第20話 お久しぶり

 水が戻ってくる前に立ち上がる。

 右手が腕を握ってそのままだった。余りに高熱だった為、肉同士が焼けてくっついたのだ。

 腕の主を蹴り飛ばして無理矢理剥がす。べりべり、とも、ぶち、とも何とも形容し難い音を鳴らして離れた。

 自らの腕を見る。


「…………」


 特に何もなかった。

 グローブとジャケットの一部が燃えてなくなり、皮膚と肉片らしき付着物がこびりついているだけで、以前の己の腕そのままだった。

 あれだけの熱源に触れてさえ、痛みでさえ、今や僅かに余熱を感じる程度。

 そんな腕を見下して、水蒸気が晴れる前に背に隠す。

 ようやく蘇った視界には、傷や汚水に塗れたミュータントが数名。

 対多数兵器にリーダー格の死亡、煙が晴れれば増えている死体の数。

 まさしく異形狩りの面目躍如。ここに来て彼らは通り名の恐ろしさを知る。

 正しく異形狩りの強さを理解した彼らの顔は青ざめた。

 よく見る顔だ。名が知られていても高が人間と見下すミュータントは多い。そういった連中は皆彼らと同じ顔をしていた。


「や、やってられるか!」

「楽に殺れるって話だったのに⁉ これじゃ命がいくつあっても足りねえ!」


 一人、また一人と我先にと逃げ出すミュータント達。

 忠誠心など欠片も見せず、生き残りの全てが背を見せた。


「おいおい、仕事はどうした? そんなんだから落ちぶれるんだぜ」


 情けない。所詮利害関係だけで属していたのが見て取れる。


「ケケケ……情けねえ連中だ」


 同じ感想を持つ者が、まだ残っていた。

 男は仲間達とは逆に、前に進み、誡斗との戦いを望んでいた。

 その顔に、見覚えがある。


「久しぶりだな、ええ? 異形狩り?」

「テメエ……あん時のカマキリ野郎か」


 誡斗が仇を探すきっかけとなったミュータントだ。

 よもやこんな所で再会するとは――いや、ここは既に敵の本拠地と言っても過言ではない。出会っても不思議ではないか。


「逃げないのか? もう不意討ちも人質も使えねえぞ」

「ケケッ……確かに真正面からだと分が悪い。前回でよーく学ばせてもらったよ」


 言葉では不利を認めるカマキリ男。

 しかし表情と声色は、むしろ有利に立つ者のそれだ。


「けどな、お前の強さは道具によるものだろ? ……だったら俺も同じことしても文句ないな」


 懐から、一本の注射器を取り出した。

 白く半透明の液体が注射器の中を満たしている。

 気味の悪さと共に、何故だか目が離せない奇妙な感覚に陥る。

 まるで知識として知らないだけで、本能は知っているかのようだ。


「……なんだ、それは?」


 いつもの軽口で誤魔化そうとしても上手く回らない。

 カマキリ男の笑みが深くなる。


「特別な薬さ。あの剛己も使ったことがある代物だ。高かったんだぜ」


 ケケケ、と不気味に笑って、注射器を首に刺した。

 液体が、どんどん体内に侵入していく。


「お……おお……おおぉ! くるくる……いいぞ、もっとこい……あつい、きもちいいい……うう……はぁ…………ああコイツはヤバイ。イきそうだ……!」


 身をよじり、恍惚を浮かべるカマキリ男。

 余程強烈な薬だったのだろう。薬に溺れた人間は何度か見たが、こんな表情をするのは見たことがない。急によがり出すのは客観的に気持ち悪いが、少なくとも本人は幸せそうだ。

 その内、態度だけでなく肉体的にも変化が現れる。

 だんだんとミュータントとしての姿になる男。

 両腕の鎌は誡斗が破壊したにも関わらず生え変わり、厚さも大きさも依然とは比べ物にならない。昆虫らしい複眼も徐々に膨れ上がり、元の顔のサイズより大きくなっている。以前はなかった、カマキリの尻尾のような腹も生えてきて、姿形はより昆虫に近くなっていった。


「こ、これが、おれ、オレの、力……シンの、スガタだっ――」


 頭が破裂した。

 見るに堪えず誡斗が撃った。それだけだ。

 今までなら反応出来ていた銃弾を防ぎもしなかったのは、薬の興奮からか視界がまともに機能してなかったか。知る由もなく、興味もなかった。


「そういうのは出てくる前にやっとけ」


 死んだ虫のようにビクビクと動く死体。残った口元は、未だに気持ちよさそうに笑っている。

 死体には慣れてきたはずだが、人とも虫とも判別出来ない死体はとても見続けられるものではない。早々に目を背けた。

 周りを見る。立ち向かう者はもういない。

 屍の山を素通り。途中、呻き声を上げる死にかけに残った弾を送った。リボルバーの中身を鉛付きに入れ替える。

 投光器を蹴り倒し壁とバッテリーに引っかけ、反転させて先の道を照らした。

 逆光で見えなかったが、すぐ傍に梯子があった。


「こいつが当たりだといいんだが」


 見上げると、投光器の光が当たらない真っ暗な穴がずっと続いている。

 かと思いきや、暗闇に光が灯った。

 障子に指で穴をあけたような小さな明かり。

 それが地上側の扉が開いたのだと、すぐに気付いた。

 増援か、ただの移動か。

 警戒し、上るのを止めて一歩下がる――それが功を奏した。


 ふと明かりが消えた。そして聞こえる風を切る音。

 暗闇の中で、ほんの僅かに蘇った光が影を作り、何かが落ちてきていることを教えてくれた。

 梯子を使うことなく飛び降りたソレは、数秒足らずで地下へ到達する。

 受け取る気概など毛頭ない。とっさに身を引いて落下物を回避した。

 直後に先程まで誡斗がいた場所に水飛沫が舞い――瞬間、投光器が何か輝くものを照らし、冷気が服の中に入り込んだ。

 シャツの中央に、身に覚えのない穴が斜めにぱっくりと開く。

 投光器が照らした輝きは――短剣。

 銀色の刃が落下物の手に握られていた。

 もし上を確認せずに上り始めていたら、短剣はシャツではなく誡斗自身を切っていただろう。


「……おいおい。今日はやたらと顔見知りに出会うな」


 更に数歩、冷静に対応出来る距離を取りながらも驚きの声を上げる。

 本当に、これは予想外だった。


「お久しぶり――って言うほど時間は経ってないわね」


 落下物――彼女は、自前の金髪をなびかせ立ち上がった。

 出会った時と変わらぬ装い。あの時と同じ口調。見覚えのある仕草。

 けれど手にした刃と敵意は、当時は備えていなかった。


「なんでテメエがここにいる、沙羅・バージオ……!」

「覚えて貰って光栄だわ、異形狩り……黒川誡斗」

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