第1章 高花高校のブッとんだ人びと(7)
松浦先輩が、天文台の壁に設置してある操作盤のスイッチを押した。
わたしたちの頭の高さにある油まみれの年代物のモーターが、がたがた震える。むき出しのゴムベルトが回転をはじめて、ドーム屋根に動力を伝える。
きしむようなうなり声とともに、ドームがゆっくりと回りはじめた。
「骨董品みたいなものですからね。古くさくて申し訳ないです」
松浦先輩がスイッチを押しながら、わたしに視線を向けた。
「どれぐらい古いんですか?」
「この西館が建ったのが四十年くらい前だそうですから、この天文台もそれぐらいじゃないでしょうか」
「はあ。年季が入ってますね」
「そうですね。よし、ここでいいかな」
天文台のドームは、西の方角を向いて止まった。
開口部からは、遠くの鈴鹿山脈とその手前に広がる青山高原が見える。
「次は望遠鏡を動かすわよ」
谷川先輩が望遠鏡の筒をぺちぺちたたく。
「栞さん、鏡筒に衝撃をあたえないでください」
松浦先輩がやんわり注意する。
「ああ、望遠鏡の筒の部分を『鏡筒』っていうんですよ」
ついでに、わたしに望遠鏡ノウハウも教えてくれる。
「『校長』じゃなくて、『鏡筒』だからね。間違えないように」
谷川先輩の駄洒落は、やんわりとかわしておく。
たぶん、天文部伝統の新入生歓迎ジョークなんだろう。
***
青山高原は、高花高校のある町から、車で一時間半ほど走った距離にある。
わたしも、何年か前に家族と車で行ったことがあるけど、見晴らしの良い道をドライブするのも気持ちいいし、高原の芝生でのんびりピクニックをするのも楽しい。
何より、高原には風力発電用の大きな風車が、なんと六十基以上立ち並んでいる。
高さ五十メートル以上の風車が回る光景は、迫力満点だ。
***
松浦先輩は、今度は天体望遠鏡を取り回しはじめた。
「望遠鏡の旋回範囲内にいると、頭をぶつけるので気をつけてくださいね」
北を向いていた望遠鏡を固定しているロックを解除して、ぐるりと九十度振り回して、西の方角――青山高原に向けた。
「大きな望遠鏡ですね」
松浦先輩が手際よく動いている様子を眺めることしかできないわたしは、今さらながらの感想を谷川先輩に話す。
「焦点距離が三千ミリあるから、鏡筒の長さもそれくらいね。たぶん、軽自動車の前から後ろまでの長さと同じようなものかしら」
そう聞くと、結構な大きさのような気がする。
「ドーム式天文台の中に設置する屈折式望遠鏡としては、特別大きいものでもないんだけど、ふだん天体望遠鏡なんて見ることないものね」
わたし同様、手持ちぶさた気味の谷川先輩は、難しい専門用語を並べながら話してくれた。
「天体望遠鏡の難しい話は、天文部に入部したらおいおい説明してあげましょう。おたけさん、そちらはどう?」
松浦先輩はすでに、大まかな位置を合わせたようで、大きな望遠鏡の鏡筒にくっ付いている、小さな望遠鏡のようなものを覗きはじめた。
この小さな望遠鏡は、なんだろう。子ども用かな?
「ファインダーって言うのよ。大きな望遠鏡は視界が狭いから、まずはあの小さな望遠鏡で対象を中心にとらえるの。それから大きな望遠鏡を覗いて、位置の微調整やピントを合わせれば完了ね」
わたしの疑問を先回りしてくれる谷川先輩。
「小人さん用の望遠鏡だと思ったでしょ」
「いや、そこまでメルヘンじゃないです……」
「そう? まあいいわ」
谷川先輩は気にすることもなく、天文台の隅っこから、ジュラルミンケースをずるずると引っ張り出してきた。
ケースを開けると、中には小さな円い筒が、整然と並んでいる。
この筒、どこかで見た覚えがある――
「ああ、そうだ接眼レンズ。理科の授業で顕微鏡を覗くときに、似たようなのを顕微鏡にはめて使いました」
「大正解。望遠鏡も顕微鏡も、主要な箇所の用語は同じよね。接眼レンズ、対物レンズ、鏡筒、焦点距離とかね」
中学時代の理科の授業が、脳裏によみがえってきた。あの時は、ツバキの葉っぱの断面を調べるのに、顕微鏡を覗いたんだっけ。
「栞さん、望遠鏡覗いてもらえますか。たぶん、大丈夫なはずです」
松浦先輩がファインダーを覗きながら、谷川先輩に声をかける。
谷川先輩は「はいはい、ただいま」と、おばあちゃんが電話に向かうときみたいにつぶやきながら、一つの接眼レンズを持って望遠鏡に向かう。
慣れた手つきで望遠鏡に接眼レンズを取り付けると、「どれどれ」と覗いた。
「あ、いいわね。ドンピシャよ」
「でしょ」
「さすが、おたけさん。相変わらずいい腕ね」
「褒めてもなにも出ませんよ」
二人でそれぞれ望遠鏡とファインダーを覗きながら、他愛もない会話をする谷川先輩と松浦先輩。
なんだろう、すごくほっこりする二人だ。
「おまたせ、佐藤さん。望遠鏡覗いてみて」
谷川先輩がわたしに声をかける。
では、不肖ながら、行かせていただきます。
少し緊張しながら、さっきまで谷川先輩が覗いていた接眼レンズに、顔を近づける。
「あ、鏡筒には触らないように。合わせた位置がずれてしまいます」
松浦先輩に注意されて、望遠鏡に触れかけていた手を引っこめた。
「ピント合わない時は、右手のところに調節ねじがあるから、それを回してね」
谷川先輩が、わたしの手を取って、「ここね」と案内してくれた。
二人の先輩に、まさに手取り足取り教えてもらいながら、望遠鏡を覗く。
レンズの先に、天地逆さまにひっくり返った風車が、大きな羽をくるくる回していた。
なんとも言えない非日常な光景、不思議な感覚。
四十キロメートル先にある、五十メートルの構造物を、今動いている姿で、この場所で見ることができる。
テレビ中継やビデオ通話ではなく、レンズ二枚だけで――なんともアンバランスなアナログ感。
心がふわふわした感覚のまま、接眼レンズから目を離すと、谷川先輩と目が合った。
なんだか、背中がもぞもぞする。
なにも言えないまま、先輩の目を見つめていると、ふいに谷川先輩がにっこり笑った。
「どう、おもしろかった?」
「はい。とっても」
うなずくわたしに、先輩は「そう、良かった」と言った。
とつぜん、天文台の壁際に置いておいたカバンから、軽快な音楽が聞こえてくる。
わたしのスマホの着信音だ。
「あ、すわちゃんかも」
急いでカバンを開けて電話に出ると、聞きなれたのんびりした声が聞こえてきた。
「和歌、ごめんね~。今どこにいる?」
「おつかれさま。西館の屋上だよ。中庭の池にいる? 今から行くね。ちょっと待ってて」
「こっちこそお待たせ。それじゃ待ってるね~」
すわちゃんとの通話を手早くすませた。
「ごめんなさい、谷川先輩と松浦先輩。友だちと待ち合わせをしていたんです。もう、行かなきゃ」
「いいのよ。こちらこそ、ごめんなさいね」
谷川先輩が、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「屋上までいっしょに来てもらっただけじゃなく、長い間引き留めてしまって」
「いえ、わたしのために望遠鏡まで覗かせてくれて、ありがとうございました。とても楽しかったです」
「そう、良かったわ。それじゃあ、お友だちが待ってるみたいだから、ここでお別れね」
谷川先輩は、今度は心底名残惜しそうな表情をうかべた。
「先輩、おじゃまでなければ、また来てもいいですか?」
わたしは、谷川先輩にたずねた。
とたんに、ぱあぁっと表情が明るくなる先輩。
思っていることが、本当にわかりやすい。
「いつでも来てくださいよ。天文部は、放課後いつでもやっていますから」
松浦先輩も、にっこり笑った。
わたしは、再度お礼の言葉を述べると、屋上をあとにした。
すわちゃんに合流すべく、西館の階段を鵯(ひよどり)越(ごえ)のお馬さんのように駆け降りながら、わたしの心は言いようもなくわくわくしていた。
落ち着きのあるすてきな上級生だけれど、少し不器用で感情がわかりやすい谷川先輩と、とても丁寧でやさしい松浦先輩――
屋上の天文台と天体望遠鏡――
高花高校天文部――
わたしの高校生活はここから加速する、のかもしれない。
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