第6話 ラピスラズリ

 ここは、王宮裏手の一画だった。放置された木々が鬱蒼としていて、昼間でも何やら湿っぽい。好んでこのあたりに来るものはそういない。

 ケイトは、自室からほど近く、静かだという理由でその場所に赴き、考え事や鍛錬をすることがあった。

 契約魔獣を初めて王宮で召喚した場所だった。当然、人目には触れなかった。

 地下に繋がれた魔獣は、直前に彼が飲んだ魔毒を媒介し、難なく姿を現した。

 日のもとで見ると、その獣はますますこの世のものならざる姿に映った。しかし、見慣れるとどうということはなかった。主人にだけは、驚くほどよく懐いた。

 ケイトは、徐々にこの魔獣と過ごす時間が増え、呼び名が必要だと考えた。

 管理主である魔獣博士は、「令嬢」と呼んでいた。そのような皮肉めいた呼び方は気分が悪かった。

 自分に向けられる魔獣の瞳は、いつもなぜか優しかった。よくある同情の、哀れみのそれではない。どうにも懐かしいような感じがしたが、当時は気のせいだと思っていた。そこで、一体この魔獣は何に似ているのだろうかと思索にふけっていると、やがて思い至った。

 ときおり光を浴びては金に煌めく群青のそれは、瑠璃玉だ。星を散らした宙の色。砂漠の土地の聖石。ラピスラズリ。

 魔獣はその名を気に入ったのか、すぐに自身の名として認識した。利口な獣だった。呼ぶ回数が増えるにしたがい、瑠璃ラピスラズリは、<宝石ラピス>になったりもしたが、どちらでもよく応じた。

 いつからか、「彼女」は本当に令嬢の姿になることが多くなった。契約獣は、人に近づくにつれて、その姿までも変化させるのかと思った。不可解なことが重なっていた時期だったので、変化についてはさして気にならなかった。魔獣博士がこの能力について知っていたかは不明だ。

 令嬢の姿をとる「彼女」は、豊かな髪をなびかせ、瞳だけは魔獣の時と変わらず深い瑠璃色でこちらを見つめるのだった。そして、鈴を転がすような声で流暢に話し続けて、一度始まるとなかなか止むことがなかった。


 ケイトは今、自分が聖獣の森に近づいていることを、自覚した。流れ行く景色は、現在の自分にとっての核心へと近づいてゆく。

 当時は鬱屈としてふさぎこんでいたこの時代も、今思えばそんなに悪くなかったと感じた。それは、失ってはじめて気づいたことだった。



 この後、事態は悪くなり、ますますケイトにはこの魔獣の力が必要となった。先王である父と兄が病に伏し、王国が傾き始めたのだ。政治の均衡が崩れ、軍が台頭しはじめたことで居場所をなくした王族のなかには、何かと理由をつけて王都を離れていくものも少なくなかった。

 彼自身は、外交官職に就き、王国内の視察に奔走した。使命を建前として、無意識のうちに王都から距離を置きたかったのかもしれない。

 情報はすべて彼のもとに集まってきた。

 レオセルダにいる魔獣使いの残党がテロ行為を目論んでいる。山奥に住まう獣使いのコミュニティはやがて勢力を拡大し、王国に反旗を翻す―

 今思えば、すべて第三勢力によって踊らされていたことだ。当時はそのようなことは露知らず、各地を駆け回っていた。その間、いつもラピスラズリはそばにいた。



 ケイトは、久々にラピスラズリの目まぐるしく変わる表情を間近で見ながら、やるせなさを覚えた。この景色もすべてまやかしだ。

 ―必ず助けるって言ったのにな。

 耳元で、ラピスラズリの声が聞こえる。

 ―言わなくていいのよ。思い出さなくていい。

 ケイトはその髪に、指先に触れられずにいた。夢であれ消えてしまうのが怖かった。

 ―ごめん、ラピス。気づけてこれなくて、ごめん。

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