第1章 高花高校のブッとんだ人びと(4)

 硬式テニス部に拉致された友人を待ちぼうける、放課後の中庭。

 魚類と遊ぶのにもあきてきた。

 中庭の池の真ん中には、小さな日本庭園と茶室があって、茶道部がそこを活動の場としている。

 今日は天気がよいからだろう、障子が全開になっていて、うら若き女子高生たちがお茶会をしているところがまる見えである。

 なんともなしに、その光景を眺めていると、スマホが着信音とともにぶるぶる震えた。

 見ると、すわちゃんからメッセージが届いている。

『ごめん。まだ学校にいる?』

『いるよ。中庭でコイと遊んでる』

 ぺちぺちとお返事を入力する。

 すわちゃんによると、武装勢力硬式テニス部から解放されるまであと一時間の見込みだそうだ。

『待っててもらってごめん。先に帰ってていいよ』

 とのことだが、少し考えて、こう返信した。

『学校にまだ用事あるからだいじょうぶだよ。いっしょに帰ろ』

 すわちゃんからの返事は、『愛してるぜベイベー』だった。

 スマホをかばんにしまうと、ひとつ深呼吸。

 さて、ぽっかり空いたこの一時間。

 いいチャンスなのかもしれない。

「行ってみるか」

 かばんを肩にかつぐと、池をあとにする。

 向かう先は、入学式の日、あの上級生がいた場所。

 天文部が活動しているという場所。

 いざ、西館の屋上へ――


 ここ西館は、高花高校の中でも一番古い建物だそうだ。

 古びた鉄筋コンクリートの壁を眺めながら、校舎の南端にある昇降口をくぐる。

 西館の一階は、生物室、化学室、家庭科室の大きな特別教室が並んでいる。

 火の気と水回りは、なるべく一か所にかためておいたほうがいいのは、学校もふつうの住宅もいっしょだ。

 ただ、この特別教室は設備が古すぎて、もはや授業で使われることはないそうだ。今は、生物部、化学部、家庭科部や料理研究会の部室となっている。

 代わりに、中館や新館の新しい特別教室で授業は行われると、ねねちゃん先生に教えてもらった。

 昇降口の正面に階段があったので、そこから屋上を目指すことにした。

 特別教室のある校舎の一階は、古びてはいるが小ぎれいだった。

 それが、階段をのぼり始めたとたんに、カオスさがあらわれてくる。

 まず、階段のわきや踊り場の隅に、どこの部活の荷物なのか、段ボールが積み重ねられていて、とても歩きにくい。

 やっとこさ二階にたどりついたので、ちょっと様子を覗いてみると、廊下にもあいかわらず段ボールが積み重なっていた。それと、各々の部活が勝手に設置したと思われる下駄箱や三段ラックが並んでいて、さらにそこからよくわからんガラクタがあふれ出していて、廊下のはばが半分くらいになっている。

 火事や地震がおきたら大惨事よこれ、と思いながら、上の階を目指す。

 同じようにカオスな光景が広がる三階と四階を通り過ぎて、五階に到達する。

 さて、この上がついに屋上だ、と意気込んだところで、わたしの高くない出鼻はくじかれる。

 五階で階段は途切れていたのだ。

 はて? 屋上へのアプローチはどこへ?

 わたしは、近くの廊下の窓からひょっこり顔をだして上を見上げた。

 屋上は確かに、わたしの視線の先にある。そりゃそうだ。

 校舎の外壁に目を移すと、中央を地上から屋上までまっすぐのびる非常階段を見つけた。

 わたしが顔を出している廊下の窓は、中庭と反対側の位置にあるから、この鉄骨サビサビの小さな非常階段には気がつかなかった。

 え~、これのぼるの?

 わたしの天文部への好奇心と探求心は、しおしおとしぼんでいった。

 でも、ここまで来たし、どうしようと五階の廊下を見わたしてみたり、階段を見下ろしたり。

 校舎の隅っこで右往左往していると、どこかで新入生レーダーを張り巡らしているのか、廊下に並ぶ部室という部室から、わらわらと上級生が湧き出してきた。

 文科系の部活は武闘派ではない代わりに、こうしてふらっと迷い込んでしまった新入生を手ぐすね引いて待ち構えて、確実に刈り取っていくゲリラ戦を展開しているのだ。

 わたしは、「えらいこっちゃ」とつぶやきながら足早に階段を下りた。

 天文部へのアタックは、万全の装備と情報と覚悟を持ってのぞむ。それまでは、無期限延期である。

 これは、敗走ではない。

 勇気ある転進なのだ。


 西館の階段を一階までいっきに駆けくだり、昇降口をくぐり抜けて中庭までたどりつく。池のコイが、あいもかわらずのんびり泳いでいる。

 わたしは、池のほとりでようやくひと息ついて、心の緊張をときほぐした。

 ひと安心したところで、後悔の念が、むらむらと心の中に湧き上がってきた。

 もう少し、なんとかならなかったか、わたしよ。

 でもなあ、と思う。

 入学式の日に遠目で見かけただけの上級生がいる、というだけで、なんとなく気になっている程度の部活なのだ。

 月も星も興味のないわたしが、魑魅魍魎のバッコする西館を突破して、踏めばくずれるような非常階段を踏破して屋上まで辿り着けるような、不屈の意志も情熱も、そこまで持ち合わせてはいないのだ。

 今回はご縁がなかった、ということで。

 わたしが、青春の葛藤に、リスク回避という大人の判断をくだそうとした、その時――


 バサッ

 

 突然、やわらかだけど、適度に重みのある得体の知れない「なにか」を頭からすっぽりかぶせられて、わたしの視界は暗転する――

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