第四話 華火


「な、なんだ?!」


 ユウは咄嗟に機体を後退させ、目の前の異常事態に身構える。


 竜種の表皮に纏わりついていたあの蝶が爆発したかのように一斉に飛び立ち、本来の姿が露わとなったのだ。その凶暴な顎からは涎がまき散らされ、地団太を踏むかのように太い両脚を地面へと叩きつける。


 低い唸り声はまるで地獄の底から鳴り響くかのよう。赤黒く血管のような筋が浮いた表皮は焼けただれた火傷にも見える。そして、その爛々と輝く瞳は一層に怪しい輝きを増した。


 辺りに舞い乱れる蝶の群れ、群れ、群れ。もはや幾千、幾万もの鱗翅が躍り狂う。一瞬にして視界は蝶の赤、青、そして紫で包まれてしまった。


 怒り。まさに己の感情をそのままに爆発させているかのようだ。それとは対照的とでも言えばいいのだろうか、周囲をまるで花吹雪かのように舞い踊る蝶。赤と青、紫の色が乱れ、幻惑的な様相を呈している。




「……! この感じ……強い理力を感じる……!」


 ユウはピリピリとした感覚、目の前の竜種が放つ殺気のようなものを全身に受ける。明らかにヒトでは放つことのできない、純粋な意思。目の前の存在を殺戮せんとする意思。過酷な生存競争の中でのみ鍛えられる強靭な意思を、ユウとアルヴァリス・ノトーリアに向けているのだ。


「このぐらい……!」


 だがユウとて歴戦の操縦士。このような殺気を受け流す術は身体が勝手に学んでいる。ヘソのやや下、丹田に力を込め、操縦桿を握り直す。呼吸は浅くもなく、深くもなく。速かった脈拍も少し落ち着いた。


 白亜のような装甲を纏った両腕が分厚い大剣を構える。竜種もそれに合わせて姿勢を低くし、突進に備えていた。




 ――――ゴッ!


 一瞬にして白鋼の騎士と怒り狂う竜種はぶつかり合った。


 オーガ・ナイフを盾代わりにしつつ、竜種の鋭く太い牙を防ぐ。ユウは操縦桿を通して伝わってくる感覚から、その顎の凄まじい咬合力に戦慄する。


「くっ……こんなの、まともに噛みつかれたら装甲ごと持っていかれる……?!」


 刀身を支える腕に力を込め、思い切り側面へと力をいなす。凄まじい突進力が仇となり、竜種はそのままいいように受け流されてしまった。しかし、アルヴァリス・ノトーリアも圧倒的な力に押し負けてそのまま後ろの方へと吹き飛ばされてしまう。


 ユウは一瞬の浮遊感を覚えながら、機体の動きと出力がさっきよりも悪くなっていることに気付く。あの蝶が周囲に羽ばたいているせいで、無理やり回転させている理力エンジンではもはや理力の増幅が見込めないのだ。





「先生、アルヴァリスが!」


「ええいノエル、狼狽えるなデス! クレア、例の準備は出来てるデスか?!」


 ホワイトスワンのブリッジでは乗組員が固唾を呑んでユウと竜種の戦いを見守っている。その横では先生が艦内のあちこちと連絡を取り合っていた。電話のような受話器を幾つかまとめて持ち、複数の通話先へと器用に指示と報告を行っている。


「こちらクレア、準備は出来たわ! あとはスワンの理力エンジンが稼動すれば!」


「よくやったデス! ボルツ君、そっちの状況は?!」


「はい、こちら機関室のボルツ。今、理力エンジンを始動しました。フライホイールが規定の回転数に達するまであと三分ほど待って下さい」


「よっし、聞こえてたデスねクレア! そっちは任せたデス! それからユウ! ユウ、よく聞くデス! あと三分だけ持ち堪えるデス!」





「……了解!」


 吹き飛ばされた衝撃で身体を打ったが、この程度は慣れたもの。ユウは無線から聞こえてきた先生の頼もしい声にニヤリと口角を持ち上げる。先生が何か策を講じてくれているのならば、それは確実にが立ったというやつだ。


 アルヴァリス・ノトーリアが装甲を軋ませながら再び立ち上がる。竜種は先ほどの受け流しで姿勢を崩したのか、その場に倒れ込んでいたがすぐさま立ち上がってきた。もはやの怒りは頂点に達したと言わんばかりにこちらの方を睨みつけ、荒い呼吸を繰り返す。既にホワイトスワンのことは忘れてしまったのか、それとも先にこの小賢しい白い人型を噛み千切らなければ気が済まないのか。


「こいッ!」


 ユウは操縦桿を握る両手に力を込め、今送り込める最大限の理力を放つ。理力エンジンの補助はなくとも類まれな理力量を誇るユウであるならば、大量の理力を消費する新型人工筋肉にも十分な量を送り込める。しかし、それでも長時間保たないのはユウも理解していた。


(三分……それだけの時間を稼げればいいっ!)


 これでもかと上下に大きく開かれる顎は鋭い乱杭歯が並び、あらゆるものをその牙で噛み切ると想起させる。怒声を轟かせ、これまでよりも速く竜種は突進してくる。それをユウはオーガ・ナイフを構えて待ち受ける。


(あの質量……まともに受ければさっきの二の舞……だったら!)


 地響きを立てながら向かってくる竜種。まさに衝突するその瞬間、アルヴァリス・ノトーリアは思い切りしゃがみ込む。そのまま大剣の刃を竜種の脚に引っかけるように振り抜いたのだ。


 足払いを掛けられた形の竜種は、しかしなんとか二本の脚でバランスを取り今度は地面へと激突しないように踏ん張る。が、その隙を見逃すユウではない。


「そこだっ!」


 すぐさま体勢を立て直したアルヴァリス・ノトーリアはその場で反転、遠心力を利用した大剣の一撃を竜種の背中にお見舞いしようと跳躍する。


 しかし竜種もただやられているわけでは無い。


 ムチのようにしなる太い尻尾が左右に振られたかと思うと、恐るべき加速度で迎撃してきたのだ。理力エンジンの不調により、全身に装備された姿勢制御用スラスターを吹かすことも出来ず白い機体は重い一撃を喰らってしまう。


 機体がくの字に折れ曲がり、地面を何度か転がった末にようやく止まる。幸い、打撃をもらった腹部装甲はそれほど損傷していないように見える。が、凄まじい衝撃に操縦席のユウは一瞬だが前後不覚になってしまう。前後左右、上下の区別が分からなくなり、機体が今仰向けになっているのか横たわっているのかすら覚束ない。


「ぐぅ……っ!」




 * * *




「……まだなのっ?! このままじゃあユウが!」


「クレアさん、落ち着いてください! 今ボルツさんが最後の調整に入ってますから!」


「そうは言っても……! ボルツさんに急ぐよう、言ってちょうだい」


 クレアは整備士に当たっても仕方ないと自省し、深呼吸する。こうしている間にも格納庫の外からは激しい戦闘の音と振動が伝わってくる。


(ユウなら大丈夫……だって、一番強い操縦士なのよ?)


 自分で自分に言い聞かせる。彼女の理力量では理力甲冑をまともに動かせず、援護すら出来ないのだ。こうでもしなければ、クレアは自分が今にもバラバラに砕け散りそうな気がした。


「クレアさん、こちらの準備は整いました! 装置を起動してください!」


 遠くからボルツの叫び声が聞こえてくる。この瞬間ときを待っていたとばかりにクレアは手元のスイッチを勢いよく押し込んだ。


「これで……お願い!」


 その瞬間、格納庫に置かれたパラボラアンテナが取り付けられた機械が低い唸りを上げ、次第にその音が高くなっていく。そして最高潮に達したと同時にバチッという音が響き渡る。


「ユウ! アルヴァリスの理力エンジンを起動して!」





 * * *





「クレア?! ……分かった!」


 無線から聞こえてきたクレアの指示に従い、ユウは機体に搭載されたの理力エンジンを起動させる。操縦席の背後から、何かが高速回転するかのような高音が響きだす。二つのエンジンから奏でられる音が調和し安定すると、あれだけズシリと重かった機体が軽くなっていく気がする。


「……よし、エンジンの回転数が安定している! これなら!」


 ユウは一度、深く息を吸い、そして吐く。しっかりと目を見開き、竜種を睨みつける。


「ノヴァ・モードで一気に押し切る!」







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