五星目
「……なるほど。その噂を頼りに、皆さんはここへ来たという訳なのですね」
沈黙していた名塩と加西が息を吹き返してから。ことの始まりを聞いたななかは、何故か僕たちを見て楽しそうに笑っていた。きっと名塩と加西のツラを見て笑ったのだろう。これ以上鼻血が出ないように、二人の鼻には強引にティッシュが突っ込まれている。
「でも残念ですね。その噂はあくまで噂です。ここには『織姫』なんて幽霊は居ませんよ。居るのは私だけですし」
「まぁ、そりゃそうだよね。噂に尾ヒレとか背ビレがついてるのは不思議じゃないし」
「大方、私のことを見た誰かが、そんな話を誰かにしたのでしょう。それが噂となって、方々へ流れてしまったと考えます。私、ここには結構足を運んでいますので。ここへ肝試しに来られた方を、何人か見かけたことがありますよ」
「ということはやはり。噂は噂に過ぎなかった、という訳か……」
鼻に詰めたティッシュで、若干鼻声になった名塩が言葉を返す。出血が効いているのか、加西も含めてまだ地面に座り込んでいる状態だった。そのまま
「はい、残念ながら。でもどうして『織姫』なんて名前がついたんでしょうね?」
ちなみにアホ二人を観察していて気がついたのだが、面白いことにコイツらはななかと目を合わせようとしないままだった。いやいやまさか、本当に女性が苦手なのかお前ら。よくそんなんで彼女がほしいとか言ってるな。
コホンとわざとらしい咳払いをひとつして、やっぱり視線を合わさないままで今度は加西が言葉を返す。
「織姫って名前になったのはよ、ここが『ペンション七夕』だからじゃねぇのか? 笹もいい感じに生えてるし、それに見事な星空だしよ。そこに住まう美人とくれば、名前は『織姫』って相場が決まってるぜ」
「まぁ、美人だなんて。お世辞でも嬉しいですね。でもここは、『ペンション
「……セタ?」
「はい、カタカナで
ペンション・セタ。字面だけ見れば、確かに「七夕」と「セタ」はよく似ている。ちょっと特殊なフォントを使えば、それこそ見分けがつかないくらいに。
というか、なんだそのオチは。全然話が違うじゃないか。
「初めてあの看板を見た人が、『
「復活って、どういうこと?」
僕がそう問うと、ななかは柔らかく笑って答えてくれた。
「実はですね。私が大学に進学したお祝いに、お祖父様が古くから所有していたここを譲ってくれると言いだしたんです。車がないと来れないような辺鄙な山奥ですが、アクセス可能な道路もありますし、やり方次第ではまた集客も見込めるかと思いまして。そのプランを練りに、夜な夜なここへ来ているという訳なのです」
「ここをリフォームしてペンションを再開させるってこと?」
「リフォームというよりは、まるっと建て直しになると思いますが。私、大学では経営を学んでいるんです。私が学んだ知識は実際にどこまで通用するのか、少し試してみたくなりまして」
「へぇ、なるほど。僕も大学で経営を学んでるんだけど、凄いな。実際に試そうとするなんて」
「三木さんも経営を?」
「コイツん家、地元じゃ有名なパティスリーなんだよ。いずれ家を継ぐために、だったよな? 結構美味いんだぜ、三木の作るチョコレートはよォ」
「別に大したことないよ。それに継ぐとは決めてない。ギリギリやっていけてるような店だしね」
「それはそれは。未来の経営者だなんて、これは親近感が湧きますね!」
さらりと笑うななかを見て、僕は思った。やっぱり可愛い。こんな可愛い女の子が、幽霊な訳がない。
幽霊の正体、ここに見たりってヤツだ。フタを開けてみればなんてことない、噂とは往々にしてそういうものである。
少しの期待外れ感と、そして大きな安心感。溜息ともつかない息が自然と漏れていく。同じような息をつきながら、まだななかとは目を合わせられていない名塩が言う。いやいやどこまで拗らせてんだお前。
「ここを復活、か……。なかなか道は厳しそうだが」
「はい、きっと厳しいと思います。でも、そのほうが楽しそうだと思えませんか? アクセスが悪くても、驚くほどの集客を誇る旅館やホテルは、実際に多くあるんです。ここもそういう風にしたい。幸い、ここは雰囲気がとてもいい」
一旦言葉を切って。そして頭上の星々を眺めて、ななかはゆっくりと言葉を継いだ。
「ほら、見てください。この無窮の星の煌めき。人工的な光が全くないから、ここまで星が綺麗に見えるんですよ。まさに宇宙がそこにある。そんな気がしません?」
「まぁ、確かに。滅多にお目にかかれないくらい、綺麗な星だと僕も思うよ」
「でしょう? だから思っちゃうんです。きちんとプランを練れば、ここだってもっと人を集められるかも知れない。もっと星のことを、宇宙のことを、皆さんに知ってもらうことができるかも知れない。ここがそんな場所になればいいな、そんな場所に自分の力でしてみたいなって、そう思っちゃうんですよ」
えへへ。こちらを見ながら、控えめに笑うななかを見て。くさい言葉かもしれないけれど、僕は思う。
──星よりも光り輝く存在を、僕は見つけたんだと。
……いやいや、何言ってんだ僕は。どうした、らしくないぞ僕。よし、いつもの僕に切り替えよう。
とにかく、まずはここから退散だ。これ以上ななかに迷惑は掛けられない。というよりも僕自身のボロが出ないうちに、さっさとここから退散したかった。
別にななかに気に入られたいとか、決してそういう気持ちじゃない。事業について真剣に考える若き経営者の邪魔をしてはならないのだ。僕たちみたいに生産性ゼロ、いやマイナスの人間は。
「よし。とりあえず、今回の目的は達成されたよな。ペンション
「三木さん、もう帰っちゃうんですか?」
「あぁ、ごめんね。僕らが居ると邪魔じゃない? それにここって、キミの持ち物なんだよね。勝手に入って申し訳なかったよ、ごめんね」
「私は気にしていないですよ?」
「さすがに僕は気にするよ。コイツらと違って、僕にはまだ常識があるんだ」
地面に転がる二人に視線を投げて、僕は続けた。
「ほら名塩、加西、早く立てよ。彼女の邪魔をするのはよくない。行こう」
「……了解した。車を回して来る。加西、車の後方確認を頼む」
「あいよ」
アホ二人は連れ立って、エントランス近くの車へと足を向けた。必然、そこには僕とななかの二人が残る訳で。
とりあえず間を持たそうと、僕はもう一度ななかに詫びを入れることにする。精一杯の誠意を込めて。
「……なんかごめんね。僕のツレがアレ過ぎてさ」
「いいえ。私にとっては、短いですが楽しい時間でした。それにこうして、三木さんとも出会えた訳ですし」
「え? 僕と?」
「三木さんも、ご自身のお店を使って経営が出来るお立場なのでしょう? そういう知り合いは少ないので、ぜひお近づきになりたいです。これ、もし迷惑でなければ」
差し出されたカードに書かれていたのは、ななかの名前と連絡先。つまりはメッセージアプリのIDだった。
「ええと、これを僕に?」
「はい、三木さんに。連絡、お待ちしていますね。それでは、叶うのならまた今度です」
にこやかに手を振るななかを見て、思わず顔がほころびそうになる。
いやダメだ! それは家に帰るまで我慢だ、我慢。僕はわざと素っ気なく手を振って、踵を返してななかに別れを告げる。
アホ二人にバレないよう、そっとそのカードをポケットに忍ばせながら。
【続】
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