第33話 感情の赴くまま
会議室だった部屋は、もはや元の姿を思い出すのも難しい有様と化していた。
塗料まで拘った壁は複数の穴が空き、柔らかな絨毯が敷かれた床は一面ヒビと破片だらけ。窓ガラスは最初のもの以外割れていないのが不思議なくらいだ。見るからに高そうな調度品は見るも無残な姿に成り果てている。
もはや辛うじて部屋という体裁を保った荒地。
そこを更に荒そうとする者が、まだ部屋の中にいた。
誡斗が己より数倍ある巨体を軽々と殴り飛ばした。
「かはっ……!」
流血を巻き散らしながら剛己は玩具のように飛び、先程まで晶が映っていたモニターが破壊されながらも受け止める。
「てめえいい加減に……!」
モニターから離れる隙しか剛己には与えられなかった。
言葉以上の抵抗は許されず、顔面に異形の拳を叩き込まれる。
右脇。鳩尾。上腕。脛。胴。太腿。
急所問わず繰り出される
回避という手段は徹底的に消され、剛己は防御するしか選択肢がない。
どれも己を上回る一撃。
幸か不幸か、ベースが硬化能力である為に、これまでにないダメージを負いながらもなんとか生き長らえている。
……とっととくたばった方が楽かもしれねえな。
一撃を貰う度に痛みと共に痺れが段々と全身に響いていく。
体力が限界に近付いているのだ。
かといって逃れられるはずもなく、不動のまま、機を待っていた。
いったいどういう判断基準で攻撃しているのか分からないが、誡斗はまた剛己の腕を掴んだ。
投げる気だ。
これまでに何度かあった。打撃だけでなく、時折手でも足でも掴みやすい場所で強引な投げ技を繰り出す。
剛己もただ黙って防御に徹しているわけではない。着実に学んでいた。
掴む瞬間、投げる瞬間、確実に攻撃の手は止む。
拘束されていても反撃出来る唯一のチャンス。
故に手を出した。
投げられる前に。腕が伸ばされる前に。体勢が崩れる前に。
全力には程遠い。速度を優先したコンパクトな一撃。
いくら強化されようと体格差は変わりない。
剛己に比べれば小人のような誡斗。残された唯一のアドバンテージ。
例え力で劣ろうとも自身より大きな相手と衝突すればバランスは崩れる。
これを機に、少しでも優位に立てれば――
「…………」
誡斗は、不動だった。
顔とほぼ同じサイズの拳をまともに受けながら、誡斗は身動ぎ一つ、しなかった。
……こいつはダメだ……。
己の敗北を悟った瞬間、叫び声と共に投げられた。
会議室に辿り着いた花莉奈が最初に知覚したのは音だった。
巨大なものがガラスにぶつかったような、重なって鼓膜の奥まで届く高い音だ。
次いで視覚。
そこにはボロボロの白い巨躯が、無数のヒビが入ったガラスの前に倒れていた。まだ生きている。痛みで散漫な動きになっているのが、数分前までの誡斗と重なった。
隣のガラスは破壊され、風が埃と鮮血の臭いを花莉奈に届ける。
思わず鼻を押さえる。
それでも臆せず、誡斗を探す。
すぐに見つかった。
破壊されたモニターから歩いて剛己へ近づいている。
とても意識があるような歩き方ではなく、まだ正気を失ったままなのが手に取れた。
見るに堪えず走り出す。
ヒビや破片で凹凸塗れの床に足を取られないように気を付けて、駆け寄った。
「誡斗――!」
振り返りはしなかった。
……でも、行かない理由にならない!
感情の赴くまま走る。
足場が悪いことを除けば、むしろ距離は誡斗から剛己より近い。
近づいて、腕を広げる。抱きしめるように。
誡斗が動いた。
急に振り向き腕を振り上げた――ように花莉奈には見えた。
――実際に誡斗が行った行動は攻撃だった。
背後から接近する者に反射的に裏拳を振る舞おうとしただけに過ぎない。
それがただ腕を上げたように見えたのは、バージオが能力を発動したからだった。
花莉奈の後を追うバージオは誡斗の動きを察し、上方へ逸らしたのだ。
事実、攻撃の痕跡として腕の一部が額を掠めた。
突然額に走った痛みを無視して、誡斗の懐へ飛び込む。
そして強く、今出せる全力を込めて抱きしめる。
離さないように。離れたくないから。
「誡斗、ねえ誡斗! 目を覚まして!」
額から生暖かい液体が降りてくる。
誡斗の傷だらけの身体と心に比べれば些事だ。
「ウ、ウアァァアアア!」
唸る。今にも暴れ出しそうだ。
――その通り、バージオが抑えていなければとっくに花莉奈の拘束は剥がされていた。それどころか命も危ういところだった。
絶えず声を掛け続ける。
「落ち着いて誡斗! 私はもう大丈夫だから! もう危なくないから! 孤児院と同じことはもうやめて!」
「こじ、い……ん?」
誡斗の瞳に光が宿る。
自我が戻りつつある。
よかった。あの時と同じにならなくて。
「そうだよ。もう危ない人はいないの。誡斗がそんなに無理しなくてもいいんだよ」
「かりな……?」
「うん、そうだよ。私だよ」
ようやく目が合った。
赤と黒の瞳に生気が戻る。
そこでようやく花莉奈の緊張も解けた。
すると、今度は誡斗が大きく目を見開いた。
「花莉奈! その傷は……」
額の傷に気付いたみたいだ。
降りてきた血が瞼を閉ざす。
自分の腕を見やり、顔には悲壮感が漂う。
「すまない、花莉奈……俺……」
「いいの。気にしないで。私は誡斗が無事なら、それで……」
誡斗のがっしりとした腕が背中に回る。
硬くてたくましい腕に、久しぶりの安心感を覚えた。
が、それも束の間。
途端に誡斗の身体が崩れた。
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