第28話

 俺は会場の外にあるベンチで一息ついていた。噴水から聞こえる水の音で、ゆっくりと心が落ち着いてゆく。

 エルのリハーサルも無事に終えることが出来た。あれだけ緊張していた割にはまあそれなりに弾けていたし、本番でもう少し上げられればと言ったところか。


「ソータ」


 レーナは明らかに不満を浮かべているようすで、俺の事を睨んでいた。

 表情がほんの少ししか変わらないのに、こうやって見てみると本当に分かりやすい。

 ちょっと子供っぽいところあるなーとか、そういう面白いところにも最近気付けるようになった。


「ごめんな。でも、エルの緊張を解きたかったし、ちょっとくらい許してくれ」


「……そうじゃない。あの曲」


「……あの曲って、俺の弾いた曲のこと?」


 そりゃ気になるよな。全く無名の人が、急にすっごい芸術的な曲を弾いちゃうわけだからな。


「それもそうだけど、その子の弾いた曲もそう。あれは、オリジナル?」


「いや、別の音楽家が作った曲だよ」


「そんなわけない。悔しいけど、2人が弾いた曲はお世辞なしで良かった。良かったどころか、今までに無い音楽。こんな曲を作る人が、埋もれるはずない。ソータ、あなたは何者?」


「……師匠」


 エルは、俺の服の裾をキュッとつまんで、俺を見つめていた。


「俺は別に、大した人間じゃないよ。ただ音楽が好きな少年ってだけだ。この曲だって、本当に別の人間が作った曲だ。俺なんかに作れるような曲じゃない」


 別の世界から……とか言ったところで信じてくれないのは分かってるし、態々言う必要は無い。そういうことを言って、怪しまれるのもこっちは困るし。


「そう……ならいい。じゃあ、また明日」


「おう、じゃあな〜」


 ん? 案外あっさりとしてたな。あと、さっきほどの嫌悪みたいなのは感じなかった。それに口ぶりも、ピアノの演奏は認めてくれたような口ぶりだった。

 ちょっとは見直してくれたのか?

 それならそれで嬉しい。明日とか楽に弾けそうだし。

 

「あの、師匠」


「なんだ?」


「えっと、私の演奏はこれで良かったのでしょうか」


「これでって?」


「えっと、言葉にするのは難しいんですけど……私のことを見ている人とか、曲以外のことを気にして弾いたので」


 それは、もちろん心配するよな。結構クラシックのリハーサルって本番同様気合いの入った演奏が聴ける。それだけ、最後の通し稽古に力を入れているわけだ。

 だが、俺らのやっていたことは少し違う。手を抜く訳では無いが、演奏技術よりとにかく雰囲気を肌で感じることだ。

 当たり前だが、俺たちはプロの人と比べて体力、技術どちらも劣る。メンタルの保ち方も違う。しかも、エルにとっては初めての大舞台だ。

 そこで気合い入れ過ぎて燃え尽きても困るからな。本番へ適度な緊張感を持つためって意味合いでのこの調整だ。俺自体、これで上手くいってたし。


「体力は可能な限り温存して、気持ちも保ち続ければ、全力って出せるもんだろ? それに、今日の雰囲気をしっかり覚えておくのが大事だ」


「そうなんですか?」


「ああ。本番に役に立つから。だからエル、明日は全力で楽しもう」


「は、はい!」


◇ ◇ ◇


「お疲れ。流石君の演奏と言ったところだ」


 リハーサルが終わったあと、俺たちはランペードさんに高級料理店へ連れていってもらった。参加してくれたお礼で奢ってくれるとの事だった。

 正直、こんなの奢ってもらっちゃっていいのかと焦るメニューしかなくて冷や汗ばかりだ。

 とはいえこんな料理食べる機会殆どないし、遠慮なく食べさせてもらうけど。


「いやぁ、そんないい演奏はしてませんよ」


「謙遜しなくてもいい。技術ある人の謙遜は嫌味だからね」


 と、爽やかな笑みでランペードさんは言った。

 いや、ランペードさん。普通にいい演奏してなかったんだよ。

 なんで、ランペードさんの評価はこんなに高いんだろう。俺が初めて会った時からそうだ。今は何とかブランクは無くなりかけてるけど、あの時はまだ指の動きも若干鈍かったし、体力もテンポの速い曲ですぐバテてた。

 その頃から目をつけてるっていうのがよく分からない。一体、ランペードさんの目は何を見て、そして耳で何を聞いているのだろう。


「君の演奏もそうだが、お嬢さんの演奏もなかなかだ。流石、君の弟子と言ったところか」


「わ、私もですか……! ありがとうございます。えっと、でも、全部師匠のお陰なんです。私はただ、師匠の言うことを聞いていただけなので」


「そうか。なら、この次はお嬢さんなりの演奏を期待しているよ。……ソータ君、どうかしたのかい?」


 不安が顔に出てしまっていたのか、ランペードさんにそれを指摘された。


「いや、俺の演奏ってそんなにいいものですか?」

 

「そうじゃないと演奏会になんて呼びはしないよ。ふむ……どうやら謙遜してるのではなく、本当に演奏が褒められるほどじゃないって思ってるんだね。それは、自分を過小評価しすぎだと思うよ」


「過小評価ですか」


「そうだ。君の演奏は素晴らしい。壮大なまでの表現力。そして、単純な演奏技術。一つ一つの音を取っても才能を感じさせる。でも、何故か君は自分でそれを信じようとしない。私は、それが不思議でならないね」


「そうですよ師匠。すっごく上手なのに勿体ないです!」


「君の弟子もこう言っているようだが?」


 これに関してはエルも思っていたことなのか。

 でも、そうは言われても現にそこまで信じれてないわけだしな。


「君は音楽に愛されてる。だから後は、自分自身が変わるだけだ」


 それが難しいんだよ。だって俺の演奏の評価は今までの経験でよく分かっている。

 コンクールではミスで予選落ち。シンガーソングライターとしては地道な努力でしか人を集めることが出来ない。才能が花開いて一気にバズるとか、そういうことは無かった。

 それが全てを物語っている。


「変わるって、簡単に言いますね」


「当たり前だろう。それだけの才能を君は持っているんだよ。それは誰もが羨むような才能だ。そうだ、本番の演奏に向けて1つ、約束をしてみないかい?」


「約束ですか」


 あ、これ絶対理不尽な約束されるやつだ。


「そうだ。君は明日自信満々で、自己中心的に、堂々とピアノを弾くんだ。これは王族である私との約束だ」


 なんだよそれ。ずるくね? そんなん破ったら消すぞってレベルの脅しじゃねぇか。


「……わかりました」


 最早そういうしか出来ない。


「よし。いいだろう。なら、楽しみにしているよ」


 最後の最後で大きな不安が残ってしまった。

 あんなプロの目の前で俺が堂々と自分勝手に弾けと? おっさんの店とは勝手が違うんだぞ。

 おっさんの店だったらやりたい放題やってた。ジャズで自由に楽しんで遊んだりもしてた。

 でもここは違う。そんなことしたら一体他の人はなんて思うのだろう。レーナとかマジでヤバいんじゃないだろうか。


『もう怒った。絶交だぴょん。プンプン』


 とか? すまん、ちょっとふざけた。

 でも、もう頭下げちゃったしやるしかないんだよな。

 腹くくらないとな……。

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