第14話 知らない天井
重い瞼を開けると、目の前にあるのは知らない天井だった。
しかも低い。立って軽く手を伸ばすだけで届きそうだ。
なぜこんなところに、なんて疑問はすぐに浮かんで消える。
頭が重い。身体が重い。まるで鈍い鉄になったようだ。指先一つ動かすのも億劫。
薄暗い部屋と柔らかい布の心地に、瞼が自然に閉じる。
眠い。このまま眠ってしまおう。
異形狩りと名が知られてから連日ミュータント共の相手をしているのだ。こういう日があってもいいだろう。
それに、あまりにも遅ければ花莉奈が起こしに来る。たまには甘えるのもいい。
意識が遠退く気持ちよさに身をゆだねる。
――そういえば、俺はいつ家に戻ったんだ?
そう、確か仇を追って――
連鎖して蘇る記憶。
弾かれるように飛び上がりベッドを出る。が
「――あ、がッ……!」
鋭い痛みが全身を襲い、その場に崩れ落ちる。
受け身も取れずに地面に落ちると、衝撃が腹部に伝わりこれまで以上の痛みが誡斗を蝕んだ。
「……っ痛え!」
叫びが完全な覚醒を呼び起こした。
そうだ。確か情報屋がいると整備工場に行ったら、刺客が待ち受けていた。なんとか倒したが、ヤツらの上司が現れて……
「……で、ここどこだ?」
見渡すと、やはり知らない場所だった。
ベッドだと思っていた場所はただ布を集めただけで、天井はやっぱり低い。暗くて見えにくいが所々差し込む光が朝を過ぎたと教えてくれる。照らされた場所を見てみてもとても清潔だとは言い難い。一度気付けば空気も埃っぽく、廃墟を最低限暮らせるようにしました、といった内装だ。
当然自分の家ではない。花莉奈なら耐え切れず掃除を始めていたはずだ。
あの大男がここへ運んだのだろうか? いや、殺すつもりの男を生かしておく理由はない。
全身の痛みと重さは二度寝を要求しているが応えてやる気はない。それよりも状況を把握するのが優先だ。
立ち上がると腹部に痛みが走る。千代にやられた場所だ。
とっさに右腕で押さえると、肌や普段着とは違う感触を覚えた。
誡斗は服を着ておらず、代わりに包帯が傷口を塞いでいた。腹部だけではなく、全身の傷付いた場所が同じく治療されている。
ありがたい、が、その事実にぞっとする。
――誰かが、俺の身体を見た。
傷の痛みを二の次に服を探した。
誡斗の服は寝ていた場所のすぐ横の壁にハンガーでかけられていた。すぐさま手に取る。
せっせと服を着て、一息。
先程まで寝ていたベッドモドキに腰を落とした。
「ったくなんなんだ……」
ブルファイトを含めた装備品は近くの布の塊の上に乗せられていた。机代わりだろうか。
拘束されることもなく、持ち物も奪われることなく傍にあった。
誰かが悪意を持って連れてきたわけでないのは理解出来たが、いったい何者だ?
あの男に殺されるよりずっとマシとはいえ、疑問が解消されないのは気分が悪い。
ひとまずここから出るか、と立ち上がると、ガチャリと金属が回る音がした。
ベッドモドキの足側に扉があったらしい。
新鮮な風と光、そして見覚えのない男が部屋に入ってきた。
眼鏡をかけた猫背の冴えない男だ。髭が生えて服がもっと汚れていたらホームレスにも見えなくはない。
「お、ようやく起きたな」
男はそそくさと扉を閉め、部屋の真ん中にしゃがみこんだ。
手元には買い物袋。中に手を突っ込むとパンを手にして差し出した。
「食えるか?」
「誰だお前」
向こうはこちらを知っているようだが、こちらは向こうを知らない。
パンを受け取るより警戒が勝る。
「ビビんなよ。俺がそのつもりなら寝込みを襲ってらあ。ぜんぜん味方だよ」
男は差し出したパンの封を切ると自らの口に入れる。
「森口玉兎だ。ぜんぜん、どこにでもいるしがない情報屋だよ」
「情報屋?」
「おうさ。アンタのことも知ってるぜ、
自分のことを知っている……いや、知っていてもおかしくないか。
良くも悪くも異形狩りの名は知れている。情報屋となれば顔も知っていてもおかしくない。
「にしても驚いたぜ。まさか異形狩りなんて呼ばれよう人が――」
言い終わる前に、右腕で口を塞いだ。
「俺を治療したのはお前か?」
無言で首を縦に振る。
「なら俺の身体のことは誰にも言うんじゃねえ。分かったな」
玉兎はもう一度首を振る。
鋭く睨みつけ、解放した。
「……悪かったよ。誰にも知られたくないことあるよな、ぜんぜん。けどアンタ死にかけてだんだぜ? そこは感謝して欲しいよ」
「それは……つか何で俺を助けた? お前がミュータント専門の情報屋なのか?」
「いやいや、ぜんぜんミュータント以外の情報も扱うし客だって選ばないぜ。そもそもそんな奴聞いたことない」
なら“犀黒伏”の一員が言っていたことは出鱈目なのか? ならなぜ整備工場の店主は殺された?
「アンタを助けた理由は……まあぶっちゃけ偶然だよ。ド派手にヤり合ってただろ? 誰かが警察に通報したらしくて、サイレン聞こえたら剛己、ああ、アンタを殺しかけたあの男な。あいつが逃げたから、俺がアンタを拾って助けてやったってわけ」
玉兎はパックの野菜ジュースを袋から取り出し一気に飲み干した。
「ま、アンタに死なれちゃ困るからってのもあるけどな」
「困る? お前が?」
「ああそうさ。異形狩り、黒川誡斗。俺はアンタに依頼がある」
依頼。
普段なら断る理由はない。
身体の秘密を知られたとはいえ、玉兎は命の恩人だ。タダで受けても構わない。
ただ、今は
「悪いな。今は忙しくて依頼を受けてる暇はねえ」
仇が優先だ。
そもそも仇を見つけるために誡斗は揉め事処理屋を始めた。
他の依頼を優先する理由はない。
玉兎に背を向け扉に向かう。
「今のいざこざが終わったら受けてやるよ」
「報酬はアンタの命を狙う連中の情報」
ドアノブに伸ばす手が止まった。
「
「…………」
「それに丸一日眠ってたんだ。本番前の軽い準備運動くらい、ぜんぜんいいだろ?」
「一日?」
「ああ。心配なさんな。俺以外アンタの秘密は知らないさ」
「いや……いやそれもそうだが……まあいい」
夜には帰るつもりだったが、花莉奈、怒ってないだろうか。
帰れない日は必ず連絡を入れていたし、昨晩も待っていたはずだ。
スマホを取り出し電話を掛けようとするが、反応しない。電源を長押ししても無反応だ。
「充電器はあるか?」
「ぜんぜん」
「どっちだ」
「ない」
ため息。
ともあれこいつからの情報を無視するわけにもいかない。
踵を返し、ベッドモドキに戻った。
「へへっ、そうこなくっちゃな。流石天下無敵の異形狩りサマだ」
「馬鹿にしてんのか」
「こいつは失礼」
玉兎は地面に座って両手をこすり合わせる。
「さて、どこから話したほうがいいのやら……」
「お前の事情になんか興味はねえ。とっとと内容だけ話せ」
「了解。その前にアンタにご忠告だ」
玉兎は自分のスマホの画面を見せた。
「出来たてホヤホヤの指名手配書だ」
そこには康之の写真が載っていた。監視カメラのものらしく、やや不鮮明だが顔見知りならすぐに分かる。横には殺人と罪状も書かれている。
「はあ!? どういうことだ!?」
「整備工場の三つの死体。あれ全部アンタがやったことになってるぜ」
「待てよ。確かに俺は殺したけど、それはヤツらに襲われたからだぞ!」
そもそも誡斗が殺したのは千代一人だけだ。店主は来た時点で殺されていたし、コウは千代に殺された。
それに容疑者としてならともかく、あの場だけで誡斗が犯人である証拠なんて見つかるはずもない。これでは最初から犯人を決めつけていると同じだ。
「ぜんぜん簡単な話さ。敵がそんだけの力を持ってるってことさ」
「……っ!」
これは予想外だった。
今の時代、確かに犯罪組織と警察が繋がっていることは珍しくない。だがここまで堂々と行動に移すとなると、
「……相手は警察なのか?」
そうとしか考えられなかった。
「いやいや、ぜんぜん。そこは安心していいぜ。アンタの敵は警察じゃない。ちょっとしたコネがあるだけさ。もし俺の依頼を成功させて、アンタも上手くいったなら、この件は俺がなんとかしてやる。アフターサービスってやつだ」
どうせ叩けば簡単に崩れる手配書だ、と玉兎は自信満々に言った。
信用……するしかない。
流石に警察を相手するのは気が引けた。止めないにしろ、腐っても国家組織だ。ヤクザを相手するのとはまったく違う。
そういった意味では、少し安心した。
「そういうわけで、出歩くなら気をつけろって言いたかったわけ」
「そうか……ああ、そうだ。ちょっとスマホ貸せ」
「なんで?」
「電話するからだよ」
使えるスマホがあれば花莉奈に連絡出来る。手配書の件もあるし、一報を入れておきたかった。
「ああ、そいつは無理だ。今のコレはただのカメラ兼日記帳。電話もネットも繋いでない」
「なんでだ」
「実は俺も狙われる身でね……情報屋の最強の防衛策はネット切りなのさ」
「……ちゃんと情報寄こすんだよな?」
「ぜんぜん大丈夫だって。アンタにやる情報はちゃーんとココにある」
そう言って玉兎は己の頭を指で叩いた。
情報を貰えるならそれでいい。もし追加で働かされるのであれば一発殴っていた。右で。
さて、と仕切り直され新しいパンを差し出された。
「仕事の話に戻ろうか。黒川誡斗、改めてアンタに依頼するぜ」
「……パンは甘いの寄こせ」
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