二星目


 目を閉じれば呼び覚まされる、苦いというか酸っぱい記憶。昨年末の某祭、春先の第二回新歓コンパの戦い、さらにはブラッディ・ゴールデンウィーク……だめだこれ以上は。僕はすぐ、記憶に強めの蓋をする。

 アレらはマズい。つまりは、思い出すだけで胃液が逆流してくるヤツである。僕は苦い表情で言う。


「とにかく。痛みを負ったのに僕らはなにも成長していない。きっとやり方が間違ってるんだよ。そもそも彼女を作ろうって考えがダメなんじゃないのか。求めてるうちは手に入らない、ってよく言うだろ?」


「違うな、間違っているぞ三木。目標を見据えて眼前のミッションをひとつずつこなしていく。黙々とな。それがプロというものだろう、違うか?」


「いや違うよ。そもそもプロってなんのプロだよ」


「つまりよォ、名塩は『気持ちはプロのように』って言いてぇんだろ。要は気構えの問題さ。そうだろ、名塩ォ?」


「明察だ、加西。全ては気持ちからだ。どうしても彼女が欲しいと思う強い気持ち。我もリア充たらんとする鋼鉄の意志。それこそが現状を打破する原動力だ。努力もしないまま『彼女ができない』などと嘆くのは見当違いも甚だしい。そんなヤツほど自分を取り巻く環境の所為にする。それは万死に値することだ」


 一旦言葉を切って、アイスコーヒーを喉に流し込む名塩。勿体つけた咳払いをひとつすると、神妙な面持ちでゆっくりとセリフを続けた。


「……しかし、だ。俺たちは血の滲む努力をし続けてはいるが、結果が伴っていないのも事実。ここは認めざるを得ないところではある」


「そうなんだよなァ。世の中、結果が全てだ。つまりよ、結果が出ねぇのなら努力してねぇのと一緒なんだよな、悔しいことによ」


「そこでだ。俺はもう一度、なぜ俺たちに彼女ができないかについて考えてみた。前回のように深い瞑想状態で。そしてついに得た。天啓をな」


 天啓? これはまた話がおかしくなってきた。やれやれと僕はかぶりを振るが、対面に座る加西の顔は嬉々としている。やっぱりアホだ、こいつらは。


「名塩、勿体ぶらずに早く言ってくれ! その天啓が示したものは何だ? オレたちには一体、何が足りねぇんだ?」


「結論を急ぐな、加西。順を追って話す必要がある。まずはそう、この伝説から説明せねばなるまい。来る七月七日──、この日が何の日か知っているか、二人とも」


「七月七日? そりゃ七夕たなばただろ。日本人なら誰でも知ってるぜ」


「七夕に纏わる伝説も知っているか?」


「アレだろ? 織姫と彦星の伝説。一年に一度、七夕の夜が晴れたら逢えるっていう、悲しい物語だろ。それとオレらに何の関係がある?」


 と言ったところで。加西は何か重大なことに気がついたような顔つきになり、絞り出すように言った。いや待て。そんな顔になる必要のあるとこか、コレ。


「──まさかとは思うがよォ、短冊に願いを懸けるってことかァ?」


「……明察だ、加西。俺たちは努力している。誰よりもだ。しかし結果が伴わない。それならば、もはや願掛けしかあるまい。人事を尽くして天命を待つ。俺たちにできることは、ただそれだけだ」


「いや待て! この前の冬、それで死にかけただろ僕たちは! 忘れたとは言わせないぞ!」


 堪らず割って入ってしまうのは僕の悪い癖だ。それはわかっている。このアホ二人に、なにを言っても無駄だと言うことは。

 記憶に新しい、あの冬。あの戦い。ある神様にお願い事をしようと、僕たちはに参加したのだが。結果得たものは九死に一生という、ただただ苦い思い出だけだった。そんな臨死体験は一生に一度でいい。僕はさらに続けた。


「あのな二人とも。この前の祭、あれは散々だったろ? 死にかけたんだぞ本当に! 神頼みなんて現実的じゃない、そもそも僕たちに彼女ができるなんてことが現実的じゃないんだよ!」


「安心しろ、三木。前回の祭は確かに俺たちの準備不足だった。だが今回は、笹の葉に願い事を書いた短冊を掛け、そして純粋に七夕を祝う。ただそれだけだ。この時期、そこらの幼稚園児だってやっている簡単な事だぞ」


「そんな簡単なことでよォ、本当に願いが叶うのか?」


 と、混ぜっ返したのは加西。ドリンクバーの炭酸ジュースを呷り、名塩の言葉の続きを促す。名塩はアイスコーヒーで唇を湿らせ、ニヤリと口許を歪めながら答えた。


「普通に願ったのなら、効果は期待できないだろう。少なくとも俺は、今まで何度か七夕に願い事をしたことはあるが叶った試しはない。お前たちはどうだ」


「オレもだな。思い返せばいろいろ願ってきたけどよ、一度として叶ったことはねぇな」


「だろうな。それは、願う先が間違っていたからだ」


「あん? そりゃどう言うことだよ?」


「一般的に、七夕の願い事は織姫に願うとされている。織姫とはのヴェガという星だ。地球からの距離は、約二十五光年。つまり願い事をしたとて、聞き届けてくれてくれるのは最短でも五十年後ということだ」


「なるほど往復ってことか。つまり、オレの願いはまだヴェガに届いてもいねぇってことかよ……」


「そういうことだ。つまり次の七夕に『彼女が欲しい』と願ったとて、叶うのはその五十年後。星の距離とはそれほど果てない距離だ」


「五十年……。それまで一人で生きろってことか? なんて残酷なんだよ、七夕ってのはよォ!」


「さっきも言っただろう、加西。。ヴェガに願いを掛けても意味がない。つまり、に願いを掛ければいいということだ」


「別の織姫、だと……?」


 いつもの如く完全に雲行きが怪しくなってきた。僕のそんな考えを余所に、名塩はもう一度アイスコーヒーで唇を湿らせる。そしてまたも不敵な笑みをした。どうでもいいけどなんかムカつくな、その顔。


「名塩リサーチによると、別の織姫は確かに存在する。しかも星など目ではないくらい、我々に近い存在として。さらには我々とは一線を画する、超自然的な存在としてだ」


「なんだと……? どこに居るってんだ、名塩ォ!」


 いやもっと突っ込むところあるだろ加西。名塩リサーチとか超自然的な存在とか。いろいろおかしい。しかし悲しいかな、それは今に始まったことではない。黙る僕を余所に、名塩と加西は会話を続ける。


「──ペンション七夕たなばた。その名を知っているか」


「ペンション七夕? なんだそりゃ、聞いたこともねぇぞ。お前は聞いたことあるか、三木ィ?」


「なんで僕に振るんだよ。ないに決まってるだろ。ていうか名塩の言うことなんてハナシ五分の一くらいで聞けよ、加西」


「ふん、お前たちが知らないのも無理はない。なにしろ激レア情報だからな」


 激レア情報。既にその言葉が胡散臭い。アホかこいつ、と突っ込むまでもなく名塩はアホだった。あと目を輝かせている加西ももちろんである。深い溜息を吐く僕を無視して、名塩は続ける。

 

「ペンション七夕とは、とある山奥に存在した、いやある意味今も存在するペンションの名だ。そこは今や廃墟と化してはいるが、建物自体は現にそこにある」


「そのペンションに、一体何があるってんだよ?」


のではない。そこにんだよ」


「だから何が」





【続】


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