第23話 白い巨体に、空洞の十字架
地下から出ようと歩いてみても、支店のような地上へ続く階段はどこにも見当たらない。
支店とは比べ物にならないぐらい広いのだ。
秘密の場所なのか案内図なんて気の利いたものはなく、当てもなく歩き続けるしかない。
だからすれ違った人に聞くしかなかった。
「で? どこ行きゃ上に上がれんだ?」
「そ、そこの突き当りを右に行って、次の角を左に曲がればエレベーターがある! も、もういいだろ⁉ 助けてくれよ!」
「助けるも何もテメエが襲って来たんじゃねえか」
少々素直になってもらう必要はあったが、欲しかった情報は手に入れた。
親切なお兄さんには眠ってもらい、言われた通りの道を進む。
目的のエレベーターにはすぐに辿り着いた。
かなり近づいていたようで、妨害もなくスムーズな進行だった。
ただ、エレベーターの前まで行くと、上階へ進むボタンが既に点灯していた。
しばらくすると扉の向こうから機械が動く音がする。
音はだんだんと近づいてきて、やがて、ポーン、と到着を告げた。
警戒はしていたが、いざ扉が開くと誰もいない。
そのまま中に入ると、勝手に八階のランプが点いて上がっていく。
「アポなしにしては気が利くな」
誘われている。
下水道の受付もそうだが、敵は既に誡斗の侵入に気付いている。
大方、下水道のどこかに監視カメラでも仕掛けてあったのだろう。もしくは支店か。あそこの地下は別電源なのか地上が停電でも電気は点いていた。
裏家業のおかげかスペシャルスタッフの業績はすこぶる良いらしく、所有権どころか建築まで携わっているらしい。
とはいえ所詮派遣会社が九フロアも使うことはなく、下七階はオフィスビルとして貸し出している。その証拠にエレベーター内の案内図にはスペシャルスタッフ以外の会社も並んでいた。
だったら建てる必要あるのかと疑問が浮かぶが、煙となんとかは高い所が好きなのだろう。
玉兎によるとスペシャルスタッフの社長、久米晶は九階を自宅として使用しているようで、だからなのかエレベーターで上がれるのは八階までだ。
どちらに剛己やまだ見ぬ仇がいるのかは不明だが、あと一歩のところまできた。自然に拳に力が入る。
八階に着いた。扉が開く。
案の定、武装した十数人が待ち構えていた。
誰も彼もが銃口の先をエレベーターの中へ向けている。
「ウェ~ルカ~ムトゥ――ダァァイ」
先頭の掛け声の後に多種多様の銃口が雄叫びを上げた。
マズルフラッシュを煌めかせ、エレベーターの中を蹂躙する。
壁と鏡を無数の弾丸で穿って削り、木端微塵のゴミへと変換した。
その中には当然――誡斗の姿はなかった。
「ンンンン? ミッシング?」
誘われた時点で十中八九罠があると予想していた。
だからボタンの前、外からの死角に誡斗は隠れた。
襲撃者が見ていたのは、あくまで鏡に反射した姿に過ぎない。鏡が割れれば姿は消える。簡単に割れるタネだ。
それでも虚を生み出すには十分。
手榴弾を放り投げる。
ピンとレバーを外してから少し待った手榴弾は、自分の役目を地面に落ちるまで待ちきれない。
手榴弾の脅威は爆発そのものではなく、飛び散る破片だ。
故に落ちたものに対しては、足を向けてうつ伏せになるだけでかなり被害が抑えられる。
では空中で爆発したらどうなるか。
「グ、グレネ――」
狭い廊下の中、破片が360度、十数メートルに渡って弾けた。
ある者は頭上に、ある者は真横から殺意の欠片が肉に沈み込む。
テンプレートに伏せたところで、受け止めるのは靴底ではなく背中。一瞬でシャツが赤く染まる。
銃を盾にしたところで辛うじて致命傷を避けるだけで、破片は無慈悲に猛威を振るう。
遮るものがない空間での爆発は、容易く一帯を屠った。
唯一無傷なのは、エレベーターに隠れていた誡斗だけ。
外に出れば死屍累々。予想通り無残な光景が広がっていた。
「ぅう……たすけてくれぇ……」
まだ息のある一人を踏みつけて、逃走を妨げる。
「テメエらのご主人様はどこだ? こんな手厚い歓迎をしてくれるんだ。遅刻しちまったら申し訳ねえ」
「ぼ、ボスなら、会議室Aで待ち構えている……」
エレベーターの正面には来客用に簡易的な地図が飾られている。
ルートを頭に叩き込む。
「晶か? それとも剛己か?」
「剛己だ……社長は多分、九階で見てるだけだ……」
「九階にはどうやって行く?」
「東側に階段がある……けど、パスワードが掛かってて、一部の幹部しか知らない……」
「そうか。ありがとよ」
これだけ傷だらけなら背後から狙われることもないだろう。
解放して地獄絵図を背にする。
「たすけてくれぇ……」
「勝手に助かってろ」
自分から襲っておいて虫のいい。
無視して会議室Aとやらに向かう。
道中に敵襲はなかったが、歩みを進める度に段々とうんざりする。
土足で歩くのが申し訳なくなるカーペット。何が良いのかさっぱり分からないが高そうな絵画。ドアノブまで職人が拘ったような美意識の高い扉。その他諸々……派遣会社というよりは成金が自慢したいだけに見える。一般企業に就かなきゃならないとしても、こういう会社は願い下げだ。
地図で想像したよりも広いオフィスをしばらく歩くと、目的地に辿り着いた。
会議室の扉も外観を意識してか装飾が施されている。
別にそれにムカついたわけじゃないが、銃を手に取り構えた。
このぐらいか、と自分の胸の位置と同じぐらいの高さに標準を合わせる。
撃った。
ステンレス製の扉が破壊される音は銃声にかき消されたが、結果はしっかりと残り、荒々しい断面を公開する。
衝撃で自動ドアのようにゆっくりと扉が開く。
人ひとり分が開いたスペースの先には、頭に特大の風穴を開けた男がいて、後ろに倒れた。
「また不意討ちか、芸がない連中だ」
見通しが良くなった室内を見ると、まず正面に地面から天井まで覆われた一面のガラスが目に入る。丁度真正面には亀裂が入っており、防弾性を証明している。
中に入ると、そこは会議室というには広く、パーティ会場のようだった。
長方形型をしており、入ったところからは左に長い。片面は全てガラス張りだ。
左の末端に、人がいる。
お茶会でも開きそうなお洒落なテーブルセットの上には対のグラスとウィスキーボトル。椅子は二つあり、片方には男が深く座っている。筋骨隆々の肉体を見せつけたいのか、上半身に衣類は身に着けていない。故に目立つ。幾何学模様の中心に模られた空洞の十字架が。
久米剛己が、そこにいた。
「悪かったな。ただの茶くみに連れてきたんだが、何を勘違いしたのか『異形狩りは俺が殺します』って聞かなくてな。だから止めとけって言ったのに」
言葉の割には上機嫌に酒をあおる。
「また会ったなクソッタレ。あん時の借りを返しに来たぜ」
「おー、よく来たな。腹の傷は治ったか?」
剛己は空いているグラスに氷を入れると、ボトルを手に取り傾ける。
なみなみと、グラスの淵まで琥珀色の液体が満たされた。
「ほれ、駆けつけ一杯」
「いらねえよ」
「なんだ、飲めないのか? 飲めないと損するぜ。親睦を深めるのも腹を探るのも酒の席が一番だ。それに、楽しみは多い方がいいだろ?」
自分のグラスにも注ぎ足して、今度は舐めるように嗜む。
「高い酒は高いなりに美味い。その点に関してはアニキには感謝してる」
侵入者である誡斗を前にしても、決して自分のペースを崩さない。それどころか親しげに接してくる。
強者の驕り、ではなく、余裕というものだろう。
その証拠に隙がない。
椅子に深く腰掛け酒を飲む姿は隙だらけのように見えるが、こちらの一挙手一挙動を隈なく観察している。たとえこの瞬間に撃ったとしても対処出来る。そんな自信が伝わってくる。今まで会った自称強者とは大違いだ。
「――ま、アニキのことは嫌いだけどな。アニキはミュータントに嫉妬してる。素直に従ってる可愛い弟にだって嫉妬心剥き出しだ。その分、頭良いのに何が不満なのかね」
「テメエの身内話なんてどうでもいいんだよ」
「そうか? 聞いといて損はねえぞ」
からん、とグラスを遊ばせると氷とグラスが涼しげな音を奏でる。
「酒と同じだ。どんな下らない話だって聞いて損することはねえ。ドラマは見るか? あれだって難解な事件の解決策は、どーでもいい世間話から生まれるものだ」
「酒の飲み過ぎでドラマと現実の区別もつかなくなったか?」
「ははっ、現実は小説よりも奇なり、って言うだろ。別にそこまで奇抜な話をするわけじゃないがな」
飲んで、一言。
「お前、東京から出ていけ。そしたら見逃してやる」
「……はあ?」
何を言っているか、さっぱり理解出来なかった。
「散々人様の命狙っておいて、出てけば見逃してやる? 冗談も大概にしやがれ」
「冗談じゃねえさ。お前、自分が狙われてる理由は知ってるか?」
「なんでも裏家業が廃業寸前なんだって?」
「そうだ。つまり
「それでも俺を殺したがってるのがテメエの兄貴なんだろ」
「ああ、異形狩りを殺せば箔が付く。んなこたぁ分かってる。けどな、お前が今まで与えた被害と今回の分。取り戻すにはちと時間がかかる。だったら俺はお前を殺すのに更なるコストをかけるより、余所に行かせた方が楽じゃねえかと思うわけだ」
「だから見逃すって?」
「おうよ。お前ならどこ行っても大丈夫だろ」
「何様目線だよ」
あくまで合理的に考えたと剛己は言う。
東京を出れば命を狙われる危険はなくなる。
向こうも商売仇がいなくなれば助かる。
表面的な事実だけ述べれば双方にメリットのある話だ。
だが一点、理解出来ない点がある。
「いいのかよ? テメエが俺を殺せれば、これ以上のコストはかからねえぜ」
あくまでコスト云々の話をするなら、ここで剛己が誡斗を殺せば済む話だ。
先程の話はあくまでこれから先も誡斗がこの会社に被害を出し続ける場合の話。
あの余裕そうな面を見る限り、誡斗を殺せないとは露とも思っていない。そもそも満身創痍だったとはいえ、一度は一方的にやられたのだ。こちらとて無傷で勝利できるほど簡単だとは思っていない。
ならコストの話はあくまで言い訳に過ぎない。何か真相があるはずだ。
問うと剛己は今までのフレンドリーな態度のまま言った。
「言ったろ? 俺はアニキが嫌いなんだ」
……ああ、なるほど。
「兄貴の為に部下の弔いを諦めるなんて、随分と見上げた上司だな」
要は単なる嫌がらせだ。
最上の結果は異形狩りを殺し、それを宣伝すること。
剛己の案は、脅威は去ったが得られる名声は最小限にする。
最低限仕事はしていながら成果は不十分という、本当に嫌がらせ以外のなにものでもない。
それだけに本当に兄のことが嫌いなのだと、つい笑ってしまう。
あの兄妹とは大違いだ。
「だろ? 理解してくれたなら回れ右だ。おっと、エレベーターは多分アニキが使えなくしてる。申し訳ないが帰りは階段で――」
銃を引き抜いた。
砕け散ったのは剛己――ではなく、一口もつけられていないグラス。
高級な酒が、ただのカーペットのシミになる。
それを剛己は感情をなくした瞳で眺める。
「……どういうつもりだ?」
「どうもこうもねえだろ。俺がなんて言ったか忘れたか?」
――借りを返しに来たぜ。
確かに誡斗はそう言った。
命だけは助けてくれと懇願しに来たわけじゃない。
「俺はテメエらにケジメつけさせに来たんだよ」
こいつらは大嫌いなミュータントの代表みたいなものだ。
徒党を組んですることといえば弱い者いじめ。異能に溺れ快楽を貪る悪魔だ。いつだって被害に合う側のことなど考えない。
今回の件だって、悪事で稼げなくなってきたから原因を取り除こうという、自分本位のものだ。
こういった連中は、決して弱者を食い物にするのを止めない。
人間の味を知ってしまった熊と同じだ。狩らなければ被害は増え続ける。
それが許せなくて、でもほとんどの人は抵抗する力を持っていない。
だから、力を持つ者が戦わなければならない。
「安心しな。テメエブチ殺したら兄貴も後を追わせてやるよ」
「……そうか。いや、残念だ」
剛己が立ち上がる。
もはや気配は親しげなそれではない。
むしろ助かる。殺し合いの最中でも酒を勧められたらたまったものではない。
「結局アニキの思惑通りになっちまうんだからな」
一歩、また一歩と歩き近づく度に、肌がどんどん変色していく。
その姿に、思わず目を見開いた。
「俺は馬鹿で、けど馬鹿なりに考えてみたんだけどな」
白く、なっていく。
元より白い髪と同じ色に、肉体が変わっていった。
色が変わっているだけ。
カマキリ男のように、人外に変わっていくわけではない。
だけど、これは、まるで
「しょうがねえか。とどのつまり俺は、拳で解決するしか能がねえってことだ。ならせめて……」
そうだ。こいつの姿は
「『異形狩り殺し』の名だけは貰っておくか!」
――白い巨体に、空洞の十字架。
「テメエか……」
孤児院を破壊したミュータントと同じ姿。
「テメエがやったのか! 久米剛己‼」
「なんだ知り合いだったか? だったら再会を祝して殺し合おうか‼」
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