第34話 夜明け前の空
全身から力が抜けるのが分かった。
自分が悪魔の力と呼ぶ能力は強力無比な力を与えるが、意識を朦朧とさせ大幅に体力を奪う。
能力を閉ざすと影響がすぐに反映され、事前のダメージもあり二本の足で立つことさえ辛い有様だ。
花莉奈に支えて貰っていなければ床とキスを交わすところだった。
「……悪いな、花莉奈。本当に」
「う、ううん、平気だよ」
そうは言っても寄り掛かった成人男性を支えるのは相当しんどいはずだ。
実際、無理しているような力の入った声をしている。
なんとか自分の足で立てるように、余計な力を抜きつつバランスを整える。
それでも一人で立つのは難しく、結局肩を貸してもらうことになった。
「お前がいるのは意外だったな」
少し離れたところにはバージオの姿もある。
てっきり下水道を使って逃げたのかと思っていたが。
「お邪魔だったかしら?」
「んなこと言ってねぇよ」
「あの人が助けてくれたの」
「そうか……助かった。また借りが出来たな」
「やめてちょうだい。私が貸しを返したの」
「そりゃどういう……」
問おうとすると、ズンッ、と床が揺れた。
地震ではない。地面深くから届くような揺れではなかった。
ではどこが震源地か。答えは明白だ。
このフロア。目の前。――異能で下した白き巨人。
久米剛己が立ち上がった、その足音だ。
向こうも同様に、体重を支えるだけで体力が精いっぱいなのだろう。ただ立ち上がるだけに出した足の衝撃が、この部屋全体に響き渡った。
荒い呼吸。血でゼブラ柄になった姿で、目だけはしっかりと、誡斗を見ていた。
「……へっ、攻撃が止んだかと思ったら、女はべらかしてやらあ……。いい気なもんだぜ……」
満身創痍。
剛己を打ちのめしている間の記憶は曖昧だが、重症具合ではどちらも負けていなかった。
言葉だけは自分の方がしっかりしていると思うが、端から見れば五十歩百歩かもしれない。
どちらにせよ、どっちも満足に動けないのには変わりなかった。
「誡斗」
と、名前を呼んでバージオが何かを投げた。
やや直線に近い放物線を描いて胸元まで届いたのは、我が愛銃“ブルファイト”だった。
慣れたはずの重さだが、今の身体には中々くるものがある。
「一番大事なものを持っていても、それがないと守れないわよ」
「茶化すなよ」
右手で撃鉄を起こし、照準を合わせる。
が、ただでさえ重い銃だ。上げるのがやっとの腕では正しく合わせることが出来ない。
ブレにブレ、これでは弾が見当違いのほうへ飛んで行ってしまう。
いくら経っても銃口の揺れは収まる気配がない。
「しょうがないから手伝ってあげる」
横から手がそっと包まれた。
「帰ったら俺の“いつもの”奢ってやるよ」
「想像しただけで吐きそう」
「人の好きなモンをゲテモノ扱いするな」
ともあれ標準は定まった。
フロントサイトが剛己の中心を捉える。
「反動でけえぞ」
「う、うん!」
「こう見えて私だってマグナムぐらい撃ったことあるわ」
「その五倍は覚悟しとけ」
シワが寄る表情につい口角が上がる。今からどう変わるか楽しみだ。
的は大きく動けない。
これで終わらせる。
「まだだ……!」
巨躯が、足を進ませ地を揺らす。
「終わってねえ……終わらせてたまるか……!」
一歩、また一歩と、遅々としてだが確実に、剛己は前へ進む。
どう見ても重症。もう立っているのだけでも辛いはずだ。
なのに浮かぶは不敵な笑み。変わらぬ威圧感。
剛己を動かすのは、いったいなんなのか。
問うだけの余裕は、誰も持っていなかった。
「勝つのは俺だ、異形狩り……!」
「テメエの負けだよ」
指先を動かす。
ほんの数ミリの動きで最後の一撃は放たれた。
それに伴う爆発的な音と反動。
二度目の衝撃は今の身体では腕だけで逃がすことは出来ず、全身ですら到底支えきれない。頼りの綱の美女二人も悲鳴を上げながら共に倒れた。
床には無数のコンクリートの破片。受け身をとってもかなり痛い。全身の傷口が大きくなりそうだ。
「痛っ――……大丈夫か、花莉奈」
「う、うん。……凄かったね、今の」
「まったく……。K20を使うならそう言いなさい」
K20――.500K20の略称。
そしてKとは“クラミツハ”のKだ。
あらゆるエネルギーの代替品であるクラミツハには高い有毒性と可燃性がある。
粉末状にしたクラミツハの燃焼反応は通常のガンパウダーの数倍であり、たった二十パーセント使用しただけで過去に拳銃最強を誇った五十口径を遥かに凌駕する代物となった。
“ブルファイト”は普段でこそ同じサイズの五十口径の弾薬を使っているが、本来.500K20専用の銃として作ったものだ。
市販品の銃ではK20の反動に耐えられず破損してしまう。
――ちなみにクラミツハの使用には国の許可が必要であり、.500K20は秘密に作られたものだ。つまり違法品である。
「ま、奥の手だからな」
本来は五十口径で十分なのだ。
それでも極稀にこの火力でさえ足りない相手もいる。目の前の相手が良い例だ。
上体だけ起こす。
白い巨人――久米剛己は、そこにいた。
同じ姿で、不動のまま――腹に特大の風穴を開けて。
「…………」
割れたガラスの向こうから入る新鮮な空気が、血生臭く変化し誡斗達のところに届く。
なんて男だ。普通なら命中した瞬間に身体ごと吹っ飛ぶ。
いくら大きくて頑丈な肉体を持っているとはいえ、改めて化物と言わざるを得ない。
死んでいてもおかしくない――いや、死ななければおかしい傷であっても、断言が出来ずにいた。
温度の変化により、今度は部屋の空気が外へ行く。
そこでようやく剛己の身体は動いた。
後ろへ。
土台を失った巨像が如く。
「――いい席取って待ってろよ、クソ兄貴……」
幻聴かどうが、疲労した身体では判別出来なかった。
確かなのは、役目を終えた役者のように、奈落へと落ちて消えたことだけ。
「……仇は取ったぜ、みんな」
その声すらも夜明け前の空に消えていった。
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