第7話 内省と助勢
―愛してるわ。昔から、ずっと。
最後に会ったとき、ラピスラズリは確かにそう言った。
ケイトがしっかりと「彼女」と触れ合えたのは、森の孤児院の建物だった。実に初めて感じた平穏だった。星の流れる夜だった。
あの日のことを思うと、妙な気分になる。初めて本当の意味で、言葉を交わすことができた気がした。ラピスラズリは、大きな瞳で、自分を見上げていた。吸い込まれそうな天空の淵。
契約獣だった。いや、それ以上に近く―それらを超えた共犯関係。しかし、そのときのことは一夜の夢だったのではないかとも思う。
魔獣博士が自分に向かって放った言葉がよぎる。
―人々は知るでしょうね。魔獣と淫蕩な生活を送っていたことを。忌むべき倒錯者としてね。
ケイトは、もういいと思った。終わったことだ。魔獣博士はこの世にいない。さんざん食い物にしてきた自身の令嬢に文字通り喰われたのだ。報いだと思った。だが、それと同時にまた別の重い罪の意識に苛まれるのだ。自分はあのときラピスラズリの手を、決定的に汚させたのだと。否―これまでにも、数えきれないほどあったはずだと思った。
ずっと考えないようにしてきたことがある。ラピスラズリは、この男に他の魔獣との交配を強いられたのだろうかと。王都へ戻り、再び地下へ連れ戻されてから、ずいぶんと衰弱していた。地下深く暗い檻は、まさに地獄だったろう。
―きっと自分は彼女から何も知らされてこなかった。
聖獣の庭へ向かうことは、すなわち内省であった。ケイトは、これまでこの森に近づくことができなかったことを、無意識に過去と向き合うことを避けていたためかと感じるのだった。
気づくと、頭上には不思議な藍の空が広がっていた。針葉樹林が天に向かって先端を尖らせる。空気は冷たかったが、どんな地域よりも淀みなく澄んでいて、どこまでも苦痛なく歩くことができた。
しかし、いっこうに生き物の気配はない。さすがに虫一匹目にしないのは、彼をどこか憂鬱な気分にさせた。
そのときである。ケイトは微弱な空気の揺れを感じ取った。はるか遠くから巻きおこる風に次々と草木が震え、とんでもない速さで何かがこちらへ駆けてくるのがわかった。
それの襲来が背後からと察知すると、振り返り、とっさに腰の剣を鞘ごと構えた。護身のためであれ、聖獣を傷つけることは禁忌とされるためである。
手に汗握る緊張感のあと、ややあってケイトは実に多く数日ぶりの大声をあげることとなった。
「なんでこんなところで…驚かせるな、アルフレッド!」
「すみません、ケイト殿の気配がしたものですから。そんなに怯えていらっしゃったとは」
蒼と白亜の混じった艶やかな毛並みをなびかせる狼の姿。聖獣アルフレッドは、ケイトが緊張の余韻により高鳴る心臓の上を抑える様子を、悪びれもなくただ見つめていた。
「よくここまで、無事にたどりつけましたね」
「緩衝の森を抜けたのか、俺は」
「まぁ、そういうことになりますね」
アルフレッドは、ほのかに表情をゆるめた。ケイトは一気に肩の力が抜け、大きく息を吐いた。
「俺には、結局ここのことがよくわからなかった。どうやって、どんな道を通ってここまで来たのかも」
「皆そういいます。実際、僕もよくわかっていません」
アルフレッドはくるりと背を向けると、水辺へと案内した。ケイトはその場所に腰を下ろし、ようやくしばしの休息を得ることができた。
僕の憶測ですがと前置きをしたうえで、アルフレッドは話し始めた。
「ここには望む者のなかでも、特定の目的をもった者しかよせつけないのです」
「今回の俺自身が、この地に受け入れられたということか?」
「恐らくは。これまでのあなたでは駄目だった何かです」
アルフレッドの言葉に、ケイトはうなだれた。
「それが、ここに来るうちにますますわからなくなった」
「なんだかあなたらしくありませんね」
もともとあまり好ましく思っていなかった相手に対して、皮肉を言うつもりで構えていたアルフレッドは、彼の様子に調子を狂わせた。
「まぁ、いいでしょう。あなたは確かに越えてきたのですから。今大事な問題は、これからのことです」
アルフレッドは、蒼穹の瞳を向けた。軽く頭を抱えていたケイトは、視線をそちらへ向ける。
「俺は、ラピスラズリを連れ戻しに、いや、ただもう一度話がしたい。これまで、言うべきことを、伝えてこなかったから」
「情けないですねぇ。あなたは本当にお子様でしたからね」
言い返す余地もないことを自覚したケイトは、自嘲気味に笑った。そして、アルフレッドに首を垂れた。
「頼む。ラピスラズリのところまで案内してくれないか」
その言葉に、アルフレッドは準備していたように立ち上がった。
「仕方ありませんね。ま、いいですよ。僕も退屈だったので」
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