第15話 余計なことしてんじゃねえ
森口あずきは地下で拘束されていた。
情報屋の兄を逃がすため、囮となって捕まったのだ。
「……アンタ、モテないでしょ。女の扱いなってないわよ」
あずきは手足を縛られ地面に転がされている。
地下室は何に使うか分からないぐらい何もなく、唯一の椅子は監視の男が独占していた。
恐怖心を誤魔化すように口走るが、監視は見透かしたように鼻を鳴らした。
「そもそも女扱いしてないからな。それに、俺にはもう恋人がいる」
「……もしかしてさっきの? 確かにお似合いだったわね。女にモテないから別の方を相手するあたり」
男は立ち上がり、一切の挙動を見せずに顔を蹴った。
「ッ!」
「痛い目にあいたくなければ黙っていろ。こっちは死体でも構わないんだ」
そそくさと椅子に戻る男。
鼻からは血が垂れて顔や髪を汚す。
憎らしく睨んでみても、今度は意にも介さなかった。
……ちっくしょー。
この男は兄の玉兎を狙っていた。
兄は情報屋以外何の取り得もなく、直接暴力を振るわれたらなす術はない。
そんな兄を不安に思って柔道を習っていたが、結果はこの通り。囚われのお姫様になってしまった。
幸いにも逃がすことは出来たが、今度は自分を使って兄をおびき寄せようとしているらしい。
乗り物酔いしやすいし体力もない、掃除炊事洗濯と家事の一切も出来やしない。口が減らないのに喧嘩なんてもってのほか。情報以外何の取り得もない男だ。
それでも来ると、確信していた。
直接は来ないだろう。傭兵を雇うのかもしれない。
あずきが身をていして兄を守ったように、兄もどんな手段を使っても助けに来る。
そんな希望が必死に涙を押し止めていた。
だから鼻血以外は出してやらない。
ごんごん、と鉄製の扉が鈍く二度鳴った。この部屋唯一の出入り口だ。
男が扉を開けると、別の男が入ってきた。手にはパンと飲み物が二人前。あずきの分はないことはすぐに分かった。
「晩飯だ。一緒に食おうぜ」
「ああ。退屈で死にそうだったんだ」
入ってきた男に椅子を譲ろうとすると、相手は断った。
「座れよ」
「いいよ。俺は地べたで」
「俺はさっきまで座ってたから」
「まだ続けるんだろ? 気にすんなって」
それからも数度、お前が、いやお前が、というのを繰り返し
「お前ってやつは……」
後から来た男が、しょうがねえな、みたいな感じで爽やかな笑みを見せる。
「そういうところが好きなんだよ」
「俺だって……同じだよ」
「………………………………………………………………………………………………」
なにを見せられているんだろう。
いや、こんな誰の目もつかない場所に連れて来られて、あー私の初めてはこんな男達に奪われるんだ、とか考えてたけど実際には拷問も強姦もなくて、こうして時々ホモップルを見せられる程度なのは不幸中の幸いなのかもしれないけども。
きっとその手の趣味の人には堪らないシチュなんだろうな、とあくまで一般的な性癖しか持たないあずきはそう思うしかなかった。
なんでこんなところでキスするかな。ぜんぜんそんなシーンじゃなくない? しかもジャケットが違うだけで中ペアルックじゃん。しかも変な模様の。やっぱセンスないよアンタら。ぜんぜんお似合いじゃん。
……って言いたぁぁぁい!
流石に二人相手にそんなことを言えるほど強気でもなく、いつになったらそのパン食べるんだ、いらないなら寄こせ、と目を細めるしかない。
結局二人仲良く地べたに座り食べることになった。最初からそうしなさいよ。
こっちの腹の虫を無視して食事を終えると、今度は雑談に入った。
他愛のない会話……二人からしたら、きっとくだらない世間話の一角なのかもしれない。
「この前の殺しの時さ、事前の情報より護衛が多くて大変だったぜ。こっちも大勢いたから良かったけど、何人か病院送りにされちまった」
「最近支援部の連中いい加減だよな。俺もただの夜逃げの阻止のはずがミュータントだって知らされてなくてよ、つい殺しちまって怒られたわ」
この連中にとって殺しなんてほんの些事なのだ。
きっと兄も、用済みになれば自分も殺される。もしかしたら女ってことで生かされるだろうか。……その時は死ぬより恐ろしい目にあいそうだ。
乾いた鼻血の代わりに恐怖心が蘇りそうになる。
「……たすけて……」
耐え切れず零れてしまった言葉を叶えるかのように、再び扉が鳴った。
全員がそちらを見る。
「交代か?」
「まだそんな時間じゃなくないか? お前が遅くて呼び出しに来たんだろ」
「もうそんなたったか? ったく、しゃーねーな」
男が食べ終わったゴミをまとめて扉へ向かった。
「へいへい今戻りますよー……って誰だお前?」
開いた先にはまた別の男がいた。
同い年ぐらいだろうか、この二人より若く見える。紺のジャケットにダメージジーンズ。派手ではないが地味でもない。拘りなのか右側の露出を徹底して避けている印象を受ける。ガタイの良さと目つきが乱暴そうに見えるが、比較的あずきの近くにもいそうな男だった。
自分達を襲った仲間かと思ったが、この二人は覚えないようで怪訝な視線を向けていた。
「例の情報屋を連れてきてやったぞ」
そう言って部屋の中に押し入れられたのは、自らの兄だった。
「兄さん⁉」
「悪いあずき……ヘマしちまった」
両腕だけ拘束された兄は無様に倒れ、近くに転がった。
ああ、なんてことだ。せっかく兄は無事だと思っていたのに。
「捕まるなら逃げてよ……ばかぁ……」
「あずき……」
とうとう抑えることが出来なくなった。
涙腺が決壊し、瞼を閉じても止まることなくあふれ出る。
「……なんで連れてきた」
「どういう意味だ」
「見つけ次第殺せって指示だったろ」
それでも男達の会話が耳に入ったのは、兄に関わることだったからだ。
「後始末のことを考えても連れてくる必要はなかった」
「ああ……妹がここいるって聞いてな」
「最期に会わせてやりたかったってか? 随分と優しいじゃねえか」
「そんなんじゃない」
「ねえお願い!」
叫んだ。涙と恐怖で声を震わせながら必死で懇願する。
「私はどうなってもいい……けど兄さんは、パソコン以外何も出来ない人なの。なんでアンタ達が兄さんを狙ってるか知らないけど、私が、代わりになるから……お願い……!」
「あずき、お前……」
己の身を差し出した願いは、確かに男達の耳に届いた、が
「ばーか。兄貴がどうなろうがお前の買い手はもう決まってんの。その貧相な身体で肥えたオッサンの相手するんだよ。せいぜい馬鹿な兄貴の罪滅ぼしをしろよ」
「そんな……!」
「テメエふざけんな! 人の妹を何だと思ってやがる!」
「はあ? 女なんてただの金儲けの道具としか思ってねーよ」
嗤う男達。
くやしい。
何も出来ないのがくやしい。兄を救えないのがくやしい。男達の言いなりになるしかないのがくやしい。勝手に売り物にされるのがくやしい。力を持ってないのがくやしい。
くやしくて、くやしくて――でもどうすることも出来なかった。
涙と血の混ざった鼻水を出すしか、あずきに出来ることはない。
「罪滅ぼし、って言ったな」
ただ一人、嗤っていない男が言った。
「じゃあテメェらの罪は誰が滅ぼしてくれんだ?」
「あ?」
男が吹き飛んだ。
壁に当たって蹲る。そのことを理解するのに時間が掛かった。
やったのは、若い男だった。
「て、テメエなにしやがる!?」
「誰もやる奴がいねえならしかたねえ」
ああ、今気づいた。
最初に見た乱暴そうな目つきは、自分にではなく
「俺がテメェらに罪を償わせてやるよ」
――この男達に向けていたんだ。
「ふざけやがって!」
もう一人の男が拳を振りかぶる。
しかし彼の足はより速く、男の股間を蹴り上げた。
「わーぉ」
兄が自分の股間を押さえていた。やっぱり痛いんだ、アレ。
「って、兄さん腕は?」
「ああ、あれ。フリ。拘束された」
兄はそもそも縛られていなかった縄を見せつけた。
「なにそれぇ……」
動けなくなった男を壁際まで追い詰め、蹴りに蹴り上げ殴り攻め立てる。
その間に兄はあずきの縄を解いて解放した。
「大丈夫か? 変なことされてないか? ああ鼻血出てる! あいつか? あいつなんだな? テメ、コラ、この野郎、俺の妹を傷物にしやがって!」
先にやられて倒れている男を兄が踏みつける。
いや、鼻血は今殴られているほうなんだけど。
「いたっ、おい……調子に乗ってんじゃねえ!」
「ぎゃあああああああああああああああああ!」
男は気絶しておらず、兄の足を掴んだ。
次の瞬間、彼が兄を押し退け男の頭を蹴り飛ばす。
「余計なことしてんじゃねえ。お前の相手は妹だろ」
「悪い悪い。ついカッとなっちまった」
兄が戻ってきてバツの悪そうな顔で手を差し出した。
「ちゃんと助けに来たぜ。ちょっとカッコ悪いとこも見せちまったけど」
――ああ、いつもの兄だ。
心の中が暖かくなって、涙の温度も変わっていく。
「……ばか。ありがと」
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