第1話 無我

現在 3月8日 22:14 H市 稲本邸


冬を越し、仄かに梅の花が香る季節。

夜もまだ肌寒いが多少の薄着なら問題のない季節になってきた。

そんな夜、道場からは幾度となく金属と金属がぶつかり合う鈍い音が鳴り響く。

「一之太刀 三日月ッッッ!!!!」

放たれる稲本の瞬間的な斬撃。

「くっ…!!」

陣内はそれを受け止めるが勢いを殺しきれず、後方へと一気に飛ばされる。

「六之太刀……!!!!」

「早い…!!」

稲本は畳み掛けるように六之太刀で追撃を仕掛け、陣内もそれに対抗せんと十六夜を放つが速度は同等。


一瞬の静寂が訪れる。

次の瞬間、稲本のローリングソバットが陣内の側頭部目掛けて放たれた。

「ぐっ…!!」

右腕でガードをするが、それさえも稲本にとっては布石。

「納刀の隙を埋めたか…!!」

「一之太刀―――」

納刀、それは居合を主体とする彼にとっては銃のリロードと同義。

その隙に挟み込んだ後ろ回し蹴り。

彼は相手に対応させる間も無く次の一手を放つ。

そして次の瞬間、

「三日月ッッッ!!!!」

空を切る居合が放たれる。

音もなく、陣内の腕に乗せた足を軸にその刃を振り抜いた。


だが、それは陣内の頭上を斬るに留まった。

「どんどん腕を上げて嬉しいよ。けど、雑念が多すぎる。」

「っ……!?」

稲本は心底驚いた様子であった。

彼本人も勝ちを確信していた、そして雑念に気づけていなかった証拠である。

そして彼は今空中にいる。

「くっ…!!」

「十六夜」

彼に回避する術などはなく、その連撃が叩き込まれた……


「……っくしょう!!高校卒業する前に終いの太刀を教わる気だったのによ!!」

「……雑念の正体はそれかい?」

陣内は呆れたように問う。

「悪いかよ先生。大学はN市なんだ。一々こっちで教わるのも面倒なんだよ。」

「全くその為にあんな、飛び蹴りと納刀なんて高等技術を身につけたのか……。」

このとき陣内は呆れるような、感心するような複雑そうな様子で稲本を見た。


「それに教わるつもりって言ったって僕も習得はできなかったんだよ?」

「でも秘伝書はあるんだろ?」

「まあ、あるけど……」

彼は押入れから埃を被った箱から古びた冊子を取り出す。

「え、見せてもいいのかよ。」

「構わないよ。勿論練習はさせないけど。」

彼はそのページを開き稲本に手渡す。

「えーっとなになに……。四之太刀が如く歩を進め、五之太刀が如く弱きを突き、一之太刀が如く刃を振り抜け…………は?」

稲本はあまりの意味のわからなさに思わず気の抜けた声を出してしまう。

これはつまり、彼が学んだ技の半数を同時に放て、そう意味しているのだ。

「これオーヴァードでも無理だろ……」

「僕も思ったよ。だから十六夜で僕は止まっちゃったんだけどね。」

彼は笑顔でそれを口にするが、陣内はただの人でありながら並みのオーヴァードならば余裕、いや一つのFHセルを潰せるだけの実力を持ってもいる。

そんな彼が使えないと言うのであれば全人類が不可なのではと思えた。


「……まずは先生に勝つところからだな。」

「――そうだね。」

一瞬、不自然な間が生まれた。

気にも留めないようなものでもあったが何か違和感があった。

そう、あれ以来――

『教えてくれたのは先生だ。』

『13』の真実を黒鉄から告げられて以来、なにかと彼の言葉に違和感を感じるようになってしまった。

そしてそれが雑念の正体でもあった。

「どうした作一?」

「いや、何でも。」

稲本ははぐらかす。だが陣内も今日の立ち合いから察していたのか厳かな雰囲気で稲本の前に立った。


「作一、今日は『零の極致』を授ける。」

「……月下天心流じゃないのか?」

彼の問いかけに対し陣内は以前その厳かな立ち振る舞いを貫く。

「『零の極致』は君の父上、稲本柳一先生が編み出した一種の構え、みたいなものだ。構えといっても、心構えの方に近いけどね。」

「ほーー……」

実は初めてであった。二人で過ごすようになってから陣内の口から父の事が出てくるのは。

お互いにその人を思い出すのが苦痛である事を知っていたから無意識に避けていた部分もあったのだろう。

「で、それはどんな心構えなんだよ。」

稲本がいつものように軽々しく聞いた。


「……先に言っておくよ。これは、本当に勝たなければならない時、君の命をかけて何かを守らなければならない時以外は絶対に使っちゃダメだ。」

対して陣内の口調はとても重々しかった。

「……何で、さ?」

「これは君の心を壊す。端的に言えば、君の全てを捨てて刀と一体となる。そんなものだ。」

「全てってのは……」

「理性も、命も、記憶も全てだ。君自身を零にする。だから『零の極致』だ。」

彼の口ぶりからしてこれは本気だ。

使えばタダでは済まない。それだけは彼の様子からひしひしと伝わってきた。

「……本当に捨てられないものがあったら、どうするのさ。」

「それが君の生きる『核』、生きる理由だ。それを大切にして生きていけばいいんだよ。」

陣内は一点変わって笑顔で答えた。

それは先生、というよりは父親の様な表情であった。


「でも、何でいきなりこんな事を…?」

「もう、時間が限られてるからね。今教えておかないとって思って。」

そういうと陣内は一束の足袋を手渡す。

「そういえばこの間、河合さんが来た時に忘れ物をしてたみたいだから届けて置いてくれないか?」

「ん、じゃあ明日届けておくよ。」

「いや、今頼むよ。」

「……こんな夜遅くに?」

「うん。ほら、今なら洗濯も間に合うだろ?」

「……分かったよ。」

稲本は何か納得がいかない様子で足袋を受け取ると最低限の荷物を持って外へと出る。


「寒っ…」

彼は上着を羽織るとバイクのエンジンに火を入れる。

穏やかに動き始めたエンジンの音。

今日だけは心なしかその音が不規則に聞こえた気もしたが、よく耳を凝らせばいつも通りの音だった。

そしてエンジンが温まったのを確認すると、彼はそのままスロットルを開き一気に走り去っていった。


5分もしたところ、彼は河合椿の家の前に着く。

だが大きな違和感が彼を襲った。

灯りがついていない。

この時間に、誰かしらいるはずのこの時間に。

そして次の瞬間、

「キャアアアアアアッ!!」

「河合……!?」

突如女性の悲鳴が上がる。

彼はそれが河合椿のものと即座に判断し一気にドアを蹴破り中へと入っていった。


だがこれは、全ての始まりに過ぎなかった。


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