第1章 高花高校のブッとんだ人びと(8)

 すわちゃんが硬式テニス部の過激派に拉致されて、わたしが天文部の谷川栞先輩と松浦武一先輩に天体望遠鏡を覗かせてもらった、次の日――

 一限目の英語の授業が終わった休み時間、わたしは新しく習った「現在完了進行形」なる珍妙な西洋の概念に、七転八倒していた。

 中三の時に「現在完了形」を習った時点で、頭がくらくらしていた。

中学生のわたしは、その時制を、「現在」では「完了」してしまっている状態と、無理やり解釈して納得させていた。

 それが高校英語では、さらに「現在」「完了」してしまっている状態が「進行」していることもあるらしい。どういうこっちゃ。

「お兄ちゃんが言ってたけど、『過去完了進行形』なんてのもあるらしいよ」

 すわちゃんが後ろの席から、さらに混乱を誘う情報をブッ込んでくる。

「むきー」

 思わず髪をかきむしって、机につっぷした。

 

「そう言えば、硬式テニス部どうだったの?」

 難解な高校英語のことは、今はすみっこに置いておいて、わたしとすわちゃんは、昨日のことを話題に花を咲かせることにした。

「まず、薄暗い部室に監禁された。それで、まわりを屈強なテニス部員数名に囲まれて、ひたすら勧誘を受けた」

「……」

 ごめんなさい。前言撤回。この話題に花は咲かない。思ったよりも、殺伐としてた。

 似たようなシーンを木曜日のロードショーで見たことがあるわ。

「よく解放してもらえたね」

「入部届の用紙を前に、ず~っと『書け』『書かない』の押し問答をしていたら、騒ぎを聞きつけた風紀委員が、ドアの鍵をぶち破って突入してくれたんだ」

 けろりと当時の出来事を証言する、すわちゃん。

 FBIの職員さんや少年探偵団でもなければ、今どきそんな貴重な体験をする人は、そうそういないんじゃないだろうか。

「ここの風紀委員って、そんなことまでするんだね」

「この時期は多いらしいよ。体育会系や文科系関係なく、脅迫まがいの新入生勧誘が。一日三枚くらいは部室のドアをぶち破るって、助けてくれた風紀委員の人が言ってた」

「やってることが、特殊すぎるでしょ」

 星の数ほどもあるという、高花高校の部活動だ。

新入生の確保は、部の存続にかかわる死活問題。

限られた配を奪い合う弱肉強食の戦国乱世の真っただ中に、どうやらわたしたちは放り込まれているらしい。


 十分間の休み時間が終わり、二限目のはじまりを告げるチャイムが鳴った。

 次は数学Ⅰだったかなと、教科書とノートをカバンから引っ張りだす。

 隣の席の内山君は、先生がまだ教室に来ていないことをいいことに、午前のお弁当をぱくついていた。

 彼は、午前、お昼、三時の一日三回お弁当を食べることを日課としている。

「おれの体を維持するためには。腹が減ってから食うんじゃ遅いんだ。腹が減る前に食うんだよ」

 というのが、彼の理論だが、わたしにはもちろん理解不能だ。

 中学に続いて高校も野球部に入部した内山君は、部活で消費したカロリーをはるかに上回る量を、こうして毎日摂取している。

「ぎゃー、宿題やってなかった!」

 後ろの席から、すわちゃんの断末魔が聞こえてくる。

「和歌~、宿題写させて」

 わたしの肩をもみもみしつつ、しなだれかかってくる、すわちゃん。

 数Ⅰの佐々木先生は、宿題忘れにキビシイのだ。

「しゃあなしやぞ」

 B罫ノートを肩ごしにわたす。

「おまえ、授業始まる直前に宿題なんかすんなよ」

 弁当だけに集中していればいいものを、内山君がすわちゃんに食ってかかる。

 ついでに、口からご飯つぶがぴんぴん飛びだす。

「うるさいなあ、内山。おにぎりせんべいあげるから黙ってな」

 すわちゃんが、小袋をあけて三角形のおせんべいを、ほいっと投げる。

 内山君は、それを口で器用にキャッチすると、「うおお、ラッキー」とほっぺたをぷるぷるさせた。

 内山君を見ていると、中庭の池のコイを思いだす。

 霊長類も魚類も、長い進化の過程で、姿かたちはすっかりかけ離れてしまったけれど、根っこのところの行動原理は同じなのかもしれない。

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