第8話 嵐の胎動
栞李たち新入生を加えた新明姫月野球部の初戦から数日、春風に落ち着かない苦みが舞っていた4月も終わりに差し掛かっていた。
「みんなー!! いる〜?」
練習前の気の抜けた雰囲気の部室へ、突拍子もなく菜月の明るい声が飛び込んできた。
「どうしたんですか?菜月センパイ」
「ふふ~ん、今度のGW合宿の練習試合の相手が決まったんだよ〜」
菜月はこの上なく得意げな表情で、部室にいた全員に手に持っていたプリントを配って回った。
「なんと!! 今年の合宿は5日間全部試合が組めたよ! 相手の高校はプリントにまとめてきたから確認しておいてね!」
上機嫌の菜月からプリントを受け取り、その内容に目を通した一同から一斉に驚きと戸惑いの声が上がった。
「え、ちょっと待って! この5日目の相手って……」
「ウソでしょ」
「どうしてこんなトコが……」
全員の目線をくぎづけにしていたのは、5日目の対戦相手の欄に記された高校の名前だった。
「何ですか? みんな何にそんなに驚いてるんですか?」
ただ一人状況についていけずキョトンとしていた実乃梨に、すぐ傍にいた葵が説明を付した。
「プリントの5日目の相手を見てみなよ。ミノリちゃん」
「5日目……えっとこれは、『ランカ』ですか?」
「そ。その『蘭華女子』ってとこは私たちと同じリーグ地区の学校で、去年もその前もずっとこの地区のリーグ戦を勝ち抜いてる、いわゆる“全国常連校”ってやつだよ」
「ええぇ! ホントですか!?」
「うん。特に去年は1年生スラッガー“
「へーーっ!! そんなに強い
実乃梨は葵の言葉に終始、興味深そうに耳を傾けていた。
「あれ? でも、そんな強いトコがどうしてウチと練習試合組んでくれたんですかね?」
実乃梨のその言葉に何の悪気があった訳でもないが、不意に葵がささくれをつつかれたような表情を見せた。
「さあ? そーいうことはナツキ先輩に聞いてみたら?」
そう言うと、葵はぶっきらぼうに視線を背後へ放った。
「えっ? わ、私もそこまではよくわからないけど、たまたま予定が空いてた……とかじゃないかな?」
本当に突然視線を投げられた菜月は、苦笑いで小さく首を振るのが精一杯だった。
「……?」
栞李には、その時の葵の表情がどこかいつもと違う色のモノのように見えて、気づけば小さく身震いしていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「それじゃあ栞李! ワタシ今日はもうちょっと練習してくから! 先に帰ってて!」
「はーい。頑張ってねー」
「うん! ありがと!」
合宿の話を聞いてからすっかりやる気マンマンになっていた実乃梨は、全体練習が終わった後も微塵も疲れを感じさせないハツラツ笑顔でグランドへ飛び出していった。
残った栞李が自分の道具を片付けていると、不意に背後から聞き馴染んだ柔らかい声が栞李の耳をつついた。
「栞李ちゃん。練習おつかれさま〜」
「あ、菜月先輩。お疲れ様です」
振り返った先にいた彼女は、その声に違わぬ優しい笑顔で栞李を見つめていた。
「えっと、合宿のことなんだけど、何かわからないことがあったら遠慮なく言ってね。1年生は今回が初めての合宿だし、授業も始まったばっかりで色々大変だと思うけど、だから、えっと……」
「────『私たちがフォローするから』だろう? 菜月」
菜月の言葉が詰まる瞬間を見越していたかのように、そのすぐ脇から現れた清澄な声がごく自然に彼女の言葉を引き継いでいった。
「沙月先輩……」
「練習おつかれ様、栞李」
息ぴったりのタイミングで現れた彼女は、主将としてみんなの前に立っている時より幾らかほぐれた表情をしている気がした。
「もう! いっつも沙月ばっかりイイとこ持ってって。これじゃあ私、いつまでたってもカッコつかないよ!」
「ごめんごめん。言葉に詰まっているように見えたから、つい……」
そんな2人の間柄があまりに親密で落ち着いたものに見えて、こちらもつい……
「お二人は仲がいいんですね」
つい、僻みみたいなことを口にしてしまったと後悔する栞李だったが、それを耳にした菜月はむしろ嬉しそうに顔を綻ばせた。
「え~、そうかなぁ? でもまあ、沙月とは小学校からの付き合いだからね。私、沙月のことなら沙月のお母さんよりもよく知ってる自信があるよ!」
なぜか誇らしげに胸を張る菜月と、少し呆れたような顔をしながらもそれを静かに見守る沙月。お互いに気を許し合っているような2人の関係に、栞李は少なからず憧憬を覚えた。
「そうだ! 栞李ちゃん、私と連絡先交換しておかない?ほら! 伝え忘れたこととか、聞きたいこととかあった時に便利だからさ」
「あ、はい。いいですよ」
栞李が特に躊躇することもなくそれに頷くと、菜月はどこかほっとした表情で手にしていたグラブケースを持ち直した。
「それじゃあ、また後で部室でね! あ、栞李ちゃんはこの後まだ自主練していく?」
「いえ、今日はもう帰ります。明日、英語の小テストがあるので……」
「あはは、そっか。それは大変だね。じゃあ、私たちは他の1年生にも声かけてくるから」
「はい。お疲れ様です」
「うん! おつかれさま〜」
そう言って2人と別れ栞李が更衣室へ引き上げようとしていた最中、視界の隅にちらりと夕暮れのグランドに立つ莉緒菜と、その隣でたくらみ笑顔を浮かべる葵の姿が映った。
ただ2人がキャッチボールをしているだけの何の変哲もない光景のはずなのに、栞李はなんとも形容し難い胸騒ぎがして。
その茜色の景色は、彼女の記憶の淵に深々と根を張った。
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