峰に立つ

とある峰に立つものはほかの峰も見えるものだ。とはよく言うが実社会においてはそれに近いような状況が存在する。例えば一心に一つの方向に向かって頑張っていても正直現場に立ってみると役に立たないものである。人生の回り道をしなさいというものではないけれど、人生の中で紆余曲折ある人の方が厚みがあるのは確かだと思う。たとえば現場を知らない教員に何を習ったとしても結局机上の空論でしかないのと同じことといえる。現場を知っている人間から聞くと何かそこに現実味を帯びてくる。学生たちに何か教えるときには必ず現場の話と建前の話をするようにしている。現実と理論っていうのは乖離しているものだから現場の話をしないわけにはいかない。それに加えて私は現場と営業とどちらの経験もあるのだけれど、その経験は生かされている。どちらの立場に立っても物事を考えられるし、ほかの物事を進めるときにおいても営業の癖が出てくる。顔を合わせて名刺を渡して挨拶するのが当然だと思っている。しかし学生っていうのはそういうマナーを知らないから最短経路を選ぼうとする。世の中は遠回りしてやっと得られる情報がほとんどなのでメールや電話では出し惜しみされる。社会常識なのかもしれないけれど、何かの峰に立つというのはそういうことだと思う。もちろん研究者としても大切なのは幅広い知識であって深い知識ではない。とうぜんある程度は必要とされるけれど、あんまり狭すぎると毛嫌いされる。まずは自分なりの峰に立ってみよう。おごることなく、最初の峰は謙虚に立つのである。次の峰が見えるのはその峰を降り始めたころだろう。

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