第25話 深淵の檻の中で(シリアス編、結論)

 あちこちから点滅するライトに反応して、私はゆっくりとまぶたを開ける。


 ここはどこかな……。


 さらに、なぜか身ぐるみを剥がされた裸の状態で、その体から温かい、温もりのようなものを肌全体に感じる。


 この感覚はお母さんのお腹の中の羊水ようすいに浸かったような赤ちゃんのような感じかな。


 そんな懐かしさの中、そっと手を伸ばしてみると冷たいガラスの壁に当たり、私は今の自分の存在を理解した。


 この中は大きな試験管のような水槽の中であり、水らしき物に満ちあふれている。


 私の全身はその深々とした水の中に直立したまま入っていた。


 口と鼻はマスクのような機械で繋がっていてそこから呼吸ができるようだ。


 それに裸眼なのに水が目に染みることもない。


「──英子えいこちゃん、目覚めたみたいだね。ここはアメリコの大学病院の中だよ。もう心配しなくて大丈夫だよ」


 眼鏡をかけた白衣の男性が何やら喋りかけてくる。


 何だろう、彼とはどこかで出会った気がする。


 ふと、そこへ車椅子に乗った一人の園児のような黒髪のみつあみの女の子が何やら不安げな顔つきで、スルスルとやってきた。


蛭矢えびやおにいちゃん、ほんとうにあたしのびょうきはなおるの?」

「ああ、夜美やみちゃん。英子ちゃんが助けてくれるからな」


「……でも、あしたあるしゅじゅつって、いたいんだよね?」

「大丈夫、お兄ちゃんが痛くしないようにするからさ」

「うん。蛭矢おにいちゃんは、りっぱなおいしゃさんだもんね」

「ああ、僕の腕を信じろ。さあ、今日はもう遅いから寝なさい」


 蛭矢君が夜美ちゃんの頭をくしゃくしゃと撫でると、夜美ちゃんはまんざらでもなく照れている。


「うん」


 それにしても夜美ちゃんか、可愛いだね。


 もしかして、あの子が蛭矢君がこの前の夏祭りの時に話していた彼の妹さんかな?


 でも蛭矢君に全然似てないね。

 お母さん似なのかな?


 それに蛭矢君は医者とか呼ばれてるけど、オタクでゲーマーな人柄じゃなかったの?


 そのタプタプなお腹に白衣で身を包んだ姿はなに? 


 あと、何で海外に私はいるの?


 ──やがて、あれこれと混乱している私の前で蛭矢君が眼鏡を外し、ぼやけた瞳で私の入っている水槽に近付く。


「ごめんな。英子ちゃん……」


 えっ、何で謝るのかな?

 しかも水槽のガラスにひたいを当てて泣いているようにも見える。


「──こうするしか、僕の義理の妹は助けられないんだ……」


「──あの交通事故は僕の知り合いが偽装してさ、英子ちゃんの肉体が欲しいだけに、両親も犠牲にしてしまった──でも、こうでもしないと海外での手術のきっかけは作れなかったんだ」


「──本当の親が亡くなった妹は病気なんだよ。足が腐れ落ちる、下肢閉塞性動脈硬化症という病気でさ──気づいた時には余命半年の命となり、手遅れだった」


「──そんななか、毎年日本にある僕の病院でやっている健康診断で、今年飛び入りで採血を受けた英子ちゃんの血液反応が、妹のDNAとほぼ同じ型の鑑定結果が出てさ、僕は我が目を疑ったよ。

これなら外部からの免疫による拒絶反応も殆どなく、両足を妹に移植して、命を救うことができると……」


「──ごめんよ。そのために君の両足を事故に見せかけて、その直後に駆けつけ、警察にバレないように秘密裏に足を切断してしまって……」


 私は、ふと発言が気になって足元を見てみたが、確かに私の両足はなかった。


 その瞬間、足が無いのに切断された箇所から耐え難い激痛が私の体を襲った。


「えっ、英子ちゃん、大丈夫かい!?」


 私はなすすべもなく、水の中で気を失った。


「くそ、痛みを和らげるために鎮静剤の入った薬品に浸けても駄目だったか──すぐに彼女を集中治療室に運ばないと!」


****


「英子ちゃん!」

「うーん、私寝てましたか?」

「英子ちゃん、柄にもなく寝坊かよ?」


 次に目を覚ました時、私は同じベッドでも自室にあるベッドに寝ていた。


「……ていうか、勝手に乙女の部屋に入ってこないで下さい!」

「ぐぶっ!?」


 バフンと枕元にある枕を投げつけ、蛭矢君の顔面にヒットする。


「うむ、クンクン。ほのかなシャンプーの香りがするな……」


 蛭矢君が息づかいを荒くしながら私の枕の残り香を堪能たんのうしている。


「もう、どさくさに紛れて匂いをかがないで下さい。変態さんですか!」

 

 私は蛭矢君から枕を取り上げる。


「ふっ、男はみんな変態さ」


 蛭矢君がアゴに指を突き立て、キザなポーズで決める。

 

「だから、潔く開き直らないで下さい!

──それにしてもどうやって家の中に入って来ましたか?」

「……どうやってって聞かれてもな。今日は英子ちゃんの家で勉強会をするからって、昨日スペアキー貸してくれたじゃんか」

 

 蛭矢君がキラキラと銀の鍵に繋がったリングに指をかけてクルクルと時計回りに回す。

  

「……えっ、そうでしたか?」

「もう昼前なのにドアベル鳴らしても反応がなくて、もしやと上がってみたら英子ちゃんが部屋で横になっていてさ。初めはびっくりしたぜ」

「それはすみませんでした」


 彼の親切さに感謝して、精一杯のお辞儀をする。


「いいってことよ……それにつらい出来事はリアルだけで十分だしな」

「……えっ、何か言いましたか?」

「いや、僕のひとりごとさ。それより腹が減ったんだが、何か食べるものあるか?」

「ふふっ。だったら昼ご飯を作りますよ。美味しいホットケーキを焼きますね」

「ああ、ありがとな」


****


 私は材料をホットプレートで焼きながら先ほどまで見ていた夢を思い出していた。


 夢にしては生々しい。


 最近、楽しいと思っている日常の裏返しであんな夢を見るのかな。


 ジュウジュウ、ブスブス……。


「ああっ、大変です! どうしましょう……」


 ものの見事に焦げてしまった黒煙が吹き出すホットケーキを白い丸皿に移す。


「まあ、いいじゃん」


 それをひょいっと摘まんでつまみ食いする蛭矢君。


「英子ちゃんが作ってくれたなら、何でも美味しいぜ」

「蛭矢君……」


 彼は何でこんな私に優しくしてくれるのかな。


 私は複雑な想いを抱きながら、マグカップにほんのり湯気が立つコーヒーを注ぐ。

 

「えっ、英子ちゃん、コーヒーあふれてるって! あちあちっ、ああ、ズボンがびしょびしょだ……」


 いや、今は余計なことは考えないようにしよう。


 夢がどうであれ、所詮は夢の世界。

 今はそれに惑わされずに精一杯生きていけば良いのだから……。


「──どうでもいいが、濡れた僕のズボンとパンツはどうなるんだよ……」

「すみません、今からクリーニングに出します」

「いや、今、ここで脱いだらノーパンだぞ」

「大丈夫です。私のパンツを貸しますから」

「だから大丈夫じゃないぜ。僕、それ履いたら下着ドロの容疑で下手すれば現行犯逮捕されるからな?」


 蛭矢君、それは素敵な人生経験? になりそうだね……。



第25話、おしまい。


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