第1章 高花高校のブッとんだ人びと(5)
目の前が真っ暗になり、思わずその場でしりもちをつく。
「ぷはっ」
突然かぶせられたモコモコの「なにか」をはぎとって、反射的に周囲を見わたした。
不思議なことに、あたりに人影はない。
わたしの視界をさえぎったものを確認する。
このモコモコの感触から、最初ダウンジャケットかなと思っていたけれど、それにしては形も大きさもちがう。よくよく見れば、それは寝袋だった。
こんなものが、いったいどこから?
わたしが、乱れた髪をなおしながら、再度まわりをきょろきょろ確認していると、
「ごめんなさい」
頭の上から、声がふってきた。それは遠くから、かすかな声量でわたしの耳に届いた。
はっきりとよく通る、きれいな声だった。
見上げると、西館の屋上にあの日見た上級生が、顔をのぞかせていた。
わたしと目が合うと、その上級生は「あら」という表情をうかべた。
わたしは、あわてて立ち上がる。
「だいじょうぶ? ケガしてない?」
屋上の上級生は、言葉をつづける。
わたしのほうは、まだこの事態をうまく整理できず、あわあわと言葉にならない声をあげた。
「そっちに行くね」
上級生は地上を指さすと、わたしの返事を待たずに、屋上から顔を引っ込ませた。
まさか、ターゲットが向こうからやってきてくださるとは。
これは、えらいことですよ。
わたしが、本日二度目のえらいこっちゃ音頭を、頭の中でぐるぐるさせていると、屋上の上級生が息を弾ませながら、こちらにやってきた。
いや、今は地上の上級生か? なんだかよくわからない。
「ごめんなさい。ほんとうにだいじょうぶだった?」
「ぜんぜん。だいじょうぶです」
わたしは、寝袋を胸にかかえながら答えた。
上級生は「ふふ」と落ち着いた笑みをうかべた。
「あなた、また会ったわね」
「ええ。入学式の日に」
わたしは、うなずいた。
思わず、寝袋を抱える腕に力が入った。
「ごめんね。それ、かび臭いでしょ」
「え?」
「冬場に使いっぱなしだったから、天気のいい日に干しておこうと思って。そうしたら、風に飛ばされちゃった」
上級生は「まいったまいった」と言いながら、わたしから寝袋を自然に取り上げると、その場でくるくるとたたみはじめた。
たたんだのは、良いのだけれど――
「あれ? なんだかおかしい……」
首をかしげてつぶやく上級生。
できたのは、コンパクトに丸められた寝袋ではなく、中身のはみ出た極太恵方巻だった。
「先輩……」
いろいろツッコミたい欲求を飲み込む。
不器用な地上の上級生は、「まあ、いいか」とつぶやきながら、その極太恵方巻を小脇に抱えて、やってきた道を戻ろうとする。
「先輩、待って待って! 寝袋の端っこが地面擦ってます」
わたしは、あわてて後を追って、ズルズルと地面にこすられてかわいそうなことになっている寝袋の端を持った。
「わたしもいっしょに行きます」
「あら、ありがとう。ええと、あなたの名前は?」
上級生は、まっすぐにわたしの方へ顔を向けた。振り向くとき、背中まである髪の毛がさっと風にゆれた。
「――佐藤和歌です」
わたしも、上級生の目をまっすぐ見つめた。
「そう、佐藤さんね。私は、谷川栞」
そう名乗った上級生は、春風のようにすてきな笑顔をうかべた。
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