第1章 高花高校のブッとんだ人びと(6)

 谷川先輩の身長は、わたしと同じくらいだ。

 わたしの身長は百五十センチ前半なので、先輩の身長もそれくらい。

 そんなことを考えながら、二人で一つの寝袋を抱えて、西館へ向かう。

 谷川先輩の先導で向かったのは、校舎の北側にある昇降口だった。

「反対側の階段から屋上へ向かったの? ああ、そうなのね」

 階段をのぼりながら、わたしはこの少し前に、南側の階段から屋上へ目指したことを話した。

「あの階段は五階までしか行けないのよ。屋上へ行くなら、この北側の階段までこれば良かったわね」

 ああ、良かった。屋上へ安全に行けるルートはあったのだ。

 先輩の後ろ髪は、さらさらでとてもきれいだ。天使の輪っかが映える先輩の後頭部を眺めながら、わたしたちは階段をのぼっていく。

 五階まで辿り着くと、屋上へ続く階段がちゃんとあった。

その前には、『関係者以外立入禁止』と朱字で書いてある看板も立っている。

 谷川先輩は、その看板を躊躇なくどかして、

「今は、佐藤さんも『関係者』ね」

 そう言って、いたずらっ子ぽく笑った。


 屋上へ出ると、そこは気持ちいい春の風が吹いていた。

「広い!」

 思わずそんな感想がもれた。

「眺めもいい!」

 わたしの正面、東の方向は本館校舎があり、その向こうに伊勢湾が見える。

 後ろを振り向くと、はるか遠く鈴鹿山脈まで、田んぼと畑がどこまでも広がる。今吹いている風は、山脈から吹き降ろして、この西館まで障害物もなくまっすぐ進んできたものなのだろう。

「いい場所でしょ。ここに来れるのは、先生と天文部だけよ」

 谷川先輩は、どやあと胸を張った。

「運ぶの手伝ってくれてありがとね。ひとまずこのへんに置いときましょ」

 そうだったのだ。わたしたちは寝袋を運ぶためにここまでのぼってきたのだ。

 先輩もわたしも、正しい寝袋のたたみ方がよくわからないので、屋上の床にきれいに伸ばしておくことにした。

「ここは日当たりがいいから、寝袋を干すには最高なんだけど、風が強いのが難点ね」

 先輩は、風になびく髪をおさえながら、ゆっくりとした足取りで屋上の南側に歩を進める。

 夕日を浴びる先輩の横顔をなにげなく眺めながら、向かう先に視線をうつした。

そこには、不思議な形の構造物が建っていた。

 屋上の南端に鎮座する、直系三メートルほどの円筒状の壁と、その上に覆いかぶさるドーム状の屋根。

 驚いたのは、そのドームが低いモーター音とともに、きしむようにゆっくりと回転しだしたことだ。

 ドームには、人の肩幅くらいの開口部があって、谷川先輩とわたしの方へまっすぐ向くと、回転は静止した。

 開口部からは、大砲のような円い筒がのぞき見える。

 わたしは声もなく立ちすくんだ。

 ヘビににらまれたカエルの気分だ。

「高花高校天文部天文台。中にあるのは、口径三百五十ミリの天体望遠鏡」

 谷川先輩はまたもや、どやどや風をびゅんびゅん吹かしながら、説明してくれた。

「望遠鏡、ちょっと見ていく?」

 帰り道コンビニに寄っていく? くらいの軽いノリで、わたしは天文部の中枢を案内してもらえることになった。


 天文台の中は、薄暗かった。

 中央には、大きな天体望遠鏡が悠然と鎮座している。

「先輩、照明はないんですか?」

「星を見るのに明かりは大敵なのよ」

 そんなものなのかあ、と思いながら望遠鏡に近づこうとした、その時――

「――!」

 望遠鏡の向こうの暗がりで、なにかが動いた。

 そのなにかは、しゃがみこんでいた人のようで、おもむろに立ち上がる。

「先輩、だれかが、います……」

 わたしは、なんとか声をふりしぼった。

「そりゃ、だれかいるでしょ。天文台のドームは勝手に動かないんだから」

 谷川先輩は、けろりと答えた。

 そう言われれば、そうか。

「やあ、栞さん。おつかれさま」

 暗がりから現れたのは、優しそうな顔をしたメガネのお兄さんだった。

「おたけさん、ここにいたのね」

 谷川先輩が微笑む。

「暖かくなったから、点検がてらドームを動かしておきたかったんですよ。冬の間、観測で使い倒してましたからね――おや?」

 おたけさんと呼ばれたメガネのお兄さんは、おだやかな口調で話していたかと思うと、谷川先輩の後ろにひっついていたわたしの存在に気づいたようだった。

「新入部員さんですか? 三年生の松浦武一といいます。よろしくお願いします」

「えっと……」

 成り行きでここまでやってきてしまった自分の身分を、どう答えたもんかと思案していると、

「彼女は、一年生の佐藤さんよ。まだ部活見学中ってところね」

 谷川先輩が助け舟を出してくれる。

「そうですか。好きなだけ見ていってくださいよ。たいしたお構いもできませんが」

 松浦先輩は紳士的にわたしを歓迎してくれた。

「佐藤和歌といいます。よろしくお願いします」

 わたしも、ようやく松浦先輩に自己紹介をすることができた。

「おたけさん、せっかくだから望遠鏡でなにか観せてあげてよ」

 谷川先輩のリクエストに、松浦先輩は「う~ん」とうなった。

「まだ日も暮れていないから星は見えないし、今日は月も出ていませんからねえ……」

「それじゃ、あれでいいんじゃない。向こうの高原の……」

「ああ。あれにしますか」

「この時間ならいけるでしょ」

「望遠鏡で見るには、ちょっと邪道ですけどね」

 二人の先輩は、腕を組んでなにやらひそひそと話し合っている。

 わたしはその間に、天文台の壁際に、自分のカバンをひとまず置いた。

「よし。決まり! 西の方角に望遠鏡を向けましょう。おたけさん、操作をよろしく」

「了解です、栞さん。ドームを動かしますよ」

 怪しげな密談から一転、にわかに活気づく天文台内の二人の先輩たち。

 谷川先輩が腕を組んで指示を飛ばし、松浦先輩がテキパキと動く。

「目標は、青山高原の風力発電所」

 海賊船が出航するときってこんな感じだろうか。

 谷川先輩を心の中で勝手に女海賊船長に見立てて、わたしは少し笑った。

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