第1章 高花高校のブッとんだ人びと(9)

 放課後、わたしは西館へ向かった。

 昨日、谷川栞先輩に、また来ます、と約束したからだ。

中庭まで来たところで、池のほとりでなにやらビチビチ動いているものを見つけた。

 陸に上がったコイが、口をパクパク、しっぽをパタパタさせている。

 おやまあ、かわいそうに。

 池の住人たちの中でも、ひときわ元気のいいやつなんだろう。水面からジャンプした拍子に、岸に上がってしまって戻れなくなったのだと思われる。

 苦しそうに口を開け閉めしている姿を見ると、なんとか水の中に戻してあげたいと思う。

 だが、いかんせん、この、観賞魚にしては人の手に余るサイズ感、魚類特有のウロコの手触り、競泳選手のドルフィンキックのような力強い全身運動――

 平均的な高校生女子ひとりでは、手に負えない。

 オロオロとどなたか協力者を探すが、都合よくわたしの知り合いが、近くを通りかかるわけもなく、無為に時間だけが過ぎていった。

 おお、コイよ、わたしの非力を許せ。

 わたしが、おのれの無力さを嘆いて、空を見上げたその時――

「アラ、大変」

 わたしたちとはちょっと違うイントネーションが聞こえてきた。

 声がした方を振り返ると、全体的に色素の薄い美人が、立っていた。

 突然の登場人物に、少しとまどいながらも、

「コイが……」

 なんとか声をふりしぼる。

 色白のその人は、なにも言わずに息も絶え絶えのコイに近づいて、頼もしいことに手をのばした。

 そして――

「あ、なんか、バッチい」

 やっぱり、手を引っ込めた。

「そうだ、チョット待ってくださいね」

 わたしに言ったのか、コイに言ったのかわからない言葉を言い残して、その人は西館の中に入っていった。

 瀕死のコイと待つこと数十秒。

 にこにこ顔でこちらに戻ってくる彼女。手には、洗い物用のゴム手袋をはめている。

「ハイ、あなたもお願いしますね」

 余分にもう一組ゴム手袋を持ってきてくれたようで、わたしにも手渡してくれた。

二人でコイの頭としっぽをそれぞれ持って、池の中に「せーの」っと放り込む。

 ようやく池に戻ることができたコイは、しばしの間水中でじっとしていたが、突然なにかに気づいたように、思いのほか元気に泳ぎだした。

「よかった。ありがとうございます」

 わたしは、ぺこりと頭を下げた。

「いいんですよ。ここのコイ、かわいいですもんね」

 その人は、色素の薄いきれいな瞳で、エサはまだかと口をパクパクさせている単純明快な行動原理のコイたちを、愛おしそうに眺めた。

 こんな美人にかわいがってもらえるのなら、来世はコイに生まれ変わっても悪くないかなと思ってしまうほどの、すてきな横顔だった。

「それじゃあ、ワタシは部活があるから、このへんで失礼します」

 その人はそう言ってさわやかに手を振ると、西館へ向かう。

 わたしも天文部に用事があるので、はからずも彼女の後ろをついていく形で、西館へ向かった。

 昨日と同じ階段をのぼって、屋上を目指す。彼女もまだ、わたしの前を歩いている。

 結局、五階までのぼったところで、その人は廊下の方へ歩いていった。

 なにげなく、彼女の行く先を目で追っていると、階段からそう離れていない教室に入っていく。その教室のプレートには、『天文部』と書いてある。

「天文部!」

 思わず、大きな声が出てしまった。

 その声に反応したのか、教室のドアから女の人が顔をひょこっと出した。

 谷川栞先輩だった。

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