執筆というもの

頭のチューニングに等しいのではないかと密かに思っている。

アニメで紙の本はチューニングのために使う。とか語ってるけど本当にその通りで自分も耳栓をしながら頭の高周波の音を聞きながら本を読む機会がたびたびある。頭っていうのは使わなければ全く使えなくなるのが常で、回せば回すほど回ってくれる。

同じことは機械にも言える。どんなにいい車だとしても全くエンジンを回さなければスチールでできているパーツは錆びてしまうし、回転も悪くなる。エンジンにスチールが使われているのか知らないけれど、エンジンを回しているほうがどうやらエンジンにはいいみたいだ。とは言えアイドリングはだめで、少し不可をかけて回してあげるくらいがいい。間違えても高負荷状態にしないように。頭も負荷が続けば疲労するし、適度な負荷が大切だ。執筆というものは読書よりも少し負荷がかかるけども私にはこれが丁度いい。人それぞれ負荷の具合は異なるだろう。でも基本的な身体機能っていうのは変わらないのだから、誰しも創作活動はできるものだろう。作曲って仕事があるが、私はどうもあれがダメだ。音が浮かんでこない。チューニング方法はいろいろあるわけでたまたま私は執筆になってしまっただけだ。

私は人一倍劣等感が強いから、私にできて他人にできないことはないと思っている。だから自分が納得できないものはどうしたって納得がいかないし、自分以上のものはちゃんと評価するようにしている。評価ってのはできない人間がするもので上から目線でやってはだめだ。だって私にはできないことなんだから。

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