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 かろうじて生じていた隙間から、確かに白っぽい建造物らしきものの一部が視認できた。家と言われれば家には違いないが――ここに住んでいる? 

「柚葉、柚葉。こっちにトンネルがあるよ」

 いつの間にか立ち位置を変えていた理宇が、私に呼びかける。藪の一か所に、人ひとりが通り抜けられるほどの穴が開いていた。屈む必要こそなさそうだが、どことなく圧迫感を覚える、といった程度の広さである。

 頷き合い、理宇が前、私が後ろになって木のトンネルをくぐった。存外に長い。公園やアスレチックにある遊具のようである。服が擦れてでもいるのか、歩いているあいだじゅう、周囲から囁きにも似た音がしていた。ざわざわ、ざわざわと――。

 視界が開けた。目的の建造物を見上げ、私たちはしばし茫然とした。人が定住しているという雰囲気は微塵もない。むしろ幽霊屋敷のように、私の目には映った。あちこちにひび割れの入った壁を這う蔓草。庭だったのであろう場所に散乱したがらくた。倒壊こそ免れてはいるものの、一言でいえば廃墟である。

「こんなことってある? ずっと誰も住んでない感じだよね」

「やっぱり偽物だったのかな。どうしよう、理宇。引き返す?」

 うーん、と彼女は声を洩らし、それから強い光を湛えた双眸で私を見返して、

「ちょっと探索してからにしない? わざわざここに呼んだってことは、なにか意味があるんだよ。中に別のメッセージが残ってるとか」

 ね、と念押しし、私の返事を待たずに玄関へと向かっていく。もとより好奇心旺盛な性格で、こうなっては決して譲らないことを、付き合いの長い私は承知していた。その後ろ頭を追った。

「ごめんください」

 ノックしながら呼びかけたが、無論のこと返答はない。理宇がドアノブを掴んだ。押したり引いたり、しまいには体重をかけての突破を試みたりの挙句、

「開かない。どこか別のとこ、ないかな」

 二手に分かれ、左右から家の周囲を回った。雑草が伸び放題に伸びており、歩きやすいとは言いがたい。余計なものを踏まぬように注意しながら進む。

 裏庭らしき場所に至った。一面に白っぽい砂利が敷き詰められており、表面を苔に覆われたモニュメントが複数、転がっている。獣らしきもの、翼を広げた鳥と思しきもの。もっとも手近にあったひとつは、人間に虫の翅が生えたような、奇怪な形をしていた。妖精?

 壁に大きな窓があった。格子状の木枠は古びてこそいるものの、かつては立派な代物だったのだろうと思えた。カーテンは引かれておらず、中をそのまま覗けた。顔だけを傾けて様子を伺った。

 灯りはともされていない。無人の空間を、薄暗がりが満たしているばかりだ。はっきりと確認できたわけではないが、家具らしきものも見当たらなかった。

 やはりなにもないのだという認識が、胸中に生じた。戻って理宇に知らせよう。振り回したことを詫び、駅の自販機でジュースでも飲んで帰ろう。

 それで旅は終わりだ、と思った瞬間、視界の隅をふっと白いものが横切った。なにをどう錯覚したものか、ふわりと飛んでいたように感じた。目を瞬かせた。

 しばらくその場で立ち尽くしていた。もう現れまいと自分に言い聞かせて、窓を離れた。そのうち理宇と合流するだろう。彼女のことだから、時間をかけて入念な調査を試みているかもしれないが。

 諦め半分でいると、唐突に別の扉が現れた。裏口なのだろうが、壁に無理やりくっつけたような、なんだか不自然な印象である。人の通り道という感じがしなかった。

 手をかけてみるとあっさり開き、眼前に薄闇が広がった。完全に予想を裏切られた形で、私は思わず声をあげそうになった。反射的にノブを引く。扉が閉じてもなお、ひやりとした空気と、木屑のような匂いの感覚が残っていた。

「理宇、いる?」

「どうしたの。なにか見つけた?」

 陰から飛び出してきた。なぜか手には例のモニュメントが握られている。私が見たものと同じ、人の背に虫の翅が生えた像である。

「それ、どこで?」

「がらくたの中で見つけた。他にも何個か落ちてたよ。それより入口あるじゃん。開いてるの?」

 頷くと、理宇は像を私に預けて躊躇なくドアを開いた。身を滑り込ませ、おお、と感嘆したような声をあげた。

「普通に廃屋だね。中、ほとんど空っぽだ。見てみなよ」

「これ、どうするの」

「妖精? そのまま持ってきて。もともと中にあったんじゃないかって気がするんだ」

「なんで?」

「あんまり汚れてないから。他のは延々と雨風に晒されてきましたって雰囲気でみすぼらしい」

 抱えた像を見下ろした。言われてみれば小綺麗である。さっき見かけたものもそうだったろうか。

 ともかくも内部に踏み入り、理宇の隣に立った。扉を開け放したまま、あたりを見渡した。

 おおかた予想通りの光景だった。人の気配は微塵も残されていない。打ち捨てられた、虚ろな空間だ。剥き出しの床や壁だけが、差し入った陽光に切り取られて白々と輝いている。いっぽうで影が下りたままの部位はくっきりと昏い。

 私は理宇の横顔を見やって、

「ここで単独行動はちょっと厭だね」

「離れないようにしよう。隣の部屋にふっと消えて戻ってこなかった、なんて笑い事じゃないしね」

 一緒になってあたりを観察した。とはいえ探るべき棚も抽斗も存在しないから、ただ平坦な壁面を眺めているばかりといった印象である。ドアも取り払われていて、壁に開いた穴をくぐるだけで隣室に移動してしまう。そう広いはずはなかろうに、ぐるぐると歩き回っているうちに方向を見失いそうになる。

 壁と穴と通路でできた建造物……迷路?

「抜け殻の家だね」と理宇。「じゃなかったら家の抜け殻?」

 なるほど。彼女の評価のほうが適切なように感じた。私は続けて、

「脱皮した中身はどこに行ったんだろ」

「捕まる寸前に飛んでって逃げたのかな、蝶々みたいに」

「かも」

 抜け殻という語を聞いて、最初に想起したのがそれだった。いや、転がっていた妖精の像を見た時点から、頭のどこかにあったのかもしれない。

 蝶は魂の象徴だ。向こう側とこちら側を、ゆらゆらと行き来する。蛹から蝶への変身は、別なる世界への転生を意識させる。

「妖精がいた! いっぱいいるよ」

 また別の部屋を覗き込んだ理宇が、興奮気味の声を発した。ほら、ほら、と得意げに私を振り返ってから、勢いよく入り込んでいく。

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