第9話 いざ出発!
「いよいよ今日から待ちに待った合宿だー!!」
合宿当日の朝、実乃梨は学校に着く前から満面の笑みが溢れ出していた。
「実乃梨ちゃん、まだ朝早いんだからあんまり大きな声出したら迷惑だよ」
「おっと、そうだね。ごめんごめん」
末永栞李は相も変わらず、どっちつかずの中途半端な表情でその隣を歩いていた。
「それに、今からそのテンションだと試合前に疲れちゃわない?」
「それはへーき! 試合が始まればもっとやる気でるから! アレだよアレ! 何だっけ?『あんどれなりん』?」
「それじゃ新しいアイドルユニットか何かだよ」
「あれ、違ったっけ?」
「“アドレナリン”でしょ? たぶん」
「そう! それだ! アドレナリン!! それのパワーで試合もバッチリだよ!」
嬉々として意気込みを語るその瞬間も、栞李からは十分アドレナリンに満ちているように見えた。
「────お! 朝から元気だな、ルーキーズ!」
そんな2人の背後から、少年のようなハリのある声が飛んできた。
「明山センパイ! と、芝原センパイ。おはようございます」
「おう! おはよう」
その声の主、
「い……イオちゃん。声が大きいよ…」
そんな伊織の隣で心配そうな顔をする少女、
「今日から5日間、一緒にガンバってこーな!」
「はい! この合宿、全試合勝ちましょー!!」
「お、いいなソレ! 目指せゴレンショーだな!」
「はいっ! ゴレンショーです!」
「ふ、ふたりとも……まだ、朝はやいから」
朝早くから伊織と実乃梨がうっかり意気投合してしまったせいで、振り回される人がまた1人増えてしまった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「うん!これで全員揃ったね!」
「菜月、少し声が大きいよ……」
「あぅ!ごめん沙月……」
そしてここにも、朝7時の声量を守れない者と困り顔でそれをたしなめる者がもう1人ずつ。
「そ、それじゃあそろそろバス乗るけど、みんな忘れ物ない〜?」
「は〜い!大丈夫です」
合宿中は部員と引率教員以外にもバットやキャッチャー防具などのチームの道具を運搬するために、中型バス1台を貸し切っていた。
「────となり、座っていい?」
いち早くバスの座席に着いていた栞李を、いつの間にか倭田莉緒菜の静かな瞳が見下ろしていた。
「えっ? う、うん。いいけど……」
「ありがと」
そう言って、彼女は栞李の隣の座席にそっと腰を下ろした。
その横顔を見た瞬間、栞李は何かを悟った。
「ね、ねぇ莉緒菜ちゃん?」
「なに?」
凛然とした表情は普段と変わりなかったが、その目元が灰色にくすんでいた。
「昨日、ちゃんと寝た?」
「……あんまり」
そう言って、莉緒菜はきまり悪そうに視線を逸らした。
「いや、別にいいんだけどさ……大丈夫?バス」
「……? へーき」
彼女の前科からすればさほど驚くようなことでもなかったが、試合前の数時間に渡るバス移動を乗り切るには充分すぎる不安要素だった。
「みんなもう座ったね〜! それじゃあ、しゅっぱぁ〜つ!」
「ゔぅっ……きもちわるい」
「言わんこっちゃない」
案の定、栞李の不安は出発から程なくして現実のものとなった。
「ホントに大丈夫? 袋いる?」
「私、は……酔ってない……へーき」
「いや、顔真っ青だけど。もう酔ってるのは確定だから」
かれこれもう20分ほど、莉緒菜は血の気の引いた顔で力なく座席にもたれかかっていた。
「2人とも、どうかしたの?」
そんな2人のひとつ前の座席に座っていた菜月も、彼女の異変に気づいたようだ。
「えっと、莉緒菜ちゃんが寝不足で乗り物酔いしたみたいで」
「だっ大丈夫!? あ! アメなめる? 私、甘いアメなら持ってるけど」
「いえ、さっき私ののど飴あげたんですけど……」
「そ、そっか。うーん、莉緒菜ちゃん頑張って! もう少しでグランド着くからね!」
菜月も必死に励ますが、その時の莉緒菜には返事を返す余裕もなかった。
「やっと着いた……」
彼女たちを乗せたバスが足を止める頃には、ずっと莉緒菜の隣で介抱していた栞李もすっかりくたびれ果ていた。
「どう? 莉緒菜ちゃん。少しはよく……なってる訳ないか」
当の彼女は真っ青に血の気の失せ果てた顔でふらふらとバスを降りた。
「へーき……だいじょぶ。なげ……れらる」
そんな足元もおぼつかない莉緒菜の具合を見て、副キャプテンの菜月もメンバー表を手に頭を悩ませていた。
「う〜ん……今日の試合、莉緒菜ちゃんに先発してもらおうと思ってたんだけど、その調子じゃムリそうだよね」
栞李から見ても菜月のその判断は妥当なものに思えた。のだが……
「────まあまあ。一旦落ち着いてくださいよ、ナツキ先輩」
その決定に待ったをかけたのは、どこからともなく現れた幼顔の少女、津代葵だった。
「葵ちゃん……」
「そんなに今すぐに決めなくても試合までまだ少し時間もありますし、少し身体動かしたほうが楽になるかもしれないじゃないですか」
「それは、そうかもだけど……沙月にも聞いてみないと」
「サツキ先輩なら今、相手校のとこに挨拶に行ってますよ。それに選手起用についてなら普段からワタシが任されてますし」
彼女はその底の見えない笑顔を貼り付けたまま、あっという間に菜月を説き伏せてしまった。
「何より、当の本人はヤル気充分みたいですしね」
不意に2人から視線を向けられた莉緒菜は、全身にまとわせていた倦怠感をぐっと呑み込んで立ち上がった。
「菜月先輩。私は平気です」
「り、莉緒菜ちゃんもそう言うなら……」
「じゃーこれで決まりですね!」
その跳ね上がるような明快な声が、突然何かを思い出したかのように栞李へと向けられた。
「シオリちゃんも、それでいいよね?」
それは嫌味のない笑顔。けれでも、どこか冷めきって見えて。
「どうして、私に聞くんですか?」
「別に、ただの気まぐれだよ」
栞李はそれ以上、その笑みと向き合っているのが怖くなって。そっと、バレないように視線を外した。
「じゃ、ワタシとリオナちゃんは先にアップしてくるから。あ! シオリちゃんも今日スタメンだから! ちゃんと準備しといてね!」
そう一方的に言い置いて、葵はさっさとその場を去っていった。
「ま、まあ、葵ちゃんがああ言うならきっと大丈夫……だよね?」
不安げな菜月の言葉に、栞李は迂闊に頷けなかった。
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