第60話 隣国
セントパンクロス国の南側に接するクランプ帝国。皇帝 エルンスト・クランプが治め、複数の鉱山を抱えていることから鉄器が有名だ。周辺の国々よりも多くの人口と国土を抱えたクランプ帝国だったが、大きな危機を迎えていた。
2年続けて起こった異例の気候変動が猛威を振るい、台風、長雨、洪水といった災害がクランプ帝国を襲った。その被害は甚大なもので、農作物の不作により物価は上昇。貴族が保身のため食料の囲い込みを行ったことで物価の上昇はさらに加速した。
「貴族なんてもう当てにならん!」
城下町の人々は憲兵に見つからないよう、皆こそこそと話すようになっていた。辺りを伺いながら、それでもこの怒りを誰かと共有せずにはいられない。
「この間皇帝に嘆願書を送った奴らがいるらしいじゃないか」
「いつの話してるんだ、3ヶ月も前だぞ」
「そんなに前なのか。こんなに国民が苦しい思いをしてるというのに、皇帝は何をしてるんだ!?」
嘆願書を送ったのは1人だけではない。各地の善良貴族が送っていたのだが、堕落した貴族の粛清は行われず、国民の貴族に向けられていた怒りは次第に皇帝エルンストに集中していった。
「皇帝陛下!暴動が起こっています。それも全国各地で!」
痺れを切らした国民はもう黙っていられなかった。皇帝へ不満を訴える暴動は国のあちこちで起こった。皆我慢の限界だった。
「では、押さえ込めば良い」
決死の覚悟で挙げられた声は治安維持法なる法律が新たに制定されたことで抑え込まれることとなる。批判する者は次々捕らえられ、治安維持法による取り締まりはどんどん厳しくなって最終的にはデモに参加しただけでも捕縛の対象となっていった。この過程で出版物は検閲が開始され、国民は本を選ぶ自由すら奪われる始末。強まる弾圧に国民は疲弊していく。
空腹、不公平感、先の見えない不安。その全てが気力を削り取っていく。それでもなお諦めずに皇帝に立ち向かうものもいた。彼らは憲兵に捕まらないように身を隠しながら訴え続けた。
「皇帝陛下、いつまでたっても民が折れません。いかがいたしますか」
「ふむ、潮時か・・・」
押さえ込んでも抑えきれない国民の反感を目の当たりにした皇帝エルンストはようやく重い腰をあげる。
これで貴族の是正、国民への支援が開始されるかと思いきや時すでに遅かった。
「恐れながら皇帝陛下、国庫の予備費はすでに残りわずかとなっております」
エルンストは当初さすがに貴族側からいくらか食料を納めるだろうと思っていた。しかし、蓋を開けてみれば食料を納めようという者は全くいなかった。誰もがこの未曾有の危機に怯え忠義心などどこかへ吹き飛んでしまったようだ。
怒った皇帝エルンストはそういった貴族に張り合い食料を溜め込んだことにより、すでに自国の力だけでは国民の支援が出来ないほどに帝国は金銭的に余裕がなくなっていた。そして、自らの身を切るつもりはエルンストにはない。
そんな状況にありながら、周辺の国に支援を要請するような恩を売る真似もプライドが許さなかった。そこで臣下に下した命令はこうだ。
「隣国への進軍の準備を始めよ」
恩を売るくらいなら、いっそ自分のものにしよう。皇帝エルンストはそういう人だった。
「!?」
驚く臣下を柘榴色の瞳で睨みつけると、臣下は慌てて頭を下げた。
「は、はい!すぐに取り掛かります」
エルンストは慌てて部屋を飛び出した臣下を退屈そうに見ていた。
こうして軍備が拡張されることとなる。その予算は城で働く使用人たちの人件費を削減し捻出された。
一方、国民に広がった猜疑心は兵士たちの間にも広まっていった。まともな食事を与えられず訓練だけは通常通りこなす日々を送っていくうち、栄養失調で倒れる者が続出した。
それでも最初は泣き言を言う者は誰1人としていなかった。
「自分たちが耐えられなければ国民も耐えられまい」
「このくらい乗り越えられなければ!」
皆国民を思えばこそ、国思えばこそ、気持ちで乗り越えられた。しかし長期化すれば体は勝手に痩せていく。剣を持とうにも力が入らない。それではいけないとせめて最低限の食事が取れるよう計らって欲しいと願い出ても、増えたのは具のないスープだけだった。
そんな状況の中皇帝の命令により新たに訓練のメニューが追加され、兵士たちは狼狽えた。
「この国は俺たちを餓死させるつもりなのか?」
「このままじゃ本当に殺されるぞ」
今日も訓練中に数人倒れて医務室へ送られた。今自分たちが倒れずにいられているのはたまたまでしかない。倒れた連中を揶揄う気持ちにはなれなかった。
「この国、大丈夫なのか・・・?」
国を守る要たる彼らの心は大きく揺れていた。
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