。

 その中心に向けて、妖精たちが雪崩れ込んでいく。統率のとれた群れのような、迅速な動きだった。密集し、雲のような不定形の塊と化して――飲み込まれて消える。

 光が失せ、朽ち果てた部屋の光景が戻ってきた。なんらかの視覚的なトリック? 一瞬の白昼夢? 茫然として動けないまま、私はぽかんと唇を開いていた。しばらくののち、ようやっと我に返った。

「理宇?」

 気付いた。ずっと傍らにいたはずの少女の姿が失せている。あれほど離れないようにと約束したのに。視線を巡らせた。部屋のどこにも居はしなかった。なんの痕跡も残ってはいない。

「理宇、どこ? ねえ、理宇ってば」

 声を張った。普段のように悪戯心を起こして、どこかに隠れているのではないか。先程と同様、物陰から飛び出してくるのではないか。現実的な思考には違いなかったが、同時に白々しくもあった。これだけで解決するはずはないと、頭の片隅では納得さえしていた。

 すぐに私は唇を閉じた。なにが起きたのか、本当は分かっているのだ。

 信じようと信じまいと、一連の神秘を、私はもう目撃してしまった。可能性は――ひとつしかない。

 息を吸い上げた。遂にして顔を窓に向けた。

 窓はまだ開いていた。風が吹き寄せて、私の前髪を揺らす。

 じきに閉じてしまうという確信があった。そうなれば妖精たちの消えた廃墟に、こちら側の世界に、私ひとりが取り残されるだろう。姫室理宇は戻ってこない。

 気が付けば、体が自然と動いていた。躊躇はなかった。勢いをつけて窓枠を乗り越え、外へと、いや、向こう側へと身を躍らせた。妖精たちが浴びたのと同じ光が、私を包み込む。

 耳元で風が唸る。落下しているとも上昇しているともつかない、重力が乱れたような感覚が生じて、それは絶えることなく続いた。

 やがて足が、硬い地面の感触を得た。私はゆっくりと目を開けた。

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