超平等国家小日本
鳥小路鳥麻呂
第一回
『超平等国家小日本』
1
松平敏夫が目を覚ますと、そこは見知らぬ病室の白いベッドの上だった。
ひどく目が痛む。頭もくらくらするようだ。
彼は起き上がって部屋の中を観察した。白い壁に囲まれ、白い机の上の白い花瓶の中に白い花が咲いている。
事故にあった覚えはなかった。
しばらく記憶を辿る。しかし、どうにも思い出せない。
諦めてかぶりを振ると、テーブルの上にテレビのリモコンが見えた。
電源を入れる。
映像が流れる。それは、昼のニュースだった。しかし、キャスターの女が美しくない。化粧もしていないようだ。髪も短く、まるで男だ。まあいい。
「本日未明、南太平洋沖でアジア連邦軍とアメリカ軍とが衝突し、連邦軍は敵の駆逐艦複数を撃沈しました。」
ん?
敏夫は変なことを聞いた気がした。米軍が太平洋で戦闘したらしい。アジア連邦とはいったい何だろう?
キャスターは続ける。「今回の敗北によって米国の士気はますます下がり、アジア連邦の優勢は決定的なものになると思われます。米国では、革命の機運すらあるという情報もあり、云々」
おいおい。何時の間に戦争が始まったんだ?
すると、扉が開いて一人の青年が入ってきた。医者ではなさそうだ。黒い服を着ている。下はジーンズだった。
「おやおや、お目覚めになりましたね。」と爽やかに言った。会ったことはない。しかし、馴れ馴れしいにやけ顔が、大学時代に大嫌いだったゼミ長を思い出させた(そのゼミは一年で辞めた)。
「ええ。」と答える。たいそうとぼけた声になった。
やれやれ。
青年は、ベッドの傍の椅子に腰掛け、敏夫に向かって微笑んだ。
「私は、中谷悠太。あなたの案内人です。」
「案内人?」
「ええ。あなたの眠っている間に、世界は大きく変わってしまったんです。もちろん、良い方向にね。」
「あ、そう。」
敏夫は考える、そうか、屹度この俺は数ヶ月か、あるいは、数年の間眠っていたのだ、その間にアジア連邦とかいうのができ、それが米国と開戦したというわけだ。
「何年だい?」と聞く。
「はい?」
「俺は、何年寝てたんですか?」
青年は肩をすくめ、「300年間です。」と答えた。
「さ、300年だって!」
「ええ。」
「まいったね。」
「冷凍睡眠です。記憶にありませんか?」
「さあ。」
病院を出ると、敏夫は自動運転タクシーに乗せられた。
車の形が前代未聞だったし、運転手もいなかったので、彼はひどく驚いた。しかし、道路にはそればかりが走っていた。
「いやはや、300年も経つと凄いね。もう俺なんか古代人でしょ。」と笑う。
「いかにもですよ。あなたの住んでいた頃の日本とは、何もかも違うんですよ、今の小日本は。」と悠太はご機嫌に答えた。
敏夫は不愉快だった。悠太が「小日本」と言ったからだ。それは、日本の蔑称ではないか。
「どうして小日本なんて言うんだい?」とあからさまに不機嫌になって言うと、悠太はにやにや笑って答える。
「あっはっは。そう怒らないでくださいよ。小というのは別に馬鹿にして言っているわけじゃないんです。今ではこの日本の正式名称は、小日本民主主義共和国って言うんですよ。だから、小日本なんです。」
「は?」
敏夫はますます不愉快に思えてきた。
共和国だって?
彼は愛国者であり、また、熱心な尊皇家でもあったので、悠太の言ったことは到底受け入れられないものだった。
「おい、今『共和国』と言ったのか?」と詰め寄る。
「ええ。」
「説明してくれ。」
「分かりました。」悠太は面倒そうに座り直した。それからガムを噛む。
「松平さん、あなたの住んでいた日本は、今では旧日本や暗黒日本、帝政日本などと呼ばれますが、21世紀の終わりごろ、アジア連邦によって解放されました。皇室はアメリカに亡命し、今でも亡命政府があります。それが、あなたの知っている日本です。」
敏夫は唖然とした。とても信じられないし、信じたくなかった。
「そして、」と悠太は続ける。「アジア連邦の協力によって新たに樹立したのが、小日本共和国政府です。小日本は徹底した平和主義と平等主義を貫く理想の国家です。小というのは、大日本に対するアンチテーゼです。大日本と言うと、あたかも日本が他国に優越するかのような誤解を与えかねないからです。」
話し終わると、悠太はガムを紙に包み、携帯ゴミ箱に棄てた。
「馬鹿げてる!」と敏夫は言い放った。
「いいえ、」と言って悠太は敏夫の肩に触れる。「これが現実です。」
タクシーがマンションの前で止まった。
「降りましょう。」
「ここは?」
「あなたの新しい住処です。」
ロマンなき自動運転タクシーを降りると、敏夫は目の前に聳え立つ10階建ての巨大なマンションをゆっくりと見上げた。
「でかいね。」
「あっはっは。こんなのはそこいら中にありますよ。メガロポリス東京ですからね。」
「ひょえええ。」
「もちろん、決して他国の都市に優越するという意味ではありませんよ。今では、東京も小東京といいます。」と加えることを忘れない。「数ある都市のうちのひとつに過ぎないのです。」
もし彼が21世紀の日本にいたら、屹度TBSや朝日新聞の引っ張りだこになったことだろう。あるいは、立憲民主党から立候補したかも知れない。
しかし、敏夫は好まなかった。
悠太は歩き出し、振り返って彼を見る。その目が、来いと言っていた。
仕方なく歩き出した。
「俺の部屋は何階?」
「3階です。」
「低いね。」
部屋に着くと、そこはシンプルなワンルームだった。壁は白く、床は木目調だった。ソファがあったので、敏夫は腰掛けた。
「明日、東京を案内します。あなたの時代とはいろいろと作法が変わっているので、それをまずお教えしなくてはなりますまい。」と悠太。
「そうだね。」と頷く。
「では、私はこれで失礼しますが、何か欲しいものがあれば、届けさせますよ。」と笑う。
敏夫は、彼を見た。
少し考える。
「そうだね。キャメルが欲しい。」
「キャメル? 何ですか、それは?」と怪訝な顔。
「タバコだよ。らくだの絵が描いてあるやつ。」
「ああ、」と、悠太の顔が晴れる。そして、申し訳なさそうに続ける。「残念ですが、松平さん、あなたの時代にはまだ喫煙という悪習が残されていたかも知れませんが、今ではタバコは違法薬物です。」
「嘘だろ。」
「本当です。」
敏夫は呆れ果ててかぶりを振った。どうやら禁煙ファシストが勝利したようだ。
「大麻ならあります。」と加えた。
「大麻だって?」
「ええ。タバコのように火をつけて吸うんです。今では一般的ですよ。」
「じゃあ、それをくれ。」
「分かりました。」
そして、悠太は出て行った。
敏夫は、しばらくソファに腰掛けてぼうっとしていた。
窓の外には東京、いや、小東京の街が見えた。それは彼の記憶する「大東京」とは大分違っていた。当然だ。何と言っても300年後の未来なのだから。しかし、その情景には魅力がなかった。敏夫にとって、この世界はあまり居心地のいいものには思えなかった。
テレビの電源を入れる。
やれやれ。下らないバラエティー番組だ。自意識過剰で人を見下した芸能人たちが、愚にもつかないようなことを言って笑っている。本当に下らない。こんなことを300年経ってもまだやっているのか。そして、また不倫をするのだ。本当に下らない。芸能人と言うのは、政治家や弁護士と同じくらい下らない。
チャンネルを変える。
今度は言論人らしき男が出てきて喋っている。
「連邦は常に平和を望んでいるのであって、今回の事変の責任はこれすべて尽く米国側にありますね、こりゃ。」
「まさしくそうでしょうな。」と司会らしき男が答える。「地球連邦建設を邪魔立てするアメリカ帝国主義の好例ですな。白人はどうしてああ独善的なんでしょうな。」
「白人でも欧州人はより進歩的です。すでにアジア連邦と同盟している国も多い。アメリカのような差別主義とは違い、地球連邦思想に共鳴しています。」
云々。
テレビを消す。
敏夫は、部屋中を探して本を一冊見つけた。『小日本成立史』という本である。悠太が自分のために置いたのだろうと彼は思った。
暇つぶしにはなるかも知れない。
読んでみる。
第一章 帝政日本、すなわち、革命以前の侵略国家の概要
帝政時代の日本(以下、旧日本)の成立は極めて古く、正確に之を知ることは 不可能である。然し、旧日本が其の長い歴史の殆どを、隣なる強大な中国の属国 として過ごして来たことは事実である。彼らは野蛮であり、完全に中国人および 朝鮮人に劣っていた。然るに、其の狡賢さによって或る時隣国を出し抜き、強大 な侵略国家となった。彼らは、後進国にして邪悪な帝国主義国家であるイギリス やフランス、ドイツ、そして、アメリカといった西洋列強と呼ばれる野蛮国家を 手本としたのである。旧日本は、西洋人の残虐さを吸収し、平和と平等を愛する 隣国、すなわち、朝鮮、中国に対し、極めて悪質な戦争犯罪を行ったのである。
本を閉じる。
「でたらめだ!」
数ページめくる。
然し、力だけに頼るものは、其れより強い力によって滅ぼされるのが世の常で ある。やがて、旧日本は、西洋列強との帝国主義的対立に直面し、彼らと争って 敗れた。然し、彼らに勝利したアメリカは、彼らを抹殺するのではなく、飼い慣 らして民族として奴隷化する道を選んだ。よって、旧日本は滅亡を免れ、米国の 属国として再出発したのである。
「何て本だ!」
しかし、この馬鹿げた学説をもう少し読んでみることにする。馬鹿馬鹿しくて面白い。
またもや数ページめくった。
やがて、世界が米中対決の時代に入ると、旧日本は帝国主義陣営の番犬として 中国と開戦し、敗北した。同じ頃、中国を中心として朝鮮、台湾、ベトナムなど が連合してアジア連邦が成立し、旧日本は其の占領下となった。アジア連邦共産 党は、日本の改革を決定し、帝政の廃止、女性および外国人に対する差別の撤 廃、自国優先主義の排除、などのさまざまな進歩的改革を行った。
「下らん!」
敏夫は本を投げた。
すると、こんこんと扉を叩く音がした。
大麻が来たに違いないと思い、急いで開けてみると、そこに彼女がいた。
つづく
超平等国家小日本 鳥小路鳥麻呂 @torimaro
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