第18話 一瞬一秒
その後、私たちは破竹の勢いでトーナメントを勝ち上がった。
「今日も勝っちゃった……」
「スゴい!スゴいよ、私たち! あと1勝で全国だよ!」
「全国なんて出ちゃったらウチの部史上初だよ! きっと! 多分!!」
「ここまで来たらみんなで行こうよ! 全国大会!!」
大会が始まる前には想像もできなかった景色がすぐ手の届きそうな距離にまで迫り、チームの内にも自信や一体感のようなものが芽生え始めていた。
野球部が勝ち進んでいることは学校の中でも度々話題に上がっているらしく、他の部活の子や普段話したことのない子からも話しかけられる機会も増えた。
そんな快進撃の立役者は、やはり紛れもなく陽葵先輩だった。
「あれ、陽葵先輩……いつもそんなにアイシングしてましたっけ?」
「んー? まあ、ここしばらく連戦だったからね〜。念のためだよ」
連日、負けられないトーナメント戦が続く中、初戦から全ての試合で先発マウンドに登り、チームの勝敗を一身に背負って腕を振り続けてきた。
そのせいか、ここ数試合、試合終盤でボールの球威やキレが落ちているような気がした。
「ヒジ、痛んだりしてないですか?」
「へーきだよ〜。葵は本当に心配性だなぁ」
「……なら、いいですけど」
もっとも、受けている私が多少の違和感を覚える程度で、それによって制球を乱したり、通打を浴びることはなかったのだが。
何百、何千球とあの人の球を受けてきた私だからこそ、何か嫌な予感がしてならなかった。
「大丈夫だよ、葵。あと
不安げな私をなぐさめるように、陽葵先輩はいつも通りの変わらぬ笑顔を向けてくれた。
私はそれを信じるしかない。それに縋るしかない。私ひとりがどれだけ不安でも、心配でも、彼女にとってはそんなもの、全て杞憂でしかないのだろうから。
「ほら、葵!みんなもう行っちゃうよ。わたしたちも帰って明日の試合の対策たてよ〜」
「え? あ、ちょっと待ってください! 陽葵先輩っ!!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「んー、さすがにいいチームだねぇ」
学校に戻った私と陽葵先輩は、いつもと同じようにビデオやスコアを見ながら相手チームの戦力分析を行っていた。
「そうですね……キャッチャーを中心に内野も外野も守備が堅い。守り勝つチームって感じですかね」
「そうだね〜。ピッチャーも左右バランスよく揃ってるし。多分今投げてる右の子がエースかな」
「みたいですね」
全国大会への切符をかけた一戦の相手は森谷第一中学。ここ数年、力をつけてきている公立中学で、明日勝てば私たちと同じく初めての全国大会出場になるらしい。
「けど、打線だけでいったら今日のチームのほうが手強かったんじゃないですか? 塁に出たり、バットに当てるのは上手いみたいですけど、データ的にも長打は少ないみたいですし」
「いやぁ、どうだろう……」
不意に覗いた陽葵先輩の横顔がいつになく深刻そうで思わず、そっと首筋が波を打った。
「あれ? 2人とも、まだ帰ってなかったのか?」
そのタイミングで部室の戸を開いたのは、変わらぬ穏やかな表情を浮かべた凪紗先輩だった。
「あ、ナギサちゃん。おつかれ〜」
さっきまでの真剣な表情がウソだったかのように、陽葵先輩はカラリと声色を変えた。
「2人とも、そろそろ帰って休んだほうがいいんじゃないか? 明日の試合に疲れが残っても良くないだろうし、そろそろ部室も閉めたいしな」
「うーん、そうだねぇ。そうしよっかな」
そう言うと、陽葵先輩はすんなり立ち上がり足元のカバンを拾い上げた。
「ほら、葵も。帰ろ?」
「え? あ、はい……」
腹の底に残るくぐもったものにフタをして、私は2人の後を追った。
「お、見て見て葵。提灯が並んでるよ」
「あぁ、今週末なんですね、ここの商店街のお祭り。私も小さい頃はよく連れてきて貰いましたけど」
その日は、いつもの帰り道が季節柄の祭装束を纏っていた。そのせいか少し、普段より風が温かい気がした。
「葵はお祭りの時浴衣とか着るの?」
「着ないですよ。和装とか、七五三に間違えられそうな気がして」
「え〜、カワイイと思うけどなぁ」
「センパイこそ、浴衣姿見たいって子多いんじゃないですか?」
「んー、みんなで浴衣着てお祭りかぁ。それも悪くないね〜」
そんなことをしたら応募者が殺到してお祭りの邪魔にしかならないだろう。ぜひとも自重していただきたい。
「ナギサちゃんはど〜お?」
ふと、陽葵先輩がいつもの気まぐれで凪紗先輩に話を振ったが、返事は返ってこなかった。
「凪紗先輩……?」
「あぁ、ごめん。少しぼーっとしてた」
凪紗先輩が人の話を聞き逃すのは珍しい。いつ誰が話していようと蔑ろにすることはなく真摯に耳を傾けている人だったから。
「どうか、しましたか?」
「いや、こうしていると何だか、少し不思議な気分になって」
そう言って頬をかく凪紗先輩は、それまであまり見たことのないような緩んだ
「本当なら今頃私はもう部活を引退してて、1人机に向かっているはずだった。こうして2人と一緒に帰路につくこともなかっただろうから」
前を向く凪紗先輩の瞳は、どこかずっと遠くを見ているようだった。
「別に勉強がイヤになった訳じゃないけど、もう少しだけ、今のみんなで、このチームでいれたらって……そう思うよ」
途切れそうな凪紗先輩の声を聞いていると、まだ何かを失った訳でもないのに、なぜだか少し涙が溢れそうだった。
「私も進む
凪紗先輩は、照れくさそうに笑っていた。
私が何と声をかけようか迷っていると、真ん中にいた陽葵先輩が言葉もなく、私と凪紗先輩、2人の手を優しく握った。
「陽葵先輩……?」
手のひらから伝わるその温もりは、誰かが離れ離れにならないよう、そっと繋ぎ止めてくれているようで。
『私がここにいるよ』と、優しく話しかけてくれているようだった。
悲観することはないと、励ましてくれているようだった。
「まったく……かなわないな、ヒナには」
「ホントですよね。陽葵先輩ってこういう時ばっかり優しいからズルいです」
「え〜? わたしはいつも一緒だよ」
「なら、いつもズルいのかもな」
「ぷふっ、そうですね。そうかもしれないです!」
「んー? まあいっか。それでも」
いつか……時が経って、私がどんな道へ進んだとしても、息苦しくなってふと空を見上げた時にはきっと、今この瞬間を思い出すだろう。
「勝とうね、みんなで。明日の試合!」
「はいっ!」
「もちろん!」
そう予感するほどに、夕暮れの道を並んで歩いたその一瞬一秒は、私にとってかけがえのない時間だった。
けれど、どれだけ強く祈っても、時は私の都合で足を止めてはくれない。
どれだけ恐ろしくとも、日が沈めばまた、誰もが避けることの出来ない“明日”がくる。
そして、私たちの運命を分ける“その日”がやってくる。
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