三星目
ガリガリガリ。今にも分解しそうなヤバめの音を立てて、名塩の駆るオンボロ軽四がアスファルトを蹴っていく。街灯のない夜道を、お世辞にも明るいとはいえないヘッドライトが照らしていく。
眼前の道は見るからに田舎道。僕らの住む街を出て、かれこれ一時間が経とうとしていた。気がつけば既に日付が変わっている。七月七日。つまり
「何だかんだ言ってよォ、三木も着いてきてんじゃねぇか。やっぱりお前も楽しみなんだろ?」
助手席から肩越しに言ったのは加西。ニヤリと唇を歪めているのが腹立たしい。僕は腕を組んだまま、冷たく言葉を返してやる。
「寝言は死んでからにしろっていつも言ってるだろ、加西。お前らがバカやらないように僕がいるんだよ」
「お前らのらというのは、まさか俺も入っているのか、三木」
ふざけた妄言をいう名塩は、大学生になったのを機に、叔父からこの廃車一歩手前(名塩いわく二歩手前)のクルマを譲り受けたらしい。高校の頃と比べて行動範囲が段違いに広がることが大学生のいいところだけど、行動範囲の広がったアホなど公害でしかない。
運転席と助手席にはそのアホが二人。もちろん、どこに出しても恥ずかしいアホである。
僕は呆れつつも後部座席に深く腰掛けて、クルマに乗ったことを今更のように後悔していた。バックミラー越しに目が合った名塩は、視線を前に戻しながら言う。
「どうした三木、浮かない顔だな」
「そりゃ浮かない顔にもなるよ。この状況、どう考えても浮かないだろ。断片的過ぎる情報を頼りに、件のペンションに向かってる。嬉々とした目の二人を見ると、いよいよ発狂し始めたのかも知れないって普通思うだろ」
「心配してくれてありがとよ、三木ィ。だがオレぁ狂ってねぇし、それに彼女ができるまで絶対死なねぇと決めてんだ。だから大丈夫だぜ?」
「不死の存在にでもなるつもりかよ。それに二人の心配なんてまるっきりしてないからな」
「不死の存在……ちょっとカッコいいなそれ!」
皮肉の通じないアホがいた。ダメだこいつは手遅れだ。僕はもう一人のアホに話を振る。
「それで名塩。本当に幽霊が出るって廃墟に向かってるのか、これ」
「織姫と呼ばれる幽霊だ。普通の幽霊じゃない。それに噂では、かなりの美女らしいぞ」
「いや知らないよ。幽霊に醜美なんてあるのかよ。で、その美女の幽霊がいたとして、どうしてそんなペンションに出るのさ」
「今から三十年以上前、ちょうど日本がバブルに沸いていたころの話だ。そこは星が綺麗に見えることが売りのペンションでな、当時は結構な客入りだったらしい。しかしバブルが弾けてから一変、多分に漏れず倒産の憂き目にあった。買い手もつかず、取り壊す目処も立たずそのまま放置され、今や廃墟となっている。そして最近目撃され始めたのが、件の織姫というわけだ」
「最近? 三十年以上前からある建物なのに?」
「織姫が『ペンション七夕』で目撃され始めたのは、昨夏からの話だ。名塩リサーチの確度は高いぞ、信頼しろ」
「いや知らないよ。それにその名塩リサーチって何さ。あとなんで幽霊なのに『織姫』なのさ」
「──ペンション七夕に出る女幽霊。それになぞらえて織姫という名がついたのだろう。そしてもうひとつ、織姫と名付けられた理由がある。その織姫は、どうやら願いを叶えてくれるらしいんだ」
「幽霊が願いを叶えてくれるって、やっぱりにわかには信じられない話だよ」
「だが事実だ。ペンション七夕に足を踏み入れ、首尾よく織姫と遭遇し、願いを叶えてもらったというヤツがいるらしい」
「なるほどなァ。そりゃ確度が高い情報だぜ」
さっきまで黙っていた加西が混ぜっ返す。マジで話聞いてたのかコイツ、と思うくらいに的外れな言い方で。
「いやどこがだよ、加西。全部らしいって話じゃないか。そもそもペンション七夕って廃墟があるのかどうかすら眉唾だよ。よくあるだろ、噂だけが先行してて心霊スポット自体は実在しないとか」
「いや、ペンション七夕は実在する。俺は先週、そこに行ってきたばかりだ。知り合いに連れられて行ったんだが、前回は織姫に会えなかった」
実在するだって? しかも先週行ったって?
名塩はどこまで行動力のあるアホなのだろう。その熱意を少しでも真面目な方向に傾ければ、
「俺は前回失敗した。廃墟を舐めていたんだ。半袖短パンという脆弱な装備では最奥部まで探索すること叶わず、結果、戦略的撤退を余儀なくされた。だが織姫の存在は感じた。あのペンションには何かがある」
「そういうことか。だから名塩は装備を整えて来いつったんだな。ようやく合点がいったぜ」
「あぁその通りだ。二人とも探検の装備は万全か」
「……あのな名塩。普通の人間は探検用の装備なんて持ってないからな。一応、言われた通りのブーツと、明るめの懐中電灯とかは持って来たけどさ」
「廃墟を探索するにあたって、一番怖いのは物理的な怪我だ。釘なんて踏み抜いたら
「いやいやもっと他に注意するとこあるだろ」
「その他もろもろについては、現地に到着してから説明する。まもなく到着だ、鋭気を養っておいてくれ」
田舎道を抜けて、クルマはいよいよ人里離れた山道に突入した。悪路のギャップを拾ったタイヤから伝わる強めの振動。名塩のステアリング捌きに危なっぽさは感じないが、名塩自体から強めの危険信号が発されているのは言うまでもない。なんというか、嬉々とした鬼気迫る表情なのだ。端的にいうと、まぁヤバい顔である。
そうこうしている内に、クルマは目的地に到着。目の前に飛び込んできたのは「ザ・幽霊の出る廃墟」といった雰囲気の古い洋館チックなペンション。
エントランスにはレトロなフォントで「ペンション七夕」と看板が掲げられているが、所々崩壊していたり巻き付くツタなどがいい塩梅におどろおどろしさを醸し出している。これはきっとヤバいヤツだが、ペンションの周囲は趣のある笹の葉に囲まれていた。
夏の夜風が吹く。笹の葉がさらさらと揺れる。頭上には
なるほどこれは、ペンション七夕と言っても差し支えないかも知れない。建物が無傷で綺麗だったらの話だが。
「……なんか感じるよな。ここに美女がいるっつー雰囲気がよォ!」
一体どんな感性をしていればそんな風に感じるのか。いるのは美女と噂される幽霊だろ、幽霊。
「よし、それでは取り掛かるぞ。加西、三木、まずは装備の点検だ」
「……再集合してクルマに乗った時から、気にはなってたけどさ。だからそんな服を着てるのか、名塩」
目の前の名塩が振り返る。その姿は、いわゆる都市迷彩が施された
いやアホかと。そんな姿で何と戦うというのか。ていうかどこで買ったんだよそれ。ACUの長袖ジャケットを着込む名塩を見ると、太腿に装備された妙なモノに目がいった。
あれは確かレッグホルスターというヤツだ。そこにはオートマチック型の拳銃が差さっている。
……何故だ。理解に苦しむぞ名塩。僕の視線が気になったのだろう。名塩はニヤリと笑いつつ、妙に手慣れた動作でその拳銃を抜いた。
「俺の装備が気になるか、三木。前回手痛い敗北を喫したからな、今日のために大手通販サイト・アマゾネスで購入したんだ。これは
「水鉄砲って言えよ鬱陶しい。そんなオモチャで何と戦うつもりだよ」
「この中には、霊験あらたかな神社の手水舎で拝借した清水が入っている。どうだ、悪霊に効果がありそうだろう」
どうだと言われても、いやもうなんていうか。本気でバチ当たれ、としか思えない。名塩は背を向けて格好をつけながら、しゃがみ込んでブーツの紐を固く縛り直している。こちらに向けたのは肩越しのドヤ顔。その所作がいちいちうざい。こいつもダメだ。手遅れとはまさにこのこと。
手遅れなヤツはもう一人いるのだが、そいつを見てみると訳のわからん装備を手にしていた。格好こそ迷彩服ではないが、ゴツめのブーツにカーキを基調とした長袖長ズボン。なんでこいつら、こんなに楽しそうなのだろう。
「……それでさっきから加西は何してんだ、それ」
「これか? これァ名塩に借りたんだ。これも例の霊験あらたかな神社で手に入れたブツらしいぜ?」
バッサバサ。白木の棒の先に、半紙で出来たフサフサが付いているそれ。神主様がバサバサやってくれるご利益がありそうなアレである。これの名前、何ていうんだっけ。
「加西、お前それで何するつもりだよ?」
「そんなん悪霊が来たらバサバサするに決まってんだろ? 悪霊退散、即成仏! 三木ィ、お前の背中はオレに任せなァ!」
「……いやもうなんか頭痛いよ。どうでもいいけど、それ何て名前だっけ。そのバサバサしたやつ」
「
「あぁそうそれだ。その大幣、本当にきちんと買ったヤツだろうな。それが神社で売ってるの、僕は見たことないけど」
「そう言えば私も、神社で売っているのは見たことがありませんね」
「だよな。おい名塩、もし神社で盗んで来たとか言ったらもう、」
……ん? わたし?
思わず声のした方、つまり後方に振り返る。
──そこには可憐な女の子が、控えめな笑みで立っていた。
そして必然、僕はこう思う。
で、出たぁ──っ!
【続】
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