第10話 ドサンピンが二匹
天変地異の大災害より前、渋谷は日本全国でも随一の若者の街だった。
今現在でも過去をなぞるように若者向けとして発展し、ファッションにデザート等、流行はここから生まれると言っても過言ではない。
今日も今日とて昼間だというのにサラリーマンより多い十代から二十代前半の若者達。大人の町である歌舞伎町とはまた違った賑わいだ。
自分も彼らと同年代であるはずなのに、どこか浮いている気分になる。
そもそも誡斗自身ファッションセンスを磨こうと思ったことがない。実用性重視でいつの間にかこの装いになった。渋谷なんて仕事でしか来たことがない。
ある意味羨ましい連中、と思いながら大災害前の店をモチーフにした10Qを通り過ぎる。
渋谷の中心地を過ぎたくらいでは何も変わらないと思いきや、言われた路地に入ると見る見るうちに喧騒が遠退いていく。まるで本の物語のように別世界に入り込んだみたいだ。
店やマンションの裏を進んでいくと、やがて少し広い道路が出迎える。その反対側に情報屋と思わしき整備工場があった。
工場は大きくはない。一階建てで、個人経営でもやっていけそうな規模だ。
工場と直結しているだろう出入り口はシャッターで閉められており、開けようとしても鍵がかかっているのか動かない。
仕方なく隣に連なっている事務所へ向かった。
扉を開けると設置された鈴の音が来客を知らせる。
事務所には誰もおらず、奥から人が出てくる気配もない。
「誰かいないのか?」
声をかけても返事どころか物音すらない。
出かけているにしては不用心だし、もう一つの仕事でもしているのだろうか。
試しに事務所の奥を覗いたが給湯室になっており、ここに住んでいるわけではなさそうだ。
事務所にはもう一つ扉がある。工場と続く扉のようだ。そちらへ向かう。
こちらの鍵は開いていた。木製の扉が音を立てて開く。
出迎えたのは喉の奥まで来る臭気。錆と油汚れに塗れた工場内は、閉め切っているせいか少し蒸す。
外観からの予想通り広くなく、車が二台置ける程度。入り口からでも四隅まで見える。
既に一台が手前に止められており、整備の途中なのかタイヤが外されリフトで持ち上げられている。その周りには台に乗せられた工具があるが、素人には何に使うかさっぱりだ。
ここにも店主はいないようだ。
「おいおい、不用心過ぎるだろ」
来るまで待とうと、工場の中に入る。
現代において車を所有するのは難しい。
以前はガソリンというものが一般的な燃料だったらしいが、今の時代は加工したクラミツハが燃料だ。ガソリンの元となる石油自体が貴重なものとなり、今では使われることはほとんどない。
クラミツハの燃料は高い。発電して使う分ならともかく、車の燃料として使うとサラリーマンの月収ではまともな生活を送れなくなる。
だから車というのは金持ちや会社でしか所有していないのがほとんどだ。稀に絵画のように飾っているだけの物好きもいるが。
同時に整備工場も少ない。専門で雇っていない限り、こんな場所でも客は来るのだろう。
対して電車やバス等の公共交通機関は充実しており、誡斗も移動手段は主に電車か徒歩だ。
こうして止めてある車をまじまじと見る機会は今までなかった。
「派手な色」
林檎みたいなボンネットに、つい興味を惹かれ触ってみる。
――ぬるり
「……あ?」
気味の悪い感触。
翻して見た指には赤い液体が付着している。
生暖かく、粘度があって、鉄臭い。
ソレは仕事柄よく目にするものによく似ている。
瞬間、脳裏に駆け巡る嫌な予感。
車の影。車体や工具で死角になっていた向こう側を見る。
「…………ッ!」
そこには血塗れで倒れている作業着を着た男性と
「よお」
奇妙な口のスーツ姿の男がしゃがんでいた。
男は友人みたいな気安さで声をかけ、大きく息を吸った。
男の口はじょうろのように細長く、丸い唇をしている。
その唇が一瞬、内側へ縮み
「シィ――!」
考えるより先に身を捻った。
何かの飛び道具だろう。飛来物は左肩を傷つけ、背後のシャッターを激しく鳴らした。
こいつが情報屋を殺したのか?
問い質すべく、まずは無力化と銃を構える。
だんっ! という音に引き金を引くのを躊躇った。
車が激しく揺れた。目の前の男ではない。男は再び息を吸っている。
「シャアアアラアアアアアアア!! 死ねや
頭上。車を足場に高々と飛んで現れたもう一人の男が、両手に刃を生やして振り下ろす。
横に転がりながら回避するも僅かに足を掠める。
「シィ――!」
その隙を見逃さず、じょうろ口の男が再び射撃する。
寸で頭を下げると、背後で工具入れが派手に暴れた。
また刃の男が来るかと待ち構えれば、男はニヤニヤと血の付いた刃を舐め取っている。
「気味の悪い野郎共だ」
ブルファイトを手に構える。
「俺が誰か知ってるってことは、テメェらカマキリ野郎の仲間か」
「さてねえ? そうかもしれんし、そうじゃないかもしれねえぜ」
「……なんでそいつを殺した?」
工場の店主であろう男。銃創の位置からして恐らく即死だろう。まだ救いのある死に方だ。
だが殺される理由はない。
仮にマズイ情報を持っていたとしても、誡斗がここに来ることは知らないはずだ。
カマキリ男の仲間にしろ違うにしろ、狙う必要がない。
あるとすれば、自分とは別件か。
「あ? おいおい、これから死ぬって時に死んだ奴の心配かよ。そんなに気になるなら後を追わせてやるから感謝しろ」
「ハッ、無理だろ。コソコソ隠れて隙を伺うドサンピンが二匹、表に出て来ちゃ大道芸と変わりゃしねえ」
「ハハハ! 運良く雑魚に当たり続けて生き残っただけのパンピーが吠えやがる!」
男は笑った。口を大きく開け、工場内に大声を反射させながら。
撃った。
隙だらけだし、何より笑い声が気持ち悪い。
五十口径の弾丸が気に食わない顔を肉片にすべく音速を超えて空気を裂く。
笑い声が止まった。代わりに鳴ったのは、複数の鋼の音。
「――痛てえじゃねえか、オイ」
刀の切っ先が地面に突き刺さる。それは男から生えた刃だった。
腕から生えた複数の刃が、脳漿の代わりに砕け散っていた。
男の気に食わない顔は残念ながら傷一つ付いていない。
あり得るのか? 防弾ベストすら貫通する大口径だぞ?
――逸らしたか
見る限り一本の厚さは日本刀程度。いくら束ねたところでマグナム弾を防ぐには心許ない。
であれば技量。あの一瞬で刃の角度を調整し、弾丸を逸らしたとしか考えられない。
警戒度をグッと引き上げる。
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