第8話 聖性への憧憬
ケイトがアルフレッドの案内に従いたどり着いたのは、大きな洞穴の前だった。白い石灰岩の岩場にぽっかりと穴が開いている。
森の中で川の支流に沿って歩いていくと、いつのまにか源流まで遡っており、その先に見つかった場所だ。
「あれは、いつもこの先にいますよ。変わっていますね。暗い空間が安心するんでしょうか」
アルフレッドはそこまで言うと、耳をぴくりとそばだてた。先ほどからしきりに何かの気配を感じ取り、どこか焦っているようだった。
ケイトはすぐに勘づいた。アルフレッドの主人が外界から呼んでいるのだろう。このやりとりを召喚というのだ。アルフレッドは人と契約を結んだ召喚獣なのだから。
「ありがとう、アルフレッド。さっきから呼ばれてるんだろ。早く主人のもとに行ってやれ」
「では失礼して。次は王都で会うことになりますね。どうぞお手柔らかに」
そう言うが早い、あっという間にアルフレッドの身体はほどけ、光の粒となって風に巻かれた。
ケイトは意を決して洞窟に足を踏み入れた。内部の岩壁には、大きな割れ目があり暗闇というほどでもなかった。
場所によっては鍾乳石が鋭く伸び、ときおり水音が響いていた。薄く張った水たまりをよけつつ、巨大な空洞のなかを先へと進む。人為的に造られた地下洞穴の暗がりとは違い、彼にとってこの場所は神秘的なものとして映った。
そして、あることに気づいた。洞窟の一つの分岐路だけ、異様な暗闇が奥へと続いている。
どこか禍々しい一角であり、まるで来るものを拒んでいるかのようだった。
ケイトは、確信をもってその場所に近づいた。なだらかな傾斜が下へと続いていた。
「…ラピスラズリ、そこにいるのか?」
奥は見えない。あるところから先は、光がまるで届いていない。これ以上、許可なしに踏み込むことはためらわれ、一段と声を響かせた。
「ラピス、いるなら返事だけでもしてくれ。ケイトだ。あんたの、もと主人の」
そこまで言うと、暗闇のなかで輪郭のない影がゆらりと動いた、気がした。
「来ないで!…あなたはこんなところに来るべきではなかった!」
それは確かにラピスラズリのかん高い叫びだった。次いで、震えた声が続く。
「もう会えない。あなたの求める姿になれなくなってしまったから。今の私は、何者かわからない」
ケイトがどれだけ目を凝らしても、その姿をはっきりと視認することはできなかった。暗闇に目が慣れてきても、やはりぎりぎりのところで目にすることは叶わなかった。
「俺は、ラピスラズリに会いたいんだ。…その名をなかったことにしないでくれ」
水の流れる音だけが、遠く聞こえる。ケイトは動けずにいた。しかし、立ち去る気もなかった。
「人の姿じゃなくても、魔獣じゃなくても、契約なんかなくても、ただもう少し一緒にいたいだけだ」
「聖獣だから―」
ラピスラズリの声は、か細く消え入りそうになっていった。
「私、聖獣だから。一緒にいたら、いつかまた必ず別れなきゃならない。もう、おいてかれるのは、いや」
ケイトはラピスラズリの苦悩の意味に気づいた。聖獣は人間よりずっと長寿なのだ。聖獣は主人の生涯と同じ時を、契約の名のもとに、添い遂げることになる。いつだったかアルフレッドの主人から聞かされたことだ。
そのため、聖獣は契約相手を慎重に選ぶ。より強く、信頼に足る人物かどうか。いかなる状況であれ、契約獣を見捨てないか。
「もう、いい加減あなたは自由になるべきよ。せっかく毒から解放されたのに、どうしてなの」
ラピスラズリは、ひどく動揺しているようだった。ケイトはそのことも見抜いていた。
ケイトは、傾斜の脇にある手ごろな岩に腰かけた。
「じゃあ、このまま話をしよう。てか、勝手に話すから」
返事はない。
「話すぞ。俺が、なんであんたをラピスラズリって呼びはじめたのか」
なおも返事はない。
「あんたの目の色が、あの石に見えたんだ。昔、よく読んでた博物誌に載ってた。砂漠の地でしかとれない、群青に金が光る貴重な石だ。子供の頃の、憧れだった」
「…どっかの詩人みたいよ」
「その話はやめろ。―それから、懐かしい気がしてた。初めて日の下であんたを見た時から、ずっと俺に欠けてたものを見つけた気がしていた」
再び、返事がなくなった。
「ここに来るまでに、それを思い出したよ。今の俺は、あんたの力とか容姿を愛でるためにそばに置いたり、ましてや縛り付けたいわけじゃない」
「わかってる。あなたが優しいことは、私が誰よりも知っている」
「…今までの俺は、全然そんなことなかった。ごめんな。ラピスラズリ。謝りたかったんだ。これまでずっと言えてこなかった。ラピスはいつでも、俺の気持ちを守ってくれてたのに」
ケイトは自身の身体が震えるのを感じ、握った拳に力がこもるのが分かった。自分の気持ちを吐露することが、こんなにも勇気の要ることだとは思ってもみなかった。
「伝えるのが遅くなって、ごめん。それから、これまで助けてくれてありがとな」
返事はなかった。待てども、何の変化も伺い知れなかった。
「じゃ、行くから。言えてよかったよ。ここまで来た甲斐があった」
ケイトは、静かに立ち上がった。
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