第26話 受験勉強の緊迫感

「ぐー。すやすや……」

「おい、蛭矢えびや、勉強中に寝るんじゃない」

「ぐほっ!?」


 大瀬おおせ君の手刀がうたた寝をしようとする蛭矢君の頭に見事にクリーンヒットした。


「……んなこと言ってもさ、今何時だと思ってるんだよ。子供はもう寝る時間だぜ」


 蛭矢君が眠たげにまぶたをこすりながら、数学の問題集と再び格闘する。 


 部屋に飾っている壁時計の現在時刻は夜の23時。


 いくら冬休みを利用して私の家での引きこもりによる受験勉強とはいえ、そろそろ疲労もピークにたっするよね。


「今日も蛭矢が夜遅くまで俺たちを巻き込んで携帯ゲームに没頭ぼっとうするからこうなったんだぞ」

「いや、協力型のロープレというものは極限の精神力を保ちながらレベル上げをするのが最高に楽しい理想であり……」

「その理想の精神論がすでに意味不明な表現なんだがな……」


 確かに今の蛭矢君の言っている言葉の文法は滅茶苦茶だね。


 眠くて頭が冴えないのは、まさにこのこと。


「それなら、少し休憩にしましょう。温かいコーヒーをれてきます」


 私は重い腰を上げ、テーブルから離れた。


 お湯を沸かす際にふと気になり、勉強からの雑念を払うため、何気なくゴミ箱の横に隠していたカレンダーを見る。


 そのカレンダーを広げると今日は12月31日。


 この勉強期間中は私はTVもスマホは封印して観ていなかったし、家には新聞もとってないから今まで分からなかった……。


「あの皆さん、今日は大晦日じゃないですか!」

「それがどうかしたか。受験生には関係ないぞ、英子えいこちゃん」

「まあ、美伊南びいなはそばだけ食べたい気分けどね♪」


 三人の思惑では年越しもTVなども観ないで、そのまま正月を過ごしてしまうパターンだったらしい……。


「いや、確かに勉強は大切ですよ。でも年明け前だけはその手を休めたくないですか?」

「英子ちゃん、休めたら死ぬぞ」

「何ですか、蛭矢君。その雪山で遭難したかのような絶望的な台詞は?」

「そうか、緊迫感が足りないか。じゃあ僕が熊の着ぐるみを着ようか」


 蛭矢君が黒の大きなリュックから綺麗に折り畳まれた茶色いモフモフの毛皮のような服を出して、それを着るとその場が美伊南ちゃんの黄色い歓声に包まれる。


「がおー! 家の熊さんだぞ!」

「きゃー♪ どこから見ても熊の着ぐるみだ。可愛い~。美伊南にこの服ちょうだい♪」


 美伊南ちゃんが熊の毛並みを触りながら幼子のような物欲しそうな目で見つめている。


 あれは恋する乙女の目だ。

 ただし、可愛い着ぐるみだけに限るけどね……。


「がおー。僕は熊だぞ、お前を食ってやる!」

「こんな可愛い熊と一緒になれて美伊南は満足だよ」

「なら、骨も残さず食らいつくしてくれる!」

「いやーん、激しいプレイだわ♪」


 いや、美伊南ちゃん、趣向うんぬんより、肉体が無くなったらさすがにヤバいからね……。

 

「がおー!」

「……蛭矢、遊ぶのもいい加減にしろ。頭の耳から尻尾の先までの全ての穴に三次関数のワードで埋めつくすぞ」

「がふっ!?」


 家の熊さんが大瀬君に忠誠を誓うように膝まづき、その格好のまま私の隣で勉強を再開するが……。


「蛭矢君、その格好だとぬいぐるみの毛が当たって邪魔になってしょうがないのですが……」

「すまん。英子ちゃん。でも僕は気づいてしまった。着ぐるみの中は凄く暖かいことに……」

「じゃあ、その格好で鉛筆が握れますか?」


 私がその丸っこくなっている肉球を目にしながら淡々と熊さんに告げる。


「いいや、まったく握れん。でも僕が今から音読するから、英子ちゃんは問題を解いてくれ」

「……スマホの読み上げアプリのようなことを言わないで下さい。さあ、さっさと脱いで下さい」


 すると熊が立ち止まり、モジモジしながら何かを訴える仕草になる。


「……待って、英子ちゃん。今、着ぐるみの中で僕のズボンの股が破れてる」

「……なっ、本当に変態さんですね」

「しょうがないだろ。文句があるならこの着ぐるみの製造者に言えよ」

「その製造の会社名は?」


 熊が腕を組みながら、考えを巡らして一つの答えを出そうとしている。

 ぬいぐるみだから愛らしい姿にしか映らないんだけどね。


「あっ、確か、だったような……」

「いや、それ食品工場ですよね?」

「まあ最近は色んな商品に手を出しているからな」

「アマ○ンみたいなこと言わないで下さい!」

「いや。そこの通販で買ったんだけどな?」

「そうですか……」


 もうあの会社は何でもありの通販だよね……。


****


「──皆さん。年越しそばができましたよ」

「おおっ、待ってました」


「蛭矢、腹の虫がグウグウ鳴っていたもんね」

「ああ、美伊南。僕のお腹の中には超合金のキリギリスがいるからな」


 何? ニワトリのように食物をすり潰すために胃袋に小石入ってます的な発想は?


 それに、キリギリスはそんな鳴き方はしないよね。


 キリキリと鳴いたら胃が痛くなっちゃいそうだよ……。


「まあ。そんなことより食べましょう」

「ああ、そうだな。みんな集合!」


「……大瀬、集合も何もみんな集まってるよ?」

「そうだった。こんなんだから俺はリーダーになれないのか……」


 大瀬君が頭を抱えながら、その場でしゃがみこむ。

 

「まあまあ、大瀬君、落ち着いて下さい。今はそばを食べましょう」

「そうだな。食って兜のだぜ」

「なになに。蛭矢、その歳でするの?」

「違うわい、このおたんこなす!」

「きゃはは、そのなすネタ最高♪」

「って……いつものお爺ちゃんの口癖が出ちまったな……」


 それから私の方を盗み見しながら、深刻な表情で何かを堪えている蛭矢君。


「……どうかしたのですか、蛭矢君?」

「……いや、何でもないさ」

「そうそう、なんくるないさ。ぼーとしてたらその油揚げを貰うよ♪」

馬鹿ばか言うな、油揚げが無くなったら、ただの素のそばになるじゃんか」

「そう、トンビが油揚げをさらっていった~♪」

「茶化すかよ、お前は鳥じゃなくて人間だろーが!」


 美伊南ちゃんの言葉にツッコミを飛ばすいつも通りな蛭矢君。


 どうやら私の気のせいだったみたいだね。


 皆さん、よいお年を。



第26話、おしまい。




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