第22話 大嫌いなミュータント

 瞬く間に白い煙で周囲が覆われる。

 下水道という閉所のせいで煙の密度が高く、手に持った銃でさえ霞がかる。


「スモークグレネード……いつの間に……」


 狩人らしく身を隠すのもお手の物らしい。

 恐らく視界を奪って判断が鈍る間に倒そうという魂胆だ。


「でも、まだ甘いわね」


 足元は水だ。

 動けば足音は水と混ざって大きくなり、隠密には決して向かない。

 そして誡斗が姿を消してから、足音も水音もしていない。

 目の前にいるのは確実だった。

 指先の動きは三回。装填された9㎜パラベラムが煙の中を突き進む。


 ……反応はない。


 何故。誡斗はそこから動いていないはず。

 沙羅は切り替える。出ない答えよりも今は動くべきだと。

 己の能力を発動する。

 沙羅のミュータントとしての能力は“動体の操作”だ。文字通り動いている物体を操る能力。

 とはいえ自由自在とはいかず、出来るのは“引き寄せる”か“外に弾く”の二択。加えて止まっている物は動かせない。しかし来ることが分かっていれば銃弾すら弾く攻守に優れた能力だ。

 煙は、宙に漂う動体だ。

 念じ、視界いっぱいの煙を弾き飛ばそうとする。

 その時だった。

 ばしゃり、と水の音。


 ――後ろから⁉


 いつの間に移動したのか。どうやって移動したのか。疑問が沸くが後回しだ。

 振り返り能力を使う。

 むせる程濃厚な煙幕がモーゼの海割りの如く遠ざかる。


 ……そこに誡斗はいなかった。


 死体以外何もない。薄暗い下水道が続くだけ。

 ただ、何かがあったように、波紋が広がっている。

 がちん、と今度は金属音。また後ろからだ。


「……驚いたわ。手品が得意なのね」


 振り向く間もなく、合金の筒が後頭部に当てられる。


「……なるほど。さっきのは薬莢ね。それで自分の位置を偽ったのね」

「そこまで考えちゃいねえ。気を紛らわせりゃ十分だと思っただけだ」

「つまり最初からあなたは動いてなかった。見事に騙されたわ。弾はどうやって避けたの?」

「テメエが足元撃てば俺の負けだった。それだけの話だ」


 しゃがんで避けたと、彼は言う。

 言われればその通りだ。セオリー通り当てやすい胴を狙ったのが悪かった。もしくは先に煙幕を消せばよかった。

 沙羅の能力の範囲は半径五メートル、そして、視野範囲のみ。

 背後に立たれれば、先程と同じような近接戦は不可能。

 完敗だ。

 後ろからの弾丸を防ぐ程の能力は持ち合わせていない。

 銃を捨て、両手を上げる。


「流石、異形狩りの名は伊達じゃないわね」


 自分は彼を騙した。

 ミュータントという身分を隠し、彼を殺す為の依頼を用意した。

 恨まれて当然。いつ引き金を引かれても文句はない。

 自分とて裏の人間だ。死への恐怖はあっても殺される覚悟は出来ている。

 未練はある。けど、今更どうこう言っても仕方ない。


「さあ、煮るなり焼くなりご自由に。けど早くした方がいいわよ。社長達が待ち構えてるから」

「……そうかい」


 撃鉄の音。

 誡斗の銃はオリジナルだったか。自分の知っているリボルバーとは違う音がする。

 瞳を閉じる。

 気分はまさに断頭台に立つ死刑囚。

 最期に目にした下水の光景は、少なくない命を奪った自分に似合いの墓場だ。

 誡斗が立ち去れば死体は誰にも知られず、ネズミに食われ汚水に流され朽ちていく。

 そんな未来の姿を想像し、ほくそ笑む。


 ――静寂の中で、銃声が三つ鳴った。


 彼に撃ったのと同じ数。

 それらを全て聞き終えてなお、沙羅の意識は健在だった。


「……え?」


 瞼を開けると、そこには


「ガァ……オ、レ……オレは……」


 頭部の欠けたカマキリ人間。

 腕も失い、腹に穴を開けた姿は明らかに死に体ながら細い四本足でなんとか身体を支えている。


「しつけぇんだよ。いい加減くたばれ」


 残った口元すら無情に撃ち抜き、カマキリ人間は今度こそ活動を停止した。

 前のめりに倒れ、水飛沫を上げる。

 元同僚の変貌した姿に驚きを隠せない。

 スペシャルスタッフ最強のミュータント、久米剛己が使用したと言われる薬を手に入れたと彼は豪語していた。その副作用がこれなのか。それとも紛い物を掴まされたか。

 どっちにしろ、今となっては同情してやるぐらいしか出来ない。

 隣で何かが水に落ちた。一つ、二つ……計四つ。

 誡斗が残った一発を抜いて、空薬莢を捨てていた。

 新しい弾を詰めると、こんどこそ沙羅に向ける――ことはなく、ホルスターにしまった。

 そのまま彼は自分が降りてきた梯子へ歩む。

 なんのつもりか、視線で問い詰めても無視されたので言葉で伝える。


「どこへ行くの? 私を見逃すつもり?」

「そうだ、っつったらどうすんだ」


 なおも振り返ることない背中に呆れた。


「何? 今更女だからって同情するの? あなたを殺そうとした、大嫌いなミュータントなのよ」

「……その点についちゃ腹は立ってる」


 けどな、と誡斗は言う。


「俺は借りは返す主義なんだ」

「借り?」

「あのカマキリ野郎が子供を人質に取った時、お前は子供を優先した。ターゲットの俺じゃなくてな」

「あれは……彼にあそこは利用するなって言ったのに勝手なことするから……」

「つまり、孤児院の関係者ってのは嘘じゃないんだな」

「…………」


 ――沙羅は、あの孤児院の出身だった。

 いたのは十年も前になるが、独り立ちしてから仕送りを欠かさず送っている。仕事の内容は口が裂けても言えないが。

 そもそも今回の件だって、不良グループを当て馬にするのには異存はなかったが、孤児院の近くに誘導するのは反対だったのだ。いくらあの廃倉庫が都合良いからって、故郷を危険に晒すのに抵抗を持たない程、悪に染まってはいない。

 加えて釘を刺したにも関わらず無視する同僚。だからつい手が出てしまった。

 結果として大激怒を食らってしまったが、実家を守れることに比べれば安いものだ。

 つまり、


「私は子供を助けたかったの。あなたを助けたわけじゃないわ」

「だろうな」


 分かってると言わんばかりに頷いて、梯子に手をかけた。


「さっき、人間の兄貴を助けたミュータントの妹と会った」

「それが?」

「ミュータントだからって悪党とは限らねえ……そんなの、ハナから頭じゃ分かってんだよ」


 最後に誡斗は沙羅を見る。

 目が合った。

 その目は、今まで見た彼の表情の中で一番優しかった。


「孤児院を想うならもっとマシな仕事就け。少なくともこんな仕事はお前に向いてない」


 返事を待つことなく梯子を駆け上がって行く。

 沙羅はただ一人、取り残された。

 まるで物言わぬ骸となったヤツらとは違うと、彼に言われたように。

 何が違うんだろうか。

 自分だって、言われた通りに殺し続けてきた。

 金払いが良かったから。ボロボロの孤児院を支えるのに都合が良かったから。


 同僚と誡斗が去った後の孤児院に沙羅は泊まった。

 先生と子供達の心の傷を癒す為に。

 その日は一晩中、心が苦しかった。


 きっと彼の言う通り、向いていないからそうなったのだろう。

 なら、


「私は、いったい何が向いているのかしら……」

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