第7話 何年待ったチャンスだと思ってやがる!

「カズマくーん、暗くなってきたからお家戻ろー?」

「やだー!」


 カズマと呼ばれた少年はわざと意地悪するように、ボールを持って孤児院の庭を走る。

 綾瀬孤児院は駅からもスーパーからも遠く良い立地とは言えないが、その分土地は安く住宅街からも離れているからクレームもない、多くの子供が住む孤児院としては悪くはない場所だった。

 庭も遊具を置いてなお十分なスペースがあり、多少敷地から飛び出しても誰も文句を言わない。院長が大らかな性格もあり、孤児院には活発な子供が多かった。

 カズマも例に漏れずその一人で、問題児というほどではないにしろ手を焼く子供だ。

 夕食近くになってもまだ遊び足らぬとボール遊びに勤しむ姿を職員が困った様子で見つめる。

 いつものことなのでお腹が空いたら戻ってくるだろうと思いつつも、フェンスもないので遠くに行かれたら困るから目を離せない。

 縁側に腰掛けながらご飯が出来るまでには戻ってきて欲しいな、などと考えていると、遠くに動く影を見つけた。

 雑木林の方面から孤児院に来るように影は激しく動いていた。まるで走っているみたいだ。

 カズマはまだ影に気付いていない。

 背筋が凍る不気味さを感じ、再度声をかける。


「カズマくん! みんな待ってるから早く来て!」

「やーだー!」


 無垢な笑顔を浮かべながらボールを蹴る。

 その間にも影は刻一刻と近づき――人と判断出来るまでに来ていた。

 しかしその顔は人とは違う、昆虫的なものだった。

 荒事とは無縁だった職員だが、この時ばかりは危機を感じた。

 縁側のサンダルを履き、急いでカズマの元に駆け付ける。無理矢理にでも家の中に入れるつもりだった。


「あっ」


 ボールが足元を離れる。

 カズマは当然、大切な遊び道具の後を追った。――行き先に、誰がいるのかも知らずに。


「ダメ――」


 静止の声は届かない。

 子供の足と大人の足。勿論勝るのは大人だが、同時にあるのは異形の足。

 ましてや子供自らそちらへ向かうとなれば


「やあ」


 取ろうとしたボールを、異形の影が踏みつけた。




 雑木林を抜けたしばらく先に孤児院があった。

 全力で走れば数分もかからない距離だ。

 だから、異変はすぐに分かった。


「遅かったな異形狩り。退屈過ぎてどこを切り落とそうか考えてたところだ」


 男の子の首に鎌が添えられていた。

 近くには職員であろう女性がどうしようもなく立ち往生している。

 少年の今にも泣きそうな表情に、己を呪う。


「趣味が悪いのはナリだけにしとけよ」


 構えるが、形だけなのはヤツも分かっている。

 子供を盾にしたところで身を隠せる場所はほとんどない。せいぜいが下半身を守れる程度で撃ち殺すのは十分に可能だ。

 問題は首元の鎌だ。

 撃てば間違いなく反動で小さな命を刈り取る。威力の大きいマグナム弾であればなおさらだ。

 誡斗は撃てない。少なくとも鎌が外されるまでは。

 引き金に力を入れられない分、奥歯を噛み締める。

 悔しさが手に取るように分かるのか、カマキリ男の愉悦が漏れ聞こえる。


「撃てないか? かの異形狩りもガキには甘いようだ」

「黙れ虫野郎。子供を盾にしなけりゃまともに話も出来ねえのか」

「放して欲しいか? そうだな、それじゃあ……」


 空いているの鎌の峰で頭を小突く。


「テメエのド頭ブチ抜け」

「…………」

「聞こえなかったか? その立派な得物でテメエを撃てって言ってんだ」


 子供が死ぬか、自分か死ぬか。腹の立つ二択だ。

 優位に立っているせいか見下すような視線と言葉が気にくわない。

 だが逆らうわけにはいかず、また従うわけにもいかない。

 死にたくないのも本心であるが、自殺を選んだところで子供が解放されるとも限らないからだ。下手をすれば目撃者ということで孤児院にいる全員が狙われるかもしれない。

 戦闘慣れしている人間がここにいるわけがない。自らの死を選ぶわけにはいかなかった。


「テメェこそ分かってんのか?」

「ああ?」

「仮にその子を殺せたとしても、次はねえってことだよ」


 人質は盾であり枷だ。

 複数の人質を用意して立て籠もるならいざ知らず、今回の人質はたった一人。

 相手は銃弾を避けられるほどの実力者だが、それは空手だからであって、人質を抱えてはまず不可能。

 カマキリ男が鎌を引く最中に指を動かすだけで殺せる。つまり人質の消失が奴の最期というわけだ。


「おいおい。この子を見捨てんのか」

「ハナから放す気がねえのに白々しいんだよ」


 膠着だ。

 人質が命綱であるカマキリ男。

 死ぬわけにも見捨てるわけにもいかない誡斗。

 どちらも軽々しく先手は打てない。

 達人同士の果し合いが如く、ただ相手の隙を待つ。

 長期戦となれば有利なのは誡斗だ。

 カマキリ男は致命傷ではないにしろ両方の鎌を折られ出血している。治療しなければ血が不足して倒れるだけだ。一方で誡斗は全力疾走の疲労こそあるが無傷。だからこそ人質などという姑息な手段を取ったのだ。

 恐らく先手を打つのはカマキリ男。隙を見逃さなければ勝機はある。


 ――はずだった。


「きゃあああああああああああああああああああああ!?」


 予想外のことに限って立て続けに起きる。

 異変に気付いたのであろう他の職員が孤児院の中で悲鳴を上げる。

 その悲鳴につられ、奥から複数の足音――子供たちだ。

 ドタバタと集まってくる小さな影の行き先は悲鳴を上げた職員の傍。

 位置にして誡斗の正面――カマキリ男の真後ろ。


「お前ら逃げろ!」

「そこを動くな!」


 二重の命令。そして非日常の光景に、誰も彼も金縛りにあったかのように動きを止める。

 やがて小さな脳みそのキャパシティをオーバーした事態に何人かが泣き出し、つられて更に泣き出す子供達。人質になった子も耐え切れずに大粒の涙を流す。


「あー、うるせえ。けどこれで形勢逆転だなあ?」

「ッ……」

「撃てるか? 撃てねえよな? 外したらやべえもんなあ?」


 完全に引き金を引けなくなった。

 腕の中にいるのは依然として一人だけだが、人質はもう彼だけではない。

 仮に隙を見つけて撃ったとしよう。愛銃に込められたのはマグナム弾の中でも最大サイズの五十口径。どんなミュータントでも確実な攻撃手段として用意したもので、カマキリ男のような硬化能力のないミュータントなど容易く殺せる代物だ。当たれば頭蓋だろうと胴体だろうと簡単に貫通する。

 貫通、してしまうのだ。

 カマキリ男を殺せたところで、流れ弾が子供達を襲う。孤児院との距離はたった数メートル。威力を殺せる距離ではない。

 しかも厄介なことに子供達は孤児院の中にいる。地面より高い位置にあり、上体を狙ったところで子供達に当たらない保証はない。


 詰んだ。


 自分の命を優先するなら子供達を顧みずに撃てばいい。けどそんな手段は取れない。

 孤児院の子供達は何らかの理由で親と離れてしまった子供達だ。その理由のほとんどがネガティブなことを同じ孤児院出身の誡斗は知っている。

 今回の依頼も断る理由こそなかったものの、孤児院の存在は間違いなく受ける理由にはなっていた。

 彼らを助けたい。そんな理由でだ。

 銃を下げる。吐息と共に気張っていた構えから力を抜く。


「ヒヒッ」


 癇に障る声だ。


「子供達には手出さねえだろうな」

「お前が死ねばな。安心しろ、俺はこう見えて約束は守る男だ」

「はっ、どうだかな」


 さりげなく右足を前に出し重心を前に置く。

 銃を下げたからといって諦めたわけじゃない。

 銃では救えない。なら別の方法で助けるしかない。

 彼我の距離は十メートルもない程度。


 ……使うか。


 この窮地を脱する手段はある。

 己が忌み嫌うこの力。使いたくはないが、使わなければ助けられない。

 なら自己嫌悪など自分一人が抱えればいい。

 銃をこめかみに当てながら、密かに足に力を込める。

 撃鉄を起こすと男の笑みがより一層深くなった。

 気の緩み。即ち隙だ。

 溜めた力を爆発させようとした瞬間、目に映ったのは


「バージオ……!?」


 カマキリ男の背後に立つ依頼人の姿だった。

 彼女が手の平をかざすと、子供の首を添えられていた凶器がさも当然と離れていく。

 瞬く間に卑劣な刃はバージオの手に収まった。


「なっ……!」


 遅れてカマキリ男が気付く。

 だが子供の安全が確保されるや否やバージオは握った男の腕を引っ張る。

 すると自分よりも高い背丈にも関わらず、ハンカチを投げるかのようにカマキリ男の体が宙を舞った。

 不意打ちとはいえ手練れの刺客をこんなにも容易く手玉に取る姿に思わず呆気に取られる。

 武術ではない。明らかに己の腕だけで飛ばした。それも力んだ様子もなくただ自然と。

 線の細い女性にそんな芸当が出来るわけがない。となると彼女の正体は――

 空中浮遊を楽しんだ男が墜落した。

 背中を強打し、体制を立て直すも咳が止まらない。


「孤児院に危険な目に合わせるなって、私言わなかったかしら」

「悪かったな。こいつがこんな情けねえヤツだとは思わなかったんだよ」


 とにかくこれでまともに戦える。

 カマキリ男の後ろに子供はおらず人質もいない。

 こちらが銃を構えるだけでヤツは詰む。


「形勢逆転だな」

「ちぃ!」


 まだ呼吸が整っていないのか、それとも血を流しすぎたのか息が乱れている。

 ちゃり、と男の胸元から何かが零れた。

 それはチェーンで繋がれている金色のアクセサリーだった。大きさは手よりも小さい。幾何学模様が複雑に描かれてはいるが中心は十字架の形に空洞になっている。

 瞬間、頭が真っ白になる。


「テメェ……それはなんだ?」


 誡斗はそれを知っていた。

 見覚えなんてものじゃない。決して忘れられない悪夢の一端だ。

 依頼のことなど、ここが孤児院だということも忘れ、怒鳴るように叫ぶ。


「なんでテメェがそれを持ってやがる? テメェはヤツの仲間なのか!?」

「なんのことだ……?」

「とぼけんじゃねえ!」


 感情のままに引き金を引く。弾は男の数センチ横に当たり砂利を弾く。


「答えて貰うぜ。俺の孤児院を襲った白いバケモンのことを!」

「白い、化物……」


 カマキリ男は変身を解き、人間の姿で鼻で笑った。


「ふん、知ってたところで教えるか」

「なら自分から吐くようにしてやるよ」

「やってみろ」


 直接身体に聞こうと近づいた途端、男を中心に黒煙が噴き出す。

 雑木林で使ったスモークだ。あっという間に男の姿が煙に包まれる。


「ふざけんな。何年待ったチャンスだと思ってやがる!」


 罠だろうと構いなく煙の中へ飛び込む。

 おおよそではあるが男がいた場所に着いたが誰もいない。この煙の濃さでは触れるまでどこに誰がいるのか分からない。我武者羅に、なりふり構わずヤツを探す。


「待てよ! 逃げんじゃねえ! ヤツの……俺らの仇を教えやがれえ!」

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