最終話 暁の記憶

5:00 N市 セントラルビル 屋上


暁の空の下、赤光照らす二人の姿。

舞い降りた赤は光の中に飲み込まれ、輪郭だけがはっきりと映し出されていた。

「強くなったね……作一……」

「……え?」

稲本作一は気の抜けた声で思わず刀から手を離してしまう。


本来ならばあり得ない行為だ。

先ほどまで命のやり取りをしていた相手に武器を明け渡すなど。

それでも、もう先ほどまでの先生の恐ろしさは消えていた。

いつも通りのその人、夜叉ではなく陣内劔という優しい兄弟子だった。

あたかも化けの皮が剥がれたような、そんな気がしていた。


「僕もようやっと……約束を果たすことができたよ……」

揺らぐ身体。彼はフェンスに身を委ね安らかな笑顔を浮かべる。

「何だよ……約束って!!」

稲本はすぐさま駆け寄り摑みかかる。

されどその人は笑顔を絶やさず、優しく答える。

「昔、約束しただろう……?君に全てを授けるまでは死なないっ……て。」

この時、全てに気づいた。

「まさか…………」

「僕は最後の最後まで、先生でいられたかな…………?」

彼もまた、大切な人との約束の為に戦っていたのだ。


「君は僕の朧月を打ち破り、月下天心流の終之太刀を会得し、そして仇である僕を超えてくれた……。もう悔いなんてものはないよ…………」

彼は目を閉じ、そのまま死を選ばんとしている。

「ふざけるな…………ずっと騙しておいて、勝手に消えようなんて許さねえ…………!!!!」

稲本は懸命にその命を繋ごうとするが彼もまた瀕死。

そんな事が出来るはずもなく、眼前の命の灯火は時期に消えようとしている。


「作一…………そこにいるかい…………」

「ああ、いるよ……!!」

陣内は掠れた声を振り絞る。

そして稲本の頭を優しく撫でた。

「たった一つ、たった一つでいい……。君がその刀を振るう理由を、たった一つの誇れる正義を見つけなさい……」

「っ…………!!」

「そして、君が信じるべき正義を貫きなさい……。誰に何と言われようとも、君のその正義を護りなさい……」

「先生…………!!」

事切れそうになる。手を取り必死に繋ぎとめようとする。

「僕がいなくてももう大丈夫…………君なら、新たに一を作ることも出来るから…………。」

「そんなこと言うなよ……まだ俺は……!!」

「君は化け物でも、心なき暗殺者でもない……。一人の人間として、月下天心流の17代目として、強く生きなさい……。」

笑顔で稲本の涙を拭う。


そしてそれと共に右手はスルリと落ち、その人は事切れた。


「先……生……」

悲しむ間も無く、稲本の体も揺らめく。

それもそのはずだ。

『零の極致』による身体の酷使、この3日間による傷、満身創痍の彼の身体は動いている方がよっぽど不思議であった。

意識は薄れていく。

「ま……だ……死ね……ない……」

右手に月輪刀を取りその身体を起こそうとするが再度地に転がる。

もう立ち上がれない。そう思った時だ。

「大丈夫か……!!」

ドアを開き現れた初老の男性。

意識は朦朧とし、これ以上答えることはできなかった。

徐々に徐々に視界が闇へと葬られる。

次の目覚めがあるかもわからない、眠りへと……



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5:03 N市上空


「ったく!!また右腕失ったのかよ隊長!!」

豪快に笑うルプス4、ベルセルク。

「しかしまさか、本当に一人で『13』を終わらせるとは思いませんでしたよ。」

傷だらけになりながらも回収されたルプス3、レッドバレット。

「……ったく、このヘリはいつも騒がしい。」

そしてその中心でルプス1、ヌルこと黒鉄は呆れ返りながら片手で咥えたタバコに火をつけた。

「しかし隊長、少し嬉しそうですね。」

彼の手当てをするルプス2、カマイタチの問いかけに静かに答える。

「気のせいだろ。俺はそのような感情は良く知らん。」

「…………そうですか。」

だが誰がどう見ても彼は、どこか嬉しそうであった。


そして笑顔を窓の外に向け、

「楓、俺は悪の兵器であり続けるよ…………。お前の信じた正義が成される、その日まで…………」

彼は新たな決意を口にする……

その身に宿った、稲妻に……


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微睡みの中、静かに眼を覚ます。

「っ……てぇ。」

眼を覚ませば目の前には見知らぬ白い天井。

「眼を覚ましたか、坊主。」

彼に声をかけたのは老人と思える一人の医者。

「あ、あんたは……?」

「N市支部所属のドクター、"薮 助広(やぶ すけひろ)"じゃ。ボロボロだったお前さんの治療をしたヤブ医者じゃよ。」

陽気に答えるその人。彼の顔をちゃんと見ようと動こうとしたその瞬間、激痛が走った。

「おっと動かん方がいいぞ。内臓破裂に全身の筋断裂。骨折に加えて……もう説明するのもめんどくさいからとりあえず動くな。」

「……は、はぁ。」

稲本はただ気だるそうに静かに答える。

とてもぶっきらぼうではあるが、この医者の腕は確かなようだ。



その時、一人の男性が彼の部屋を訪れる。

金髪のサングラスをかけた男。

敵意は見せてないが、確実に味方ではない、そんな雰囲気を醸し出す。

「席を外してくれないか、ドクター薮。」

「……はいよ。」

不敵な笑みを浮かべるそいつは、決して隙を見せぬ様子で椅子に腰かけた。

「初めまして稲本作一。いや、元『13』所属エージェント、ゼロと呼ぶべきかな?」

「……好きに呼べ。」

「君たち13の事は大抵調べがついている。裏切ったヌル、君の師である夜叉、そして創設者のディセインの事もな。」

「……だからなんだってんだ。何もかも終わった組織の話じゃなくて本題にさっさと移れよ。」


やれやれといった仕草を見せたと思えば、その男は一転して冷たく吐くように答えた。

「……"遊撃特務部隊レイヴン"の隊長になれ。」

「俺に対するメリットは?」

「まずは君の罪を揉み消そう。今のままでは夜叉、陣内劔殺しの罪を背負いながら君は生きなければならない。だが、それは誰も望まないだろう?君も、夜叉も。」

躊躇うことなく答えた。これだけのことを容易くできるということは余程の地位の人間なのだろう。

「…………俺は何をすればいい。」

「日本支部長である霧谷雄吾が信頼するN市支部長、"雲井 相模"の元で働け。そして同時に私が指示をした時に私の指示通りに働け。」

つまり、スパイとして粗を探せという訳だ。

日本支部長の霧谷はUGNの穏健派の中核を担う人物であり、そして日本支部を支えている男である。

つまり敵が多いとも言えるわけだ。


「……割に合わねえな。」

だがスパイをやるつもりなどはない。

そもそも性に合わない上に、己が正義に反する。

「ならば、君の守りたかったあの二人の安全も保障しよう。どうだい?」

稲本はとても不服そうな顔をする。

だが、彼も理解していた。

己が正義や命よりも、大切なものを。


故に彼は首を縦に振った。

「宜しい。ならば取引は成立だ。」

握手を求めてくるその男。だが稲本は決して手を差し出さなかった。

「強情だな君は。」

「……名前も知らねえ奴の手は取れねえよ。」

「おっと名乗り忘れていたか。私はアッシュ・レドリック評議院議員。宜しく、稲本作一君。」

「…………宜しく。」

彼は差し伸べられた手を取る。

それと同時に彼は一冊の日記を手渡した。

「これは?」

「君の師の日記だよ。この戦いが終わったら君に渡すよう頼まれていてね。全く、真のダブルクロスは彼だったようだ。」

男はそれを渡すと部屋を出て行く。

「……まあ、精々足掻くといいさ。君という小さな存在がどこまで出来るか見ものだけどね。」

稲本はただその背中を睨むことしかできなかった。

それでも、少しでも、約束を果たす為に。

その決意のために彼は今思いを押し殺した。


「おう、話は終わったかい?」

ヒョッコリと現れた薮。

「ええ……まぁ……」

「そういえば、お前さんを助けるように言った二人だがこの隣の病室におるぞ。」

「っ……!!」

稲本は立ち上がろうとするが激痛が再度走った。

だがそれでも彼は高まる鼓動を抑えられなかった。

「薮さん、車椅子か松葉杖を借りれませんか……!!」

「まあ、あるにはあるが……」

曇った表情を見せた。

何故、そう思えたがその疑問は彼が答えてくれた。

「二人の記憶は消されておる。飛鳥という子に関してはお前さんが特務部隊だったことを、河合という子に関しては……」

「それでも構わない……!!」

薮は稲本の押しに負けたのか、静かに松葉杖を取り出した。

「ありがとう薮さん!!」

稲本はそのまま松葉杖を駆使し隣の部屋へと一気にかけた。


二人は自分にとって日常の一部だった。

決して失いたくない、大切な人達だ。

命をかけても守ろうとしたその人たちに、会いたい、忘れていても構わない。それでも——

「天!!椿!!」

病室のドアを開けた。

そこには傷だらけでありながらも無事な様子の二人の姿があった。

「よかった…………」

彼が安堵し、息をついたその時。

「えっと…………貴方は誰ですか?」

キョトンとした様子で稲本の事を見ていたのだ。

「俺は————!!」

彼は答えようとした。だがそれ以上言葉が出なかった。

だがすぐに気づいた。彼女は俺に関する全ての記憶を消されたのだと。


答えれば、また彼女を巻き込んでしまう。

答えれば、彼女をまた苦しめてしまう。

「…………ただのお隣さんだ。」

だからこそ、この様な答えしか出なかった。


「サクちゃん!!そんな怪我して大丈夫!?」

「うおぁ!?」

すぐさまベッドから飛び降り駆け寄る飛鳥。

押し倒される稲本。痛みはあるはずなのに、なぜか感じ取れなかった。

「あれ、飛鳥さんの知り合い?」

「ああー、そうだな……うん。飛鳥の先輩みたいなものだ。」

稲本は笑顔で答えた。

空虚で、決して救われることのない笑みを。

「何でこんな怪我したか覚えてないんだけど……サクちゃんは覚えてる?」

「いやー……俺もはっきりとは……そんな事よりさ————」


ただそれでも、二人を守れた。

その事実だけを彼は噛み締め、人知れずその孤独に涙していた。


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一ヶ月後———


N市支部 支部長室

コンコン、という子気味のいいノックの音が鳴り響く。

「入りたまえ。」

初老の男性の声と共にドアが開いた。

現れたのはまだ包帯をつけたままの一人の青年。

「初めまして、かな。」

「いえ、あの時は助かりました。雲井支部長。」

デスクにて待ち構えていた男性、それは倒れていた稲本を助けたその人。

「本日付でN市支部に配属されましたコードネーム『暁』、稲本作一です。どうぞよろしくお願いします。」

「N市支部長の雲井相模だ。宜しく頼むよ。」

二人は握手を交わす。

新たな出会いを祝福して強く強く互いの手を握りしめた。


「そしてそこにいるのがウチの唯一のUGNチルドレンの紫月君だ。」

「稲本だ。よろしくな。」

「……よろしく。足を引っ張らないでよね。」

強気で気高い雰囲気を漂わせる少女。

そんな彼女の姿に久遠の姿を重ねてしまいそうになっている自分がいることに気づく。

「それにしても貴方も災難ね。自分の支部が潰れたせいでこんな人手不足の支部に回されてくるなんて。」

「そうでもないさ。この支部、雰囲気はとてもいいしな。」

それに、自分自身に選択権など与えられてなかったのだから。


そんな中、彼女が稲本を見つめてきたのだ。

「……どうした?」

「……いえ、自分の支部が壊滅させられたのに貴方はとても悲しんでいるようには見えなくて。」

「あまり顔には出さないようにしてるだけさ。」

「てっきり、H市支部に現れたあの隻腕の男と知り合いなのかと思った。」

「隻腕……まさか目は蒼かったか!?」

稲本は思わずその話に食いついてしまった。

「ええ、少ししか見えなかったけど確かに蒼かったわよ。まさか本当に知り合いなの?」

「…………いや、何でもないさ。」

安堵から胸を撫で下ろした。

あの男も、約束を交わしたあの不器用な男も生き延びたことを確信し、思わず笑みをこぼしてしまった。


「我々はこのように少数の組織で成り立っている。君の活躍に期待しているよ。」

「ええ、拾ってもらった命。存分にここで使わせてもらいます。」

表面上の挨拶を終える。


あくまでも自分は彼らを探るためのスパイ。

つまり、ダブルクロスなのだ。

裏切る為に仲間になる、何とも滑稽な生き方なのだろうか。


だがそれでも構わない。

一人であろうが、孤独であろうが構わない。

たった一つの約束を胸に、彼の新たなる戦いは幕を開けたのだ……


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